「仮想敵」という枠組みからの脱皮

 

年末の甲府最終日、プールとサウナに入った後に乗った体重計は75キロ!を指していた。

思えば今年の年始、正月実家暴飲暴食ツアーから帰った時には、84キロを迎えていた。そこで一念発起して運動と食事のコントロールを始めて早一年。75キロなんて夢のまた夢、と思っていたら、案外来れてしまった。ただ、予断は許さない。何故って先週までは77キロとか78キロ手前だったのに、クリスマスの風邪で2,3日あまり食事摂取から遠のいていた、その後の事だからだ。だから、明日からの「正月実家ツアー」に出かけると大変アブナイ。今年は鞄にスニーカーをいれて、出来れば二日に1度は1時間くらい散歩して、何とか激増を防ぎたいのだが

もちろん、その前に一応煤払いも行う。とはいえ、予定もタイトだったし、昨日今日で終わらせる。しかもパートナーがもともとこまめに掃除してくれていたので、結構早く終了。いやはや、感謝、感謝である。で、一番汚いこの仕事部屋を整理していたら、「読んだ後にブログに書こうとして書類に紛れてしまった本」をいくつか発見。それらをぱらぱらめくっていたら、ほほう、という記事に出会った。

「武道は補正と微調整の『折り合い』の芸ですから、その点が面白いのです。武道の技術的な目標は『敵を倒す』ではなく、『敵をつくらない』ということです。(略)『敵をつくらない』というのは、その敵対要素について、そういうものがもうここにある以上、それが出現する以前の現状に回復することはもう考えず、これから先の人生はこのものの存在を勘定に入れて生きる、というふうに考え方を変えることです。(略)与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろうという技術的で限定的な問題に心身を集中する。」(養老孟司・内田樹『逆立ち日本人論』新潮選書、151-153)

この内田先生の「折り合い」の説明は、今年の竹端の仕事を象徴するような話である。

今まで、黒か白か、の二項対立的世界、あるいはこのブログでさんざん書いてきたフレーズで言えば、「あんたは間違っている(=You are wrong!)」という背景にある「そういう私は正しい」(I am right!)という枠組みでモノを見がちだった。だが、傍観者ではなく、コーチ役として現場に立つ立場になると、こういう誰かをワルモノにするロジック、では必ず陥穽に至ってしまう。単一の(モノクロの)理由を作り上げると、その批判された側からのハレーションに必ず合う、という失敗を繰り返してきたのだ。つまり、自分の元々ある枠組みに固執して、新たな要素は、その枠組みの内か外か、のどちらかに無理矢理入れて、世界を納得しようとしてきたのである。書いていて情けないが、随分薄っぺらな世界観だ。

そんな世界観だから、あちこちで「それはちゃうでしょ!」と指摘され、赤っ恥をかきつつ、修正してきた。そう、「このものの存在を勘定に入れて生きる」しかないのである。すると、自分のちんけな枠組みを脱構築するなかで、「与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろうという技術的で限定的な問題に心身を集中する」しか、自分が出来ることはないのだ。で、この問題に「心身を集中」する際に、大切になってくるもう一つの問題については、もう一冊の「煤払い本」に書かれていた。

「あなたが偏見に満ちた批判的な態度で接すれば、相手も同じような態度で接してくる。反対に、相手を受け入れ敬意を示して耳を傾ければ、やはり相手も同じように接してくるだろう。(略)あなたが相手を受け入れる程度に応じて、相手もあなたを受け入れるかどうかが決まってくるのだ。(略)相手からの返答は自分の接し方へのフィードバックだ。」(マデリン・バーレイ・アレン『ビジネスマンの「聞く技術」』ダイヤモンド社、206-207)

相手を「仮想敵」と見なすかのような「偏見に満ちた批判的な態度」であれば、それは無理矢理「敵」を増やすのと同じである。だが、、『敵をつくらない』ように、「相手を受け入れ敬意を示して耳を傾ければ」、そこから「折り合い」が産まれる。自分の薄っぺらな世界観に固執するのではなく、「与えられた状況でのベスト・パフォーマンスは何だろう」と考えようとするのであれば、このような積極的妥協、ともいえる「折り合い」が必然であろう。

前回も書いたが、20代から最近になるまで、随分肩肘を張ってきた。周りに認められたいから、と、背伸びをするあまり、「仮想敵」を作りまくって、「あれもダメ、これもダメ」と非協調的対応だった。だが、30代の半ばに近づく年になり、気がつけば、自身の発言に、注目が集まるし、若干なりとも影響される方々も出てきはじめた。それなのに、子供の物言い・子供の世界観、であれば、迷惑千万だし、誰にも聞いてもらえない。ちゃんと耳を傾けてもらえる立場に立たせてもらったのだからこそ、自分が誰よりも相手に対して敬意を払わねば。煤払いの二冊は、えらいもうけもんの二冊だった。

あ、明日は4時起き、5時出発なので、ボヤボヤしてないで、床につかねば。
では、次はうまくつながれば、岡山の山間からです。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。