はやりものに捕まってしまう。そう、今年流行の胃腸にくる風邪だ。
土曜の夜に、東京で買ってきた生ハムとチーズに、クリスマス用に取っておいた、ちと高いワインを空けてみた。そこまでは問題なし。日曜日は何だか朝、全く何もする気がおきず、ぼんやりテレビの前で過ごす。そして、昼にパートナーが作ってくれた少しオイリーなパスタを食したあとくらいから、何だか胃もたれする。ま、そのうち消化すると思いながら、プールで一泳ぎして、帰りは鳥一でクリスマス用の鳥の丸焼きも購入。この日は行きつけのぶどう農園で今年出来た白ワインの一升瓶を一ケース、分けてもらったので、「今宵は地鶏に地ワイン」と考えていた。ところが…
帰宅後、半身浴をしていたが、やはり胃の不快感が無くならない。胃薬もあまり効いていないようだし、それに何より関節や背中が痛む。もしかして…、やはり風邪のようだ。その時、風呂で読んでいた本の一節からいろんなことを思い出す。
「何かを失うための最良の方法は、それを離すまいともがくことだ」(G・M・ワインバーグ著『コンサルタントの秘密』共立出版、p131)
このワインバーグ氏の箴言から何を思いだしたかって? それは、「六甲山の法則」である。
昔から、少年タケバタヒロシは胃腸が弱かった。そのくせ食い意地が張ってついつい食べ過ぎるから、よくお腹を壊したものである。そんなヒロシ君の、ある休日の話。その日は六甲山にドライブに連れて行ってもらえることになっていた。ヒロシ君は大のドライブ好き。父親の運転する車の助手席に座っているだけで、うきうきする、そんな少年だった。だが、そんな楽しいドライブの当日、ヒロシ君は誰にも言えない悩みを抱えていた。それは、お、お腹がいたいのだ。昨日食べ過ぎたからかもしれない。とにかく、下痢気味でしんどいのだ。でも、ヒロシ君はどうしてもドライブに連れて行ってもらいたい。せっかくのチャンスを台無しにするのでは、と思うと、正露丸を親に隠れてこっそり飲んで、我慢して六甲山まで向かった。その結果…、六甲山で酷い下痢に見舞われ、しかも夏なのに六甲山は寒かったこともあり、さんざんな目にあったのだ。
なぜ20年以上前のこんな逸話を思い出したのか。それは、「したいことが後に控えていると、無理をしてでもそれを遂行しようとする」という自分の癖を思い出したからである。例えば、せっかく地鶏と地ワインを買って、パートナーと二人で食そう、としているのだから、無理をしてでもそれを実現しよう、と。予期された楽しみの為には、諦めずに我慢してでも遂行しよう、と。でも、それって、「それを離すまいともがくこと」そのものであり、その結果として「何かを失うための最良の方法」になってしまっているのだ。
焦る必要はない。鳥もワインもドライブも、また今度があるのだ。「今日しかない」と近視眼的に求めるからこそ、無理と歪みが生まれ、うまくいくはずのものまで台無しにしてしまう。今は食べ物の話だけれど、それ以外にも、いろんな事に対して「離すまいともがく」ことによって、結果的にそれを失ってこなかっただろうか。そんなことに気づいてしまったのだ。
「六甲山の法則」は、ほどよい諦めの決断が、次につながることを教えてくれている。そして、この無理をしないというほどよい諦めを知る人のことを、世の中では「おとな」と呼ぶらしい。32も終わりになって、ようやく大切な大人の一箇条を知ったようだ。