二律背反な専門家

発売された当初に読んで、その時には理解出来なかった部分が、後に読み直してやっとわかる。そんな読書体験をした。それが三嶋亜紀子さんの『社会福祉学の<科学>性』(勁草書房)である。

この本は2007年に出されたが、僕は2008年の6月に読んでいる。なぜわかるか、というと、実はこのころ、東洋大学で教鞭を執っておられた北野誠一さんの大学院ゼミに混ぜてもらっていて、この本が課題図書になっており、社会人院生さんが発表されたレジュメが本に挟まれていたのだ。

2005年に山梨学院大学の教員になったものの、僕は社会福祉を本でしか学んでおらず、ソーシャルワークや社会福祉学の学問的背景や文脈の理解が全然足りないと感じていた。そこで、障害者福祉の理論研究の大家で、後に『ケアからエンパワーメントへ』という大著を出される北野誠一さんのところに外弟子的に関わらせていただき、カリフォルニアでの権利擁護に関する調査にも連れて行っていただいた。その北野さんの大学院ゼミでは、僕が知らない、でも重要な文献をどんどん読んでいく授業で、三島さんの本も北野さんから教わって読んだ。でも、当時はこの本を全然読めていなかった、と再読して気づく。

逆に言えば、当時の僕がそれでも読み込めていたのは、反専門職主義や脱施設化運動など、博論に関連する領域の部分のみだったと思う。このあたりは一読目で赤線が一杯引いてあった。だが、今回の二読目では、以前ほとんど赤線を引いていなかった部分に、赤線を引きまくりながら読んだ。

例えば社会福祉の歴史を見ていると、子どもの権利にはパターナリスティックなものと、子どもの自由を最大化するものと、二種類の子どもの権利がある、と指摘している(p95)。無垢でタブラ・ラサ的か子ども像を描き、親などの保護を受ける法的地位の確率を目指すのが、子どもの権利(P)である。これが、アリエスが指摘するように、産業革命以後、「工業化が進む中、不当に搾取されたと目された子どもを保護し健全に育成するために、ようやく勝ち取られたものであった」。

だが1979年の国際児童年や1989年の子どもの権利条約は、「児童の最善の利益」を図る成人の義務に対応する児童の「保護を受ける権利」という「受動的権利」ではなく、子どもの自律的権利や自由といった成人とほぼ同質の権利を保障するものである。これを子どもの権利(C)と位置づける。そして、こんな風に指摘しているう。

「社会福祉士養成の教科書の一部である『児童福祉』に、子どもの権利(P)と(C)が共存する。しかし双方の存在感は同一ではない。なぜなら、一方は他方を凌駕する関係にあるからだ。」(p99)

この当時はこの意味がよくわかっていなかったが、その後子どもが生まれ、ケアや児童福祉を囓るようになり、「こども庁」が政治家の圧力で「こども家庭庁」と名称変更された経緯を知るにつれ、この指摘の迫力がよくわかる。子どもの権利に関しては、まだまだパターナリスティックなものが多く、子どもの意思表明や意思決定支援が尊重される場面が、学校や家庭では、蔑ろにされがちな現状は変わっていないからだ。それを2007年の段階で射貫いておられる。

そして、一読目ではよくわからず「?」を付けていた箇所が、今回めっちゃ迫ってきた。例えばこの部分。

「オートノミーとしての子どもの権利を主張する児童解放運動家はこぞってアリエス・テーゼを多用する。アリエスの論は『<子供>の誕生』の1973年度版序文のなかでも彼が自覚しているように、その歴史認識はイリイチのいう『脱学校化』論と近似している。しかしながら、こうした子どもの権利(C)の終着点に照らすと、このアリエステーゼは「家族を遠隔地から統治する目的」のために利用されていると言えなくもない。
イマニュエル・カントは、自由とは二律背反であると断言したが、この1990年代を目前にした子どもの自由(C)の称揚は、その後の諸学問における『反省的学問理論』に見られる二律背反を予言するものであった。」(p166)

書き写していてわかるのは、ずいぶん抽象度が高く、濃縮度も高い議論である。16年前のぼくは、そういう抽象度の高い議論について行けていなかった。だが、この間、ある程度の抽象度の高い本も読み続けて、また三島さんが下敷きにしているフーコーの議論も多少は囓ってきたので、今なら理解出来る。

