処「法」箋の威力

青木志帆さんの新刊『相談支援の処「法」箋—福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読む。この本、法律の解説本でもあるのだが、そのジャンルのなかでは破格の読みやすさと、面白さ。それは、福祉現場の様々な「困難事例」に、法のアプローチならどう関われるか、を書いているからである。

青木さんは明石市役所に勤める弁護士で、社会福祉士で、ついでにいうとタニマーの活動もされている、魅力的でオモロイ人である。ぼくも以前から仲良くさせてもらっていて、2019年の年末に姫路の飲み屋で昼酒(コロナ危機では出来ないけど)をあおりながら、おしゃべりする中で、「こんな本を書いてみたい」と構想を伺い、めっちゃおもろいやんと、現代書館とお引き合わせをさせて頂いた。そして、出来てみたら、ほんまにオモロイ本で、ぼくもめちゃくちゃ勉強になった。

例えばケース7で出てくる「万引きを繰り返す高齢者」の話。青木さんは、福祉現場でソーシャルワーカー達と仕事を共にする弁護士、というニッチな立ち位置ゆえ、下記のようなエピソードが書ける。

「「なぜ悪いことをした人の支援をしなければならないのか」「私たちが支援をすることで、刑が軽くなるのはおかしいと思う」。
私が、法律相談を聞きながら更生支援をしていたときに、現場の専門職からよく聞いた意見である。私は、これはもっともなことだと思う。ただ、刑事手続きの登場人物たちが福祉的支援を求める目的は、「あるべき刑罰を軽くするため」ではない、ということはどうかわかってほしい。
たとえば、逮捕・拘留をきっかけに、その人の生活を困難にさせていること(障害、認知症、財産管理能力、親の介護と子育てのダブルケアなど)が外部に初めて明らかになることは実際多い。その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい。刑事手続きの関係者たちは、そうした思いで被疑者・被告人への福祉的支援を求めている。」(p133)

これは、法務省の視点だけでも、厚生労働省の視点だけでも、書けない文章である。そして、日本のお役所は一般的に縦割りであるがゆえ、省庁が違うと言語だけでなく価値前提も異なる。そのため、特にこのような罪を犯した障害者・認知症者のように、司法と福祉のどちらのアプローチも求められるけど、両者のアプローチがそもそもだいぶ異なる時に、この二つのアプローチをうまく接続させることは、そう簡単ではない。これは、現場でよく聞く話でもある。

そして、青木さんは、その両方の視点や内在的論理を知る、優れた通訳者的存在でもあるため、お互いの誤解を解くために、すごくわかりやすい例で解説してくれる。上記の場合なら、因果応報的な懲罰の論理に過度に囚われる福祉支援者に対して、「その人を犯罪に走らせたものが、そうした支援で社会内で更生できたほうが本人にとっても社会にとってもメリットが大きい」という論理をわかりやすく教えてくれる。そしてその背後にある「再犯防止推進法」の存在を挙げた上で、「なぜ更生支援を自治体でやらなければならないのか」も説く。そう、実はこれは福祉関係者と行政の間の価値観や認識のズレを埋める本でもあり、青木さんは市役所勤務ということもあって、自治体の論理と福祉・司法の論理の通訳もしてくれる。さすが、マルチタレント!

こういう認識のズレがなぜ生じるのか。青木さんはこんな風にも解説している。

「法律の世界は、原則として『合理的な判断能力のある人』をプレーヤーとして念頭に置いている。このため、福祉の当事者をめぐるケースマネジメントと法律とは、それほど相性が良くない。合理的な判断が難しい状況になる人に用意されている制度は、成年後見制度くらいしかない。医学的な意味で判断能力が低下している場合は成年後見制度を利用すればいい。でも、環境的要因のせいで『なんでそうなるのかなぁ』という選択をしてしまう当事者たちの場合、その困難を解決するのに法律は本当に使いづらい。
だからといって、『解決ニーズがないんじゃ仕方ないね』と権利救済を諦めてしまうのはいかがなものなのだろうか。すぐに分離できなくても、家計を立て直すのに時間がかかりそうでも、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という結論を支援方針の軸としてチームで共有することができれば、少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ。将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考えられたらよいと考えている。予防医学、予防法務的発想に近かもしれない。」(p187)

そう、福祉の分野でややこしいのは、意思決定支援が必要な状態にある人である。それは、「合理的な判断能力」なるものが、一時的であれ、部分的であれ、損なわれている状態にある人のことだ。その理由は千差万別。単に高齢者や障害者だから、だけでなく、そこに多重債務や虐待、DV、8050問題、あるいは周囲の差別的対応など、色々な問題が重なるなかで、「どうしてよいのかわからない」状態に追い込まれる。そういう時に、「福祉の当事者をめぐるケースマネジメント」が求められているのだが、青木さんはその状況は、「合理的な判断能力」を前提とした「法律とは、それほど相性が良くない」とも言う。

でも、この本の良いところは、『法律にあてはめたら本来はこうなる』という方針を支援チームで立て、そこに法律家も協力することで、「少なくとも現状よりも権利侵害の度合いが深まってしまうことは防げるはずだ」と明快に述べる点である。そう、法は福祉的支援に万全ではないが、使えるものはトコトン使おうよ、とその使い方を教えてくれる、道先案内人なのである。事実、弁護士と一緒に仕事をするにはどうしたらよいか(ケース10)とか、債務整理の類型と具体的な違い(ケース2)とか、虐待防止法とDV防止法の使い勝手の違い(ケース6)とか、法学部で勉強するか、公務員試験を受けるとかしないとお目にかからないような知識を、本当にわかりやすく解説してくれていて、ぼくも勉強になる(前任校では法学部に13年勤めたけど、不勉強で知らないことだらけだった・・・)。

そして、こういう具体的な知識を福祉現場の人が身につけることによって、「将来生ずるかもしれない、深刻な法的な危機を予想し、そこから逆算して支援者としてできることを考え」る、事前予防的なアプローチが取れるのである。さらに言うと、弁護士や司法書士クラスタの人は、この本を読むことにより、福祉現場の人が何に困って、法律クラスタの人と近づきにくいか、とか、福祉現場の支援者が大切にしている価値前提や、連携の際に躓きやすいポイントとはなにか、を知ることも出来る。行政職員であれば、これからの自治体行政において、福祉と法がどう連携してことに当たる必要があるか、を理解することもできる。

そういう意味では、一粒で何度も美味しい処「法」箋なのであった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。