「迷惑をかけない」「いい子」の「蓋」

岡本茂樹さんは、刑務所や少年院で長年、心理教育や更生支援をしてきた経験を元に、表面的な「反省」が逆効果になることを示した新書を何冊か出している。昨年亡くなられた彼の遺作『いい子に育てると犯罪者になります』(新潮新書)は、本当に力作だった。

この本は、「問題行動」といわれるものには、その行動に至る理由があり、その理由や行動に駆り立てる内在的論理を分析しない限り、どのように叱ったり、厳罰化したりしても、そのような行動は抑止できない、とハッキリいう。こう書くと、「わがままや逸脱行為に甘い」と思われるかもしれない。でも、それは「急がば回れ」。実は本当に犯罪や問題行動を減らしたい、と思うなら、その行為に至る根本的理由と本人が向き合うのを支援しない限り、そのような行動は減らず、「表面的反省」に終わり、再発を繰り返す可能性が高い、というのである。
それを、タレントの酒井法子さんの事例を元に分析している。彼女が一連の経緯を綴った手記(『贖罪』)を分析しながら、岡本さんはこう指摘している。
「覚醒剤に手を出したのは、『軽い気持ち』とは『安易』とか『自分が弱かった』という理由ではありません。人に素直に頼れなくなって、ストレスをモノ(覚醒剤)で埋め合わせていたからです。」(p166)
つまり、その時の彼女には「薬物が必要だった」(p146)と指摘している。だが、彼女は薬物が「必要だった」とは語らず、「自分は弱い人間だった」と語る。一方、岡本さんは、酒井さんの内在的論理を次のように読み解く。
「酒井さんの『自分の弱さや悩みをどんなときも一切見せない』姿は、周囲の人からは『芯の強さ』と映るでしょう。しかしこれはまったくの誤りです。酒井さんの内面を考えれば、『芯は脆い』と言うべきです。本当に『芯が強くなる』ための条件は、誰かに心を開いて悩みや苦しみを話して、人からエネルギー(=愛情)をもらうことです。そうして心はたくましくなる(=芯は強くなる)のです。」(p149-150)
酒井さんがどうして「弱みや悩みをどんなときも一切見せない」のか。それは、岡本さんによれば、彼女の幼少期の経験による、という。出生後に両親が離婚し、親戚に育てられ、7歳との時に「実の子ではない」「父が引き取ると言っている」という事実を突きつけられ、その後、父と2番目の母、3番目の母と暮らしてきた、という辛い幼少経験を持つ酒井さん。彼女は父に一度見捨てられた辛さや苦しさ、怒りを素直に表現せず、「良い子」として父や義母に認められたい、受け入れられたい、と必死になってきたという。そして、岡本さんによれば、犯罪者の中にはこのような幼少期の別離や過酷な体験により、「いい子」を必死で演じたり、逆に不良行動をしていくパターンが極めて多い、という。
岡本さんは、このような幼少期を持つ子どもが全て犯罪者になる、と言っている訳ではない。だが、このように「弱みを見せない」「迷惑をかけない」「いい子」が陥りがちな、次の特性が問題だ、と指摘する。
「酒井さんには『~ねばならない』という完全主義的な価値観があるのが分かります。『~ねばならない』という価値観は自分自身を追い詰める危険性があります。こうした考え方を貫こうとすると、どこかで自分に無理をすることになるので、生きづらさやストレスをもたらします。」
「大切なことは、『いい大人』を子どもに見せるように努めることよりも、親である酒井さんが息子に『ありのままの自分』を見せることです。そうすれば、子どもも『ありのままの自分』でいられます。」(p168)
そう、酒井さんも「ありのままの自分」を素直に出せず、「良い子」を演じてきたのである。その中で、数多くの「~ねばならない」を必死に演じ、その努力の甲斐があり、日本のみならずアジア圏にも人気が出るスターになった。だが、彼女は人に頼ることが出来ない生き方を、「芯が強い」と誤解したがゆえに、ストレスや苦しさも自分でため込み、薬物が「必要」になるほど、「芯が脆い」状態に追い込まれていったのだ。そして、こういう構造は、多くの犯罪者に共通している、という。つまり、「人に迷惑をかけない」「弱みをみせない」「いい子」だからこそ、その論理的帰結として、ストレスをため込み、自分を傷つけたり、他人に害を与える可能性がある、というのである。
では、どうすればよいのか。
岡本さんは、「ありのままの自分」を素直に認めることだ、という。そして子育てにおいては、子どもと親の相互関係のなかで、まずは親から変わるべきだ、という。
