相模原の事件に関して、ヘイトクライムは「あかんもんは、あかん」という原則を書いた。また、措置入院の患者は出すな・GPSで追跡せよという思想と、「障害者は生きるに値しない」という発想自体が、「同じ穴のむじな」であることも指摘した。その上で、もう一つ、原理原則として指摘しておきたいことがある。それは、「なぜ、人里離れた入所施設に、障害者は大量に集められて、隔離収容させられていたのか?」という問いである。「なぜ、重度障害者の暮らしは、他の人の暮らしとわけるのか?」という問いである。
僕は2003年の秋から2004年の春にかけての5ヶ月間、スウェーデンに暮らしていた。ちょうどスウェーデンは、2003年に知的障害者の入所施設をゼロにした。1999年12月31日までに入所施設を完全閉鎖にする法律を作って、その期限内には達成できなかったが、その3年後にはきちんと達成した。「やまゆり園」に集団で暮らしていた、強度行動障害とラベルが貼られた人も、また重症心身障害の人も含めて、日本では「この人達は施設しかない」と言われている人も、施設ではなく、地域で暮らしていた。その実態を調べるために、スウェーデンのイエテボリを拠点に、LSSという法律と支援の実態、それを理論的に支えているノーマライゼーションの原理を書いたベンクト・ニィリエのインタビューなどをして、一本の報告書にまとめた。
強度行動障害とラベルが貼られる人の中には、言語的なコミュニケーションが非常に苦手な人もいる。こちらが口で伝えることも、理解してもらいにくい、だけでなく、相手が何を伝えようとしているのかも、わかりにくい人がいる。そういう人と接する経験が少ない・あるいは相手の事を理解するノウハウに乏しい人だと、本人の訴えや主張が理解できず、「ああいう人に人格があるの?」という、恐ろしい差別発言をしてしまう。今回の容疑者も、そういう意味では残念ながら支援の素人だったと思われる。
ただ、強度行動障害や重症心身障害の人々も、接していると、実に豊かな個性を持っている。例えば、壁に頭を打ち付ける「自傷」や、他人に大声で怒鳴る「他害」とラベルを貼られる行為も、実はその人と関わる支援者との関係の中で発生している。例えば、ご本人にとって不快・不安なことが起こった時、それを表現する言語的手段がないが故に、頭を壁に打ち付けたり、大声で騒ぐことで、「わかってほしい」と必死の訴えをしている。その際、支援のプロに求めらるのは、本人の「自傷他害」行為を非難する事でも、「ああいう人って人格があるの?」と馬鹿にすることでも、ない。そうではなくて、そのような行為を通じて、何を訴えようとしているのか、どう関わればその行為が減り、ご本人の笑顔が増えるのか、を関わりを通じて考えることである。
スウェーデンの知的障害の理解に関する古典的教科書の中では、そのような知的障害のある人の内在的論理が書かれていて、どのように関われば、本人の快に導くことが出来るか、が整理して書かれていた。そして、重症心身障害のある人でも、パーソナルアシスタンス(日本でいう重度訪問介護)を使って一人暮らしをしていたり、あるいは強度行動障害に理解がある職員と共にグループホームで暮らしていた。そもそも、じっくり関わる事で関係性を築くことが大切なのに、集団管理と一括処遇をする場では、不適応を起こして、それが自傷他害という形での訴えを起こしているのだから、入所施設より少人数での暮らしの方が本人が安定する、と言われていた。
また、日本に帰国後、西宮の青葉園でもフィールドワークをさせて頂き、日本の中でも、そのような本人中心の関わりをすることで、重度の障害を持つ人でも地域で支え続ける仕組みを作り上げた現場がある事を、肌身で実感した。山梨では「国立病院重心病棟」のようなところに一生暮らしているような、医療的ケアが必要な障害者であっても、訓練を受けた介護・看護の人々のケアに支えられ、グループホームやアパートでの一人暮らしを続けている。そんな障害者が西宮には沢山いた。日本でも「やれば、できる」ということを実感していた。
