7年後の気づき

 

この春は刺激に満ちあふれている、と前回のブログで書いたが、昨日であった一冊からも多いに刺激を受ける。例によって、「作品」に昇華させておかないとショートしそうなので、とにかくこのブログに書き付けながら考えてみたい。

もう7年も前になるが、博士論文なるものを書いている(「精神障害者のノーマライゼーションに果たす精神科ソーシャルワーカー(PSW)の役割と課題-京都府でのPSW実態調査を基にして-」)。その概要は紀要論文として一部短く紹介したものの、単著にはなっていない。最近では博士号を取る人も多くなり、若い世代の単著本も出ている。また、自費出版的に出している人も少なくない。しかし、僕の論文は、正直に言うと、それだけでは本に出来る内容に高まっていなかった、というのと、どういう切り口で再整理したら一般読者に伝わる内容になるか、がよくわからなかったので、単著化は放置し、半ば諦めかけていた。

その博論では、京都のPSW117人に聞き取り調査を行い、「この人は地域を変えている」と思った人に共通する実践内容を「当事者の本音を聞くことに端を発し、当事者の想いや願いを実現するためにPSW自身が変わり、③)一人で抱え込まずに周りの人々を捲込み、仲間の連携を組織的連携に変える中で社会資源を改善・創出し、その中で当事者の役割意識や自信が芽生え、当事者自身も変わる」という5つのステップとしてまとめた。PSWが精神障害者のノーマライゼーションに本当に役割を果たすためには、この5つのステップが必要ではないか、と提起したのが、博論の唯一のオリジナリティだったと思う。

そして、これは、僕自身が山梨や三重の県レベルで、あるいは福祉組織の変革支援に携わる中で、実践者としても使えるステップである、と実感してきた7年間でもあった。現場の本音を聞きながら、まず頭の固い自分自身が変わる必然性を感じ、官民様々な協力者を見つけ、巻き込み、巻き込まれながら渦を創ってきた。それが、多少なりとも自立支援協議会や圏域マネージャーの形で制度化・システム化し、その渦は、僕が操作するのではなく、渦として動きつつある。そんな創発にこの3年間で立ち会う中で、僕もこの5つのステップの流れを意識し、踏み外さずにステップを踏んできた、と思う。それだけでなく、現場向けの講演でこの「5つのステップ」を使って説明しても、説明力や共感力は割合高かった。そんなこともあって、何とかこの「5つのステップ」だけでも、もう少し普遍化して広く伝わるように書き直せないかなぁ、という密かな願望を抱いていた。だが、その方法論は、と言われると、動き出せない自分がいた。

あれから7年後の昨日、ここ最近ご縁を頂いた安冨先生の本を読んでいた。安冨先生は、複雑系理論の叡智を社会科学にも応用し、従来のPDCAサイクルに代表されるような計画制御(線形的制御)の図式では、複雑な世の中の連関の輪を変えていくことが出来ない、とする。その上で、オルタナティブとして、「区々たるものを結び合わせ、流れを創り出すことを目標とする」「やわらかな制御」を提唱している。複雑系科学の叡智を整理した第一章は読み進めるのがやっとだったが、その後に展開された第2章以後、自らの既知の風景が急に新たな未知となるような、爽快な気分で読み進め気がついたら、自分が博論で言語化出来ていなかった事に光が当てられている箇所にも遭遇。思わず歓喜する。そう、この視点が言語化出来ていなかったのだ、と。

「本来やらねばならない職務とは何だろうか。それはコミュニケーションのコンテキストを創り出し、新しいコミュニケーションの連鎖を創り出すことである。人々の不安と不信を和らげ、自分で筋の通った判断を下せるようにすることである。このようなケアを施す活動が組織を維持再生する上で不可欠であるのは、人間の身体を維持するのに免疫系や自己修復といった機能が不可欠であるのと同じ事である。」(安冨歩『複雑さを生きる-やわらかな制御』岩波書店p138

