支援の閉塞感の彼方に

「優れた知とは、それが知ることのできないものの前で立ちどまる。」
(『荘子に学ぶ』ジャン・フランソワ・ビルテール著、みすず書房、p60)
こないだ神保町の本屋で買い求めた新刊は、それまであまりご縁がなかった「荘子」を、哲学者という視点で捉えなおし、その本質を実にわかりやすく伝えてくれる、おそらく「今年最大の収穫(の内の一冊)」になる、キーブックであった。その本を読み進める途中で、たまたまアポイントを入れて訪れた現場で、この本とシンクロニシティの体験をすることになるとは、思いもよらなかった。
来月の2月18日、山梨で共生型ケアを展開されている「かんむら」さんが、共生型ケアの元祖、富山の惣万さんたちを呼んだ講演会+シンポジウムを主催される。その第二部で、障害者と高齢者の支援の重なり合い、という観点から、僕もシンポジストの一人として呼ばれることになった。だが、共生型ケアは話を聞いたり映像を見たりしたことはあったけれど、実際に訪れたことがなかったので、シンポジウムの前に一度訪問させてください、ということになった。
そして、昨日の午後、訪れた「かんむら」で僕が見たのは、まさに「知ることのできないものの前で立ちどまる」という現象であった。
よそのデイサービスで「問題行動」を取り、出入り禁止となった人。ターミナルなので見れませんと言われた人。○○だからうちには無理、と言われた人・・・。そういう人々がこの「かんむら」に集っている、という。しかも現場は、小学校低学年の子ども達もぎゃーぎゃー騒いでいるし、障害のある若者も有償ボランティアに来ている、そんな、これまでの「デイサービス」の「整った空間」とは間逆の場所。だが、その混沌とした空間の中で、不思議と皆さん、自分らしさを取り戻している、という。暴力行為が減ったり、無くなったり。笑顔が増えたり。子ども達に優しく諭す認知症のお年寄りが現れたり・・・。
これらを「家庭的雰囲気」「共生型ケア」という形で「わかったようなふり」をすることは簡単だ。でも、そういうものではない、とその現場でぼんやりしているなかで、感じ始めていた。
認知症のお年寄りと、元気な子ども、知的障害のある青年、そして看護師や介護福祉士といったスタッフ。それらが一つの家の中で取り交わす相互作用。もちろん、その相互作用は、下手をすれば、単なる雑居部屋となる可能性が十分にある。昔とある県の「共生型グループホーム」なるものが、そういう雑居部屋然とした空間であることを垣間見て以来、なんとなく共生型への嫌悪感=先入観を抱いていた。しかし、昨日訪れた「かんむら」は単なる雑居部屋とは全く違う、混沌とした中にも一つの調和の取れた空間であったような気がする。その秘密は何だろうか。
それは、「かんむら」の代表の岡さんが話していた、「こちらから、特別にプログラムなど働きかけない、仕掛けない」という言葉の中に隠されているような気がする。
こちらから仕掛けなくても、様々な人々(障害者、高齢者、子ども、支援者・・・)が寄り合うだけで、色々な動作やエピソードが始まる。子どもに反応するお年寄り、なんとなくお手伝いをし始める知的障害の青年。あるいはそういう場の中で佇んでいる職員。そういう、意図せざる相互作用の中に、福祉サービスという枠組みの中では「知ることのできないもの」が、「かんむら」という場に立ち現われる。その立ち現れた何かの前で「立ちどまる」ことが出来るのか。あるいは、せっかく立ち現れそうになった相互作用を、「福祉サービス」という枠組みの中に矮小化してしまわないか。
さらに敷衍して言えば、実は福祉サービスや支援と言われるものは、これまで、目の前で繰り広げられる「知ることのできないもの」を、福祉や支援の規格外ゆえに、「なかったこと」にして、無視してこなかったか。自らの理解できる範囲内での現象を、専門家の視点から分析することに躍起になっていなかったか。その標準偏差(=という名の学術体系)の枠組みの外にある何かを、「逸脱行動」「問題行動」「○○スペクトラム」などというラベリングをぺたんとはって、それ以上の意味や内在的論理を追求することなく、「知った」ふりをしていなかったか。「知ることのできないもの」をそのものとして認識し、その前で「立ちどまる」勇気をどれだけもてたのか。「知らない間に、なんだか空間が出来ている」という状態を作るための努力をどれだけしていたのか。「知っている範囲内」に無理やり支援や対象者を押しとどめてはいなかったか。
「あなたの意識的な活動が、より深い源から養われた、もっと無欠な活動に達するのを妨げないように気をつけなさい」(同上、p50)
