プロの本質

 

最近、我が家で飲むコーヒーが美味しい。
豆はいつもと同じ。違うのは、お水。大学の近所にあるスーパーで、カルキ抜きをした!?水をタンクに入れて持って帰ってくる。この水で入れると、全く味が違うと「発見」。それまでに何年かかったんだ?と思う。水の力に、改めて唸る。そう言えば大学でもM先生がブリタの浄水器をお持ちになっておられた。そのお水を頂くと、確かに美味しい。3000円ちょっとで買える、ということなので、僕もつられてネットで注文。水の力を「発見」した秋であった。

で、そんな些末な「発見」とは次元が全く違う「発見」のお話。

「リンゴが落ちるということは、ニュートンに発見される前から、数限りなく起こっていたことだった。リンゴは、人々の目の前で、はるか昔から数限りなく落ちていたのですよ。だけど、誰一人として、そのことを発見しなかった。そんなkとおは当たり前だと思って、見ていても見ていなかったし、ましてや考えなどしなかった。しかし、彼だけが、彼が初めて、リンゴが落ちるという恐るべき当たり前のことを『発見』した。発見して驚いた。『これは、どういうことなのか!』
天才というのは、他でもない『当たり前のことを発見する能力』のことなのです。普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力のことなのです。決していきなり特別なことを思いついたり考え出したりするわけではないのです。だて当たり前のことしか考えていないんだから。もしもそれが特別のように思えるなら、当たり前のことに気がつくという、まさにそのことが当たり前でないということなのです。だって、ほとんどの人は、当たり前のことには気がつかないんだから。」(『人間自身』池田晶子著、新潮社p70-71)

早逝した天才の最後の作品の一つをお風呂で読んでいて、目から鱗、の記述だった。
「普通の人が当たり前だと思って気にも留めないことに気がつく、気がついて追求する能力」、これは、別の言葉に代えて言えば、常識というフレームに縛られず、その常識そのものを疑って、その常識を構成する要素の不思議に気がつき、それを考える能力、ともいえるだろう。私たちは常識という「既存の眼鏡」(フレーム、視点)に無批判に頼ってしまい、「見ていても見ていなかった」部分があるのではないだろうか。それを、きちんと考える。これは、ほんとにやり始めたらとんでもなく大変なことだし、こういう「癖」でも持ち合わせないと、なかなか出来ないのかもしれない。

「私には、本質的にしかものが考えられないという、どうしようもない癖がある。いかなる現実であれ、その現象における本質、これを捉えないことには気がすまないのである。これはもう若い頃からの癖なので、今や完全に病膏肓に入る。
一方で、世間とは、言ってみれば現象そのものである。ジャーナリズム、あるいは大多数の人のものの感じ方、現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆくといったていのものである。平たく言うと、ものを考えるということをしない。『考える』とは、現象における本質を捉えるということ以外でないから、ほとんどの人は本質の何であるか、おそらく一生涯知らないのである。」(同上、p24)

「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」、まさに私自身も、放っておけば、そうなってしまう。それでは何だか変だし、気持ちがよろしくないし、何より同じ事のくり返しのような気がして、最近少しは立ち止まってみる事にする。そして、このブログ上に書き留めておく。まだ、それくらいしか出来ないけど、少なくともそのまま「次の現象へ流されてゆく」ことだけは避けたい、という想いは、池田晶子さんと出会った大学生の頃から、少しずつ、育まれてきたような気がする。

そう思うと、最近読んだ、ある知識人についての批評を思い出す。この人って、「現象を現象のままに受け取り、そのまま次の現象へ流されてゆく」タイプの人だったんだろうなぁ、と。それに、彼の活躍していた場所が、まさに「現象そのもの」を追う、「ジャーナリズム」の世界だった。

「生涯に百冊ちかい著書を出版した清水だったが、そのほとんどは時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となった。清水の著作で、彼の死後もロングセラーであり続けていたものは、『売文業者』を自称する清水が自己の文章技術を解説した、1959年の岩波新書『論文の書き方』のみである。」(『清水幾太郎-ある戦後知識人の軌跡』小熊英二著、御茶の水書房p80)

そう言えば僕も「論文の書き方」しか読んだことはない。その中で洒脱に文章技術を解説する清水氏に、大学時代の「初学者」タケバタは何となく親しみを感じていた。だが、その清水氏を「戦後思想」というフレームで分析し直し、膨大な氏の著作にも目を通した小熊氏は、清水幾太郎は違って見える。

「そもそも、彼に一貫した『思想』が存在したのかも疑問であろう。」(同上、p95)
「もともと清水は、自己の内部に『書きたい内容』があったからではなく、外部への憧憬から文章を書き始めた人間だった。」(同上、p15)

「彼は、知識を『出世』の手段にするというかたちで、社会科学を『活用』した人物だった。彼は後年、『我流のプラグマティズムを密かに信条としている』と述べており、知識人というものを『思想的な問題を書いたり喋ったりして妻子を養っている人々』と定義している。」(同上、p20

この小熊氏の分析を読んでいて、「冷たさ」より「哀しさ」におそわれた。
知識を「活用」して「出世」をするという「我流のプラグマティズム」。文才が人並み以上にある清水は、その「プラグマティズム」で、時代の寵児にもなった。だが、「一貫した『思想』」なるものが存在せず、世間に迎合しようと「次の現象へ流されてゆく」彼の作品は、「時代の変化とともに、発刊後数年を経ずして絶版となっ」ていく。知識人への「憧憬」そのものは悪くないのだが、その本質の取り違えた結果、ご自身は知識人的な『売文業者』で終わってしまったのだ。そのこと自体を生涯「発見」せずに亡くなってしまった、その事実に何だか「哀しさ」を感じてしまったのである。そして、その「哀しさ」の視点は、自身の仕事への自己点検にもつながる。僕自身、「一貫した『思想』」をちゃんと持っているのか。それとも「風見鶏」なのか? 何のために「書いている」のか?

「『食うこと』、すなわち他人や世間を横目に見ながら為される仕事は、それがいかに巧みに工夫された技なのであれ、最初から堕落していると言っていい。(中略)なるほど人は食わなければいきてゆけないが、これをするのでなければ生きていても意味がない。そのような覚悟にのみ、その人の神は宿るのだという逆説を、あまりにも人は理解しない。それで食っていることをもって『プロの誇り』だなど、片腹痛い。」(池田、前掲p77-8)

「これをするのでなければ生きていても意味がない」という「覚悟」を持っているプロフェッショナルとなっているだろうか? そうなろうと精進しているだろうか?これは清水氏にではなく、自分自身に突きつけられている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。