そう、福祉現場で、新しい何かを生み出している人って、「○○障害だから」「社会資源が少ないから」「行政(家族、理事長、本人、支援者)が無理解だから」仕方ない、とエクスキューズをつけて諦めて、その「諦めの回路」に安住する(=歪んだ構造を再生産する安定状態を保つ)ことを良しとしない。むしろ「諦めの回路」に違和感を感じ、その回路を開くような別のコミュニケーションに基づく、新たなコンテキストを創発しようとしている。その中で「新しいコミュニケーションの連鎖を創り出」しながら、「人々の不安と不信を和らげ、自分で筋の通った判断を下せるように」なり、地域での共感者を増やしていっているのである。この「回路を開く」図式は、別の部分では次のように説明されている。

「理念を共有する限られた人物とそのネットワークに集中的に接続し、資源を投入することで、コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すことが第一段階の目標となる。ここに人的信頼関係を創り出し、理念を共有し、またそれを発展させ、実践する人々のネットワークを構築せねばならない。ここには社会における固有名あるいは人格をいかにとらえるかという問題が深くかかわっている。あえていうなら、活動の目標のひとつは「特定の人格のエンパワーメント」でなければならない。(略)ここに形成されたコミュニケーションの活性を維持し続け、それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる。この動きを通じてのみ社会に働きかけることが出来る。」(同上、p131)

僕自身の拙い実践の実感としても、また博論現場やその後の調査研究でお会いした多くの変革者にしても、まずは「コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すことが第一段階」である、と深く同意する。教科書的なパターン認識ではなく、「人的信頼関係を創り出し、理念を共有し、またそれを発展させ、実践する人々のネットワークを構築」する中で、その地域や実践を変える「芽」が生まれる。その芽を育むためにも、「ここに形成されたコミュニケーションの活性を維持し続け、それによって理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる」事が重要になる。「諦めの回路」のオルタナティブとしての希望のコンテキストを創発させ、「コアとなるコミュニケーションの形態」を練り上げ、暖め、拡げていく中で、それが一定の普遍性を持つようになる。やがて、その普遍性は官も揺り動かし、市町村レベルの小さな制度や国レベルの大きな制度の変更・改正の原動力となる。

そして、その原動力や大きな渦の背後には、「特定の人格のエンパワーメント」が、いつも見え隠れする。重症心身障害を持つ人の地域生活支援を展開してきた西宮の「青葉園」の清水さん、精神障害者の支援観を大きく変えた北海道浦河の「べてるの家」の向谷地さん、国制度になった小規模多機能型の原点にある富山の「このゆびとーまれ」の惣万さん。あるいはイタリアの精神医療改革だけでなく世界的なコミュニティメンタルヘルスのお手本になったトリエステのバザーリア医師。ノーマライゼーションの実践の原点にあるスウェーデンのベンクト・ニイリエ。ぱっと思い浮かぶだけでも、これらの実践者は、ローカルな現場で「コアとなるコミュニケーションの形態を創り出すこと」の中で、結果的に「特定の人格のエンパワーメント」を成し遂げていった。しかも、それは己が成功、という利己的な目的ではなく、自らが関わる対象者のために「本来やらねばならない職務」として、試行錯誤の中で、「諦めの回路」を開くコミュニケーションを創発させ、新たなコンテキストを創造してきた。その運動展開の中で、「理念の共有範囲を拡大するとともに、その流れの中で理念そのものを成長させる。この動きを通じてのみ社会に働きかけることが出来る」ということを実証してきた。

つまり、先に僕が整理した「5つのステップ」に欠けていた視点とは、「コミュニケーションやコンテキストの創発・連鎖による物語の書き換えのプロセス」である、と言えよう。そして、その「物語の語り部」としての「特定の人格のエンパワーメント」は、単に属人的カリスマで終わるのではなく、社会を変える普遍性を持ちうる、という事である。しかも、上意下達的な計画制御ではなく、ストリートレベルのリーダーシップによる「やわらかい制御」によって、現場が変わり、政策も変わる。ソーシャルワークや福祉政策の研究分野ではまだまだ計画制御の議論が主流となっているが、現場の実態はこの「やわらかい制御」の創発こそが、現場を変えてきた。その事に、改めて気づかされた。

この「やわらなか制御」におけるワーカーの裁量のポジティブな活用と福祉政策、ソーシャルワークの変容の可能性については、大きな関係がある。このことはブログではなく、そろそろ論文にしなければならない時期なのかもしれない。はい、頑張ります。

7年の遠回りをしてきたが、決して迂回路や見果てぬ道ではなさそうだ、という実感が、ようやく今、芽生えてきた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。