多様な人が集うことで、その場に生起する無意識的な流動性の渦が流れ始める。その渦を、専門性という名の意識的な働きかけによって、消してはいないか。渦から創発される「知ることのできないもの」を「なかったこと」にすることによって、その場で立ち上がる力動性を限定することになっていないか。
専門性がいらない、といっているのではない。いやむしろ、専門性を十分に鍛錬したうえで、その専門性にすがらない、という熟達が求められる。牛さばきの達人といわれた料理人は、恵王の質問に次のように応えている。
「私は牛を目で見ることなく、精神で見るのです。私の感覚はもはや介入せず、精神が欲するままに動き、牛の輪郭そのものに従うのです。」(同上、p14)
この料理人も最初は「目の前のすべてが牛に見えました」という。だが、鍛錬を積み三年の修練のあとに、「牛の何らかの部分だけをみていました」という。いわゆる専門家がタコツボ的に陥るのも、この「何らかの部分のみをみる」という局所的視点であろう。それでは、部分最適はできても、全体をみたことにならない。だが、熟達する、つまり『荘子に学ぶ』で言うところの下位の状態(レジーム)から上位のそれへと移行するとき、「活動は、意識の統制から解き放たれて、もはやそれ自身にのみ従う」(同上、p15)という。
支援者という「料理人」も、最初は「目の前すべてが牛」である状態から「何らかの部分をみる」という段階にいたることで「専門性」が完成された、と錯覚していないか。本当はその先に、「対象者を目で見ることなく、精神で見る」ことが出来ているか。「知識」にとらわれることなく、「精神が欲するままに動き、対象者そのものに従う」状態(=上位のレジーム)へと移行できているか。
この移行が完成したとき、初めて場全体への配慮ができ、そこから場全体の相互作用を押しとどめることなく、その「知ることのできないもの」の力に身をゆだねる=「精神が欲するままに動く」ことが出来るのではないか。
支援の専門性が、タコツボに入るような閉塞感を、各領域で感じる。それを超えるためには、この料理人が示したような、あるいは「かんむら」のような場で起きているような、レジームの移行が必要なのではないか。
「人が物の筋道をかき乱し、存在の自然な性質を侵害すると、はかりがたい自然は、作用できない。獣たちは離散し、鳥達は夜に鳴き、災禍が植物におよび、厄災が虫を見舞うことになる。こうしたことは、秩序を調整せんと主張すると生じるのだ!」(同上、p124-125)
「かんむら」において僕が垣間見たのは、そこにいる全ての人々が、その混沌とした空間の中で、なんとなく一つの調和(=筋道)を見出しながら、そこにいる、という感覚だった。それは、ある場を共有する人々が意識的・無意識的に発するメッセージを交歓しあう中で、「存在の自然な性質」を共有しながら、探り当てつつある「物の筋道」だった、とはいえまいか。
一方、支援やサービスの専門家は、しばしば「善きことをなさんとする意図や、他者を助けて導こうとする欲求に駆り立てられたままでいる」(p127)。これを、「秩序を調整せんと主張する」「意図」や「欲求」であると見るならば、その「秩序」とは、いくら相手のことを表面的に慮っているように見えても、その実、支援する側の「秩序」への「調整」の欲望ではないか。支援者側の「あるべき姿」の中に、当事者側を無理やり当てはめようとする、という説得モードだからこそ、その説得に適合しない人は、「問題行動」という形で、反発するのではないだろうか。
その際、本人が納得する形を探し出す、ということは、「人が物の筋道をかき乱」さない、ということかもしれない。その場で生起する様々な想定外のドラマ(=知ることのできないものの)を、「なかったこと」にせず、支援の規格の中に矮小化せず、その「前で立ちどまる」という、知への、相手への、場全体への深い敬意。その敬意を払う中でこそ、支援空間という場全体を、「目で見ることなく、精神で見る」ことが出来るのではないか。そういう視点から振り返ってみると、「自己決定支援と意思決定支援は違う」とか、「認定(上級)○○士が必要だ」とか、そういう議論は、「目で見る」=コップの中、での争いであって、下手をすれば本質を見失った議論に繋がってはいないか。
そんなことを、「荘子」と「かんむら」のシンクロニシティから考えていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。