相互的な行為が創り出す支援

震災の後、現地に向けて何も動けなかった数日間は、実にきつかった。

だが、被災地以外でも、様々な支援や義援金を集める動きが始まっており、いくつかのプロジェクトには、直接間接にお手伝いや支援もしている。そういう状況において、今求められていること。それは、行動と行為の違いから読み解けるような気もする。
被災地で何とか役に立ちたいという思いはあっても、相手のニーズに基づかなければ、一方的なお節介になる。また、自己承認や「俺が俺が」を前景化、目的化させた行動であれば、いくら善意志に基づいていても(いやそうであれば尚更)、足手まといなだけだ。
被災地に求められているのは、現地の人々が必要としている本当のニーズを伺い、そのニーズに基づいて適切な支援を行う、という相互的な行為である。
一方的な行動なら、個人の独善的判断で、何でも出来てしまう。だが、相手のニーズに基づいた支援、というのは、相手があるが故、一筋縄ではいかない。更に言えば、前者は自己完結型にもなりがちだが、後者の場合は、より多くの人を巻き込んで、多層的なネットワークを形成していく傾向が強い。前者はトップダウン型に、後者はボトムアップ型に、より親和的なものかもしれない。
平時であれば、継続性や安定性を基盤とした官僚制が確立されていて、指揮命令系統というものも整っている。そこから逸脱する事については、大きな制裁が加えられることも少なくない。だが、今回のような大震災が奪ってしまったのは、そのような継続性と安定性、それに指揮命令系統そのものである。その際、一方的な単独行動が横行すると、ただでさえ混乱している現場の秩序がさらにかき乱され、ぐちゃぐちゃになってしまう可能性が高い。
一方で、現場のニーズと何らかの形でアクセス可能な人々が集まり始めた場合、その現場のニーズをボトムアップ的に拾い上げ、それを資金や物資と繋げるネットワークが形成される。これは、決してトップダウンではなく、あくまでも現場のニーズに基づいた柔軟で動きのあるネットワークではないと、うまくいかない。そして、例えば障害者支援領域では、そのようなネットワークがいくつも立ち上がっている。
どちらも少なからぬご縁のある方々が担っておられる、信用出来るプロジェクトである。内容も、普段からお顔の見える関係のある横の繋がりの拡大・延長線上の中で、被災した障害者を支援しよう、という動きである。これらの動きは、もともとの平時から水平な、ボトムアップ型の繋がりであるし、お顔が思い浮かぶので、すぐさま連携が取れ、かつ必要な支援が動き出しやすい。相手のお顔が思い浮かぶが故に、「我が我が」という支援には絶対にならず、相手のニーズに基づいた支援が着実に実行しやすい。
これを読まれているあなたご自身が、これまでにつながりがある団体や組織を通じて、何らかの支援を求められているなら、もしかしたら既に支援を始めておられるかも知れない。だが、あなたがそういうご縁がないのであれば、例えば上記でご紹介したようなネットワークに寄付をするなども、新たなご縁をつなぐこと、と言えるかも知れないし、単独行動ではない、相互行為の一つの形かも知れない。
それは何も障害者支援に限ったことではない。僕は参加出来なかったが、19日はヴァンフォーレ甲府の選手と山梨学院大学の学生、教職員による、チャリティーイベントが開催された(詳細はこちら)。これは、3月の試合が中止になったけれど、何か震災のことで役に立ちたい、と思ったヴァンフォーレ甲府のクラブチーム側と、この間ホームの試合をサポートし続けて来た、山梨学院大学の長倉ゼミとの協働企画の中から実現したものである。これも、様々な思いが一つになった、という意味では、山梨から東北を応援したい、という相互行為の一つとも言える。
この時期に必要とされること。それは、今、自分の立場で、相互行為として被災地の為に出来ることは何か、と、関連づけて考えることだと思う。単独の行動であれば、思いつくことはあまりない。思いついたとしても、ろくな結果にならならいこともしばしばだ。だが、自分のご縁や関わり、関連性の糸をたぐる中で、自分から、あるいは余所から、声がかかる瞬間があるはずである。その時に、関わりやご縁、きっかけの糸をたぐりながら、相互行為として編み込んでいく、ある種の協働の物語や文脈形成の環の中に入ることが出来れば、そこから、確実に相手のニーズに伝わる回路が拡がるはずだ。
今こそ、相手の立場やニーズ、だけでなく、自分の立場や役割、他人との関わりを改めて見つめなおす時期だと思う。どういう相互行為や文脈の糸の中に自分はいるのか。その文脈の延長線上で、被災地のために、自分の今の場所だからこそ出来ることはなにか。そういう自己を掘り下げる行為を一度くぐらせたあとの、被災地支援は、自我の押しつけではなく、相手の気持ちに寄り添う形での相互行為に成りうる。
この一週間、そういう意味では、動けなくても仕方なかった。でも、向き合う中で、そろそろ色々な声がかかり始める。その声に耳を傾け、動くべき時に、動くべき方向性に向かって、動き始めるタイミングなのかも知れない。そう感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。