組織編成の組み替え。
例えば人事異動や配置換えに代表される、組織内部での流動性担保の方策がある。だが、これは多くの場合、玉突き的な、外在的なものであるがゆえに、ピッタリとはまった場合は非常に効果的だが、本人の希望の如何にも関わらず、新たな部署において適性を発揮するか、は、その場に行ってみないとわからない。そう考えると、環境との相互作用という意味では、外在的な変容である。地震の後だろうと関係なく、この4月はこのような外在的変容が日本中で予定されている。我がマンションでも、今日も引っ越しのトラックが止まっている。
そういう外在的変容と対置したとき、内在的変容とは、どのような意味合いを持つだろうか。
ポスト311の、何も手に付かない日々の中で、ふと手にした一冊に、その内在的変容のフックになる一節が書かれていた。
「われわれはみな個人的体験から、世界のなかでのみ、世界を通してのみ、われわれがわれわれ自身になりうるのだということを知っており、また、われわれがなくとも<世界自体>は存続するであろうが、<われわれの世界>はわれわれの死とともに消滅してしまうことを知っている。」(R.D.レイン『引き裂かれた自己』みすず書房、p18)
僕は、この一節に強い既視感を感じた。レインの著作は初めて読むが、この一節は、大学生の頃からずっと感じていたことでもある。きっと池田晶子の著作などを通じて、同様のフレーズに出会っていたのだろうと思う。
由来はこの際、どうでもいい。肝心なのは、今、このフレーズに強い共感を感じるのはなぜか、という点だ。今回のカタストロフィに際して、己の自己も「引き裂かれ」たような衝撃を受けた。ネットやツイッター、テレビなどでの情報の氾濫の渦に呑み込まれ、思考が停止し、「被災地に比べて自分は・・・」と比較不能な事で落ち込み、沈んでいた。ブログの文章を書きながら、頭の中でいくら冷静さを鼓舞しても、圧倒的現実を前に文字通り「身がすくみ」、頭よりも心がショートしていた。その2週間あまりの中から立ち直り始めた時、出発点として偶然(という名のご縁で)手に取ったレインのフレーズに、今、だからこそ、強い共感を覚える。20代から僕の中にあった言葉で置き換えてみたら、こういうことになる。
「僕をめぐる世界は、僕がいなくなれば、オシマイである。」
一見すると刹那的に見えるかもしれない。だが、それはレインの次の一節を補助線に引くと、違う様相を帯びてくる。
レインは、実存主義的精神医学の騎手であり、反精神医学のカテゴリーの中にも入れられている、精神科医である。生物学的な精神医学が隆盛になり始めた1960年代にあって、精神病者の実存に寄り添う形で、狂気を作り出すこの社会の問題性を鋭く指摘した。その意味で、同時代のフーコーと共に、精神医学の権力性・暴力性の問題を焙り出した先駆者でもある。そのレインの28歳の処女作の中に、ポスト311の僕自身の実存と触れあう箇所があるのだ。少し難しい言い方だが、そのまま引用してみよう。
「自己の存在がこの一次的経験的意味で安定している人間では、他者とのかかわりは潜在的には充足したものであるが、存在論的に不安定な人間は、自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである。日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかすのである。一次的存在論的安定が達成されておれば、日常生活環境が自己の存在に対する絶えざる脅威となるようなことはない。生きることについてのこのような基礎が達成されない場合には、ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威となるのである。」(同上、p52)
ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である。地震と津波と原発事故のトリプルショックで露わになったのは、2万人をはるかに越える人々の死であり、生き残った多くの人々の存在論的な安定を衝撃的に奪ったということであり、直接的な被災地だけでなく、放射能汚染の影響もあり、東京も始め、広範囲な地域において「存在論的に不安定」な状態が生まれてしまった。大量生産・大量消費型社会の宿痾のようなものや、蓋をして見なかった事にしていた日本社会の歪みやひずみが、一気に奔流のように表面化してきたとも言える。某知事のように「天罰」と他責的に言い放つ不遜さには全く同感出来ない一方、ポスト311に生じたこの「存在論的な不安定」について、他者の責任ではなく、私自身の本質(=一次的なもの)における「存在論的裂け目」と、個人としては感じざるを得ない。他者への罰、ではなく、私自身への存在論的問いかけに感じてしまうのである。