だからこそ、事件の詳細を聞くにつれ、「なぜ、わけて、集めていたのか?」という根本的な問いが浮かぶ。本人中心の支援が出来る支援者と共に、グループホームや一人暮らしが出来ていれば、そもそも「入所施設」に暮らす必要がなかったのではないか。19人もの命が一気に奪われたのは、普通ではあり得ない人数が1カ所で暮らしていたことに、根本的な原因があるのではないか? 入所施設の警備を強化したり、防犯カメラを増やしたり壁を高くすることよりも、そもそも入所施設を減らし、地域での暮らしを支える態勢に切り替えたら、このような「大量虐殺」は防げるのではないか。なのに、障害者を「わけて収容する」ということへの問いは、なぜ主題化されないのか? 事件が起きて以来、ずーっとそのことが気になっている。
入所施設で30年、40年と暮らしていた人は、どんな気持ちで暮らしていたのだろう? 人生の膨らみのない、同じ場所にずっと収容され続ける事って、どんな気持ちだったのだろう? 諦めや絶望を感じていたのではないだろうか。そんなことが容易に想像出来る。
だからこそ、スウェーデンで成文化された「ノーマライゼーションの原理」に立ち戻る必要がある。この原理を提唱したスウェーデン人のベンクト・ニィリエは、今から半世紀近くまえ、1969年の段階で、こう整理している。
1,ノーマライゼーションの原理は、知的障害者に一日のノーマルなリズムを提供することを意味している。
2,ノーマライゼーションの原理はまた、ノーマルな生活上の日課を提供することでもある。
3,ノーマライゼーションの原理はまた、家族とともに過ごす休日や家族単位のお祝いや行事等を含む、一年のノーマルなリズムを提供することを意味する。
4,ノーマライゼーションの原理はまた、ライフサイクルを通じて、ノーマルな発達的経験をする機会を持つことを意味している。
5,ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に配慮され、尊重されなければならない。
6,ノーマライゼーションの原理はまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。
7,知的障害者ができるだけノーマルに近い生活を得られるための必要条件とは、ノーマルな経済水準が与えられることである。
8,ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。
(ベンクト・ニィリエ『再考・ノーマライゼーションの原理』現代書館、より)
「やまゆり園」に暮らしていて、容疑者に殺されてしまった方々は、そもそも「ノーマルな一日のリズム」が提供されていただろうか。一人暮らしや、居酒屋で飲んだり、ディズニーランドに遊びに行ったり、というような「ノーマルな発達的経験をする機会」を持っていただろうか。「本人の選択や願い、要求」が尊重されていただろうか? それらのチャンスが提供されず、集団管理と一括処遇が基本になるような場に収容されていたならば、人間的な暮らしが出来ず、人間らしい輝きや魅力がどんどん奪われていくのではないか。そして、本来はそういう非人間的な処遇のあり方こそ告発したり、本人と共に地域で暮らすチャレンジをすべき支援者が、「非人間的な処遇」ゆえに非人間的な表情やふるまいをする個人に「生きていても仕方ない」というラベルを貼り、抹殺するに至ったとすれば、そのような環境こそ、大きく問われなければならないのではないか?
繰り返し述べるが、スウェーデンではこのノーマライゼーションの原理が出来てから30年で、知的障害者の入所施設をゼロにした。理念のあるべき姿と方向性を愚直に追い求めたら、入所施設こそ必要ない、というシンプルな結論に辿り着き、それをしっかり実現した。一方日本では、ノーマライゼーションの原理が英語で発表されてから50年たっても、未だに入所施設での収容が続いている。そして、今回のような残忍な事件があっても、この入所施設への収容という構造自体が、問われることはない。
僕は、この構造こそ、問い直す必要がある、と思っている。「そもそも、わけることこそ、変であり、オカシイ!」 これも、繰り返し言っておきたいポイントだ。本当にこのような残忍な大量虐殺を防ぎたいなら、このような収容環境こそ、解体すべきである。地域で支援する為の施策をきっちりと打つべきである。防犯カメラや、高い壁を作ったところで、根本的な解決策にはなるはずもない。
障害者の入所施設への収容は、他の者との平等を重視する障害者権利条約にも違反しているし、差別政策である。そもそも、この施設入所の現状を、今こそ問い直す必要がある。