「テストで悪い点を取ってもOK、試合で負けてもOK、勉強でも運動でもお兄ちゃんに負けてもOKと伝える事で、子どもは『自分は今の自分でいいい』と思えます。そして、子どもが『自分は今の自分でいい』と思ったときこそ、自分から『頑張ろう』という気持ちを持てるのです。」(p215)
これは「ありのままの子ども」を、そのものとして受け止めること。親の価値観に当てはまった時にのみ褒める、という「条件付きの愛」では、子どもに我慢を強いたり、あるいは親の顔色をうかがう子どもに育ててしまう、という。だからこそ、「今の自分でいい」というメッセージを大人が子どもに伝えることで、子どもは安心して育ち、「頑張ろうという気持ち」が持てるという。
では、酒井さんのような事件を起こしてしまった人は、どのようにして回復していくのか。岡本さんは、こう語る。
「(自分は出生時に親に捨てられたという:引用者注)悲しい現実を、わずか7歳だった少女は『一人で抱え込』まざるを得なかったのでしょう。本当はつらいので避けて通りたいことですが、事件を起こした酒井さんが向き合わないといけないのは、このときに封じ込めた否定的感情なのです。」(p152)
「心の傷は、身体の傷と同じで、外に出さない限り消えることはありません。結局、否定的感情を出せないまま出所して、彼らの半数はまた何かのトラブルでカッとなって大きな事件を起こしてしまうのです。」(p163)
「酒井法子さんは、本当はものすごく傷ついていたのです。それもわずか7歳の時に。それをきっかけに人に甘えられなくなった(頼れなくなった)酒井さんは否定的感情をどんどん抑圧させ、長い時間をかけて傷は深くなっていきました。大きくなった心の傷は今も癒やされているとは思えません。」(P164)
「ありのままの自分」を承認する。そのためには、まず「ありのままの自分」を出せない原因になっている「否定的感情」を「抑圧」せずに、封印を解く必要がある。しかし「迷惑をかけない」「いい子」にとって、これこそが最も苦しいことである。一人でそれを行うのは、そう簡単ではない。また「弱みを見せることが出来ない」という表面的な「芯の強さ」=実質的な「芯の脆さ」を抱えていると、なおさらそれはしにくい。
でも、本当に更生しようと思うなら、「世間に迷惑をかけた」と謝罪する前に、自分の中での許せない・悔しい・惨めな・辛い「否定的感情」の蓋を開ける必要がある。この蓋をしたまま、表面的に強がることこそ、深尾先生の「蓋」概念そのものである。
「社会でよりよく生きるために、自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする場合、もっとも恐れるのは、自分本来の本性を覗き見ることであろう。自分でも本性の姿を忘れてしまえるほど分厚い『蓋』を構築し、社会の期待する自己を首尾よく演じた場合には、もはや自分自身の本来の魂は、暴力的な発露の機会でもうかがう以外に表出する可能性はまずない。あるいは、それが内側に向かって蓄積されてゆく場合には、身体を蝕み、自己の崩壊を招く。」(『魂の脱植民地化とは何か』深尾葉子著、青灯社、p24)
酒井さんが、「身体を蝕み、自己の崩壊を招く」プロセスとは、「自分の本性に『蓋』をして、獲得された人格を懸命に生きようとする」プロセスそのものだった。だが、それを生真面目に追い求め続けた結果、自分自身の人生が破綻した。ゆえに、その後彼女が同じようにまた「本姓に蓋」をしたまま「いい子」を演じると、元の木阿弥になる。
彼女にとっては辛いだろうが、本当に必要なのは、「抑圧」し「蓋」をした「否定的感情」を、そのものとして眺めること。「社会の期待する自己」という「体裁」を脱ぎ捨て、「ありのままの自分」を捉え、「本来の魂」を取り戻す事である。そして、本当に犯罪者を更生させたければ、単に厳罰化したり、家族も含めてさらし者にしてバッシングするのではなく、このように「否定的感情」と向き合う支援をすることが、一番大切なのだ、と改めて学ぶことが出来た。
更にいえば、「それでも厳罰化が必要だ」と言う人もまた、「迷惑をかけてはいけない」という「いい子」の呪縛や「蓋」が強く、「自分自身の本姓をのぞき見る」ことが怖い、人なのかも、しれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。