子どもの自由や自律性を最大化する「子どもの権利(C)」を尊重する議論も、虐待介入などの子どもの安全の保証(=子どもの権利(P))の上に初めて成り立つ、という議論と結びつくと、「家族を遠隔地から統治する目的」という形でのパターナリズムによる間接統治に変容する。そしてそれは、「反省的学問理論」を抱いたソーシャルワークにとって必然的結果だった、と三島さんは整理する。「反省的学問理論」とはエンパワメントやストレングス、反抑圧的実践などのように、専門家支配を批判し、専門家と利用者の関係性を変革しようとする、旧態依然とした専門家に反省と変容を迫る学問理論である。

「反省的学問理論の登場によって、専門家は<社会の周辺部にいる弱者=福祉サービスの利用者>の場まで降りてきた。利用者は専門家と対等な関係にあり、両者が紡ぎ出すナラティブも同等に意味があることが確認され、利用者の自己決定は尊重されるようになった。しかしながらハートマンが危惧するように、そこにリスクがある場合、『適切』に処遇するための力は執行される。こうしたパワーの行使の『客観』的信頼性を高めるためにも、社会福祉実践のデータベース化は、より精緻化されることが望まれるのだ。またそこにデータに基づく根拠がある場合、特定の実践の方法に磁力が働いてくることも予想される。
専門家は、反省的学問理論に拠って利用者の生きている場に降りてきたようで、支配的なパワーに裏付けられた実践への水路も確保している。先に、専門家は一方の手に反省的学問理論、もう一方の手にデータに基づく権限をもって実践に臨んでいると述べた。二律背反の関係にある両者を並べるには、ハートマンが明らかにしたような閾値の設定が必要不可欠なのであろう。本書で『ポストモダン』のソーシャルワーク理論を反省的学問理論と言い換えている理由もここにある。」(p203)

子どもの自由や自律性を最大化する「子どもの権利(C)」を尊重するために、アドボカシーやエンパワメントなど、子どもの声を尊重し、子どもと共にというwith-nessのアプローチで対等な関係性を目指すことが、子ども支援でも重要とされている。その一方で、虐待の疑いがあるケースの場合、子どもは親と一緒にいたい、と思っても、時には専門家の権力行使をして母子分離などの強制措置を執らなければならない。これは虐待介入などの子どもの安全の保証(=子どもの権利(P))の優先である。そして強制措置を執る際には、根拠に基づく介入(データベース化による介入)が求められる。つまり、本来は相反する反省的学問理論モデルとデータベース化による介入モデルが、一人のソーシャルワーカーの中で共存している、という二律背反状態にあるのだ。

ここで両者をどのように統合的に位置づけられるのか、一方と他方の閾値はどのあたりにあるのか。この裁量がワーカーに託されており、これこそがソーシャルワーカーの専門性の最たる所、とも言えるのかも知れない。

そして、それは子どもの権利だけではない。80才の認知症の母親に、50才の統合失調症の息子が暴力を振るう、というケースに直面した時、ソーシャルワーカーはどうするだろうか? 息子の病名や入院歴をみて、精神病院への強制入院や、母親の入所施設への逃避を、これまでの先行事例と比較検討する(客観的なデータベース型介入をする)だろうか。あるいは息子は母親の介護に役割や誇りを感じているけど、母が子どもをなじった時には逆上して母を殴る、とアセスメントを通じて理解できたのであれば、息子さんのエンパワメントとして就労継続支援などのサービスに繋げながら、母親を説得して訪問介護など家庭に第三者に関わってもらい、母子間の悪循環を改善する方向で支援を組む(本人の主観によりそう、反省的学問理論モデルでの介入をする)ことだって出来る。

つまり、介入モデル的にも、エンパワメントやストレングス方向(反省的学問理論モデル的)にも、どちらにも関わりうる裁量を、ソーシャルワーカーは持っているのである。その「科学」をどのように活かすのか? それをソーシャルワーク教育でどう教えているのか? このあたりが鍵となっているのだが、僕が現場で出会うケアマネや相談支援専門員に話を聞いていると、このあたりの二律背反に自覚的になっているワーカーは、実は少ない。このあたりは、「子どもの権利(P)と(C)が共存する」が「一方は他方を凌駕する関係にある」という現在の社会福祉士教育の限界点を示しているようにも、今なら気づける。

というわけで、三島さんの本は17年経っても全く古びていない、学びの多い一冊です。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。