このレインの著作の副題は「分裂病と分裂病質の実存的研究」と書かれている。私には、統合失調症を抱えた友人や知り合いが何人かいるが、多くの統合失調症の人が言う、「病気のしんどさ」と「生活のしづらさ」の本質的な部分、「自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである」という事の意味が、このポスト311の局面で、少しだけかもしれないが、僕にとってはアクチュアルなものとして感じられている。こんな存在論的揺らぎを、しかも、自身の内面での直下型の出来事として体感した人は、ものすごく圧倒的な恐怖を受け、ズタズタに引き裂かれるだろうな、と、身体から析出された感覚として、共感する。
僕にとってのポスト311の2週間は、「日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかす」ような日々だった。確かに表面的に見れば、山梨は余震があってもひどくはないし、家も仕事場も、殆ど被害がなかった。計画停電は実施されているが、ライフラインもロジスティックも、山梨に関しては問題はない。ガソリンだって、今なら問題なく入れられる。
だが、そういう一見すると安定した日常生活環境にあっても、僕自身の存在論的な安定さに亀裂が入り、引き裂かれた状態で、ぱっくりと存在論的な不安定を目の前にすると、日常生活を普通に過ごすことだけでも、ものすごく大きなストレスと疲れを生じさせる。311以前ならひょいひょい片づけていたハードワークも、優先順位づけに基づく仕事の効率化も、一気に低下するほど、僕自身の「安定度の低い閾値をおびやかす」事態だったのだ。
そんな中で、計画停電のある夕方、蝋燭の灯火だけを頼りに、この間の事を少しまとめるために、ブログ用ではなく、自分自身の心の整理として、文章をリハビリ的に書いていた。レインを手に取る数日前のことである。
「以前から考えていることだが、タケバタヒロシを巡る世界は、タケバタヒロシがいなくなれば、オシマイである。それは明日かも知れないし、10年後、50年後なのか、僕にはさっぱりわからない。
であれば、近視眼的な情報に惑わされて、一喜一憂し、空気を読むだけで精一杯な人生で終わることだけは、絶対に嫌だ。
生きていること。妻と楽しむこと。毎日新しい発見があること。何かをつくり出していくこと。そういうアクティブ・イマジネーションを最大限に意識し、日々の暮らしを祝い、楽しみ、喜びを見つけ出していく。それがまずもって、豊かな暮らしを日々過ごすために、必要不可欠なのだと思う。そうして、自らがアクティブ・イマジネーションを最大化させた生活を送ることが、社会を変え、世の中に貢献すること、つまり必要とされる時に<行為>できることにもつながるのだ。」(2011年3月23日 午後6時)
存在論的な裂け目において、僕自身が、「何のために生きるのか」という、20代前半以後は蓋をしていた課題に、再び目を向けようとしていた。少し前に読んでいた『ユングの生涯とタオ』の中で出会った、「危機とは危険と機会いう表裏一体の局面である」、というフレーズを思い出しながら、己の存在論的危険の局面において、改めて再生の機会を与えられたような気もしている。
刹那的に生きるのではない。それとは真反対で、いつまで続くか分からない命であるからこそ、日々をもっと豊かに、時には祝祭的に、そして実りある内容を持って暮らしたい、という欲望がムクムクと内発的に生まれてきたのである。そうして、自らの存在論的な充溢があるからこそ、他の人の支援や応援という、利他的な<行為>も求められる、必要とされる、と強く実感し始めている。
求められもしないのに、しゃしゃり出る「我が我が」的行動の背後に潜む、アイデンティティの空虚さの埋め合わせ的独我論は嫌だ。とはいえ現実は募金や呼びかけくらいしか出来ず、直接的に被災地・被災者のお役に立てない、という厳然たる事実にも打ちのめされていた。そんな僕にとって、ポスト311の2週間は、自分自身の存在論的安定性の裂け目に直面し、これまでの「経験的意味」を改めて問いなおし、一次的・本質的な部分から己の組織編成の内在的組み替えをしていた日々だったのかもしれない。
そうして、「存在論的裂け目」は、再び後景化しつつある。少しずつ、日常生活の暗黙の前提に支配される日々に戻るのだろう。だが、ポスト311という原体験は、僕自身にも、己の中の本質的な部分に潜む「存在論的不安定性」を直視させた。その経験は、僕をどこに運ぶのか、それはわからない。だが、見てしまった、知ってしまった亀裂と付き合うことが、僕自身の組織変容に課せられた課題なのだと、肯定的に引き受けるつもりだ。
この衝撃を、僕は、忘れまい。