パラダイムシフトに向けて

 

<3月27日(月)午後4時 バンコクのプリンスパレスホテル>

25日から3日間、アジアの障害者が集まった会議でバンコクのホテルに缶詰になっている。しかもこのホテルはネットがつながらず、さらになぜか泊まっている部屋の外線電話も死んでいる。で、朝から夕方まで議論が続き、夜は夜で飲みながら議論を続けていると、結局ネットカフェに行く間もない。というわけで、ここ数日、ネット生活から遠ざかり、目の前の会議にのみ専心する日々が続いた。まあ、こういう風にネットを見ない日々が続くことは、精神衛生上はよいことである。ただ、昔なら3,4日時間をおくと言うことは、ほとんど何の問題もなかったのだが、メールでばりばりやり取りするようになった今日、ネットにつながっていない、というのはどことなく、「取り残された感」がなくはない。まあ、これは立派に「ネット依存症」の一歩手前、といえるだろう。

この会議は無事に今、閉幕式を迎えている。この3日間、アジア太平洋地域の9カ国の障害当事者リーダーが集まって、実に深い議論をしていた。その議論は大きく分けると、次の5つの話題について議論していた。

1,障害当事者のcapacity buildingempowermentをどう進めていくか
2,社会の側の差別・偏見をどう取り除くか(public awareness)
3,社会福祉サービスに関して、慈善や哀れみに基づく支援のあり方(charity based)から、当事者の権利を促進する支援のあり方(rights based)にどう変えていくか

4,国連で今議論されている、「障害者の権利条約」制定に前後して、アジア太平洋の地域で障害当事者の権利をどう促進するためにネットワークを組めるか?
5,日本を始め障害者差別を禁ずる法律が制定されていない国々で、法制度の制定や個別救済などのアドボカシーを進めていくためには何が必要か?

これらの重要な議題について、参加9カ国の実情をシェアする中で、どのように実体化していけばいいのか、の方策を探る入り口となる会議であった。こういう議論はすごく大切なのであるが、日本に帰ると目の前の現実(=4月1日から施行される自立支援法など)に囚われて忘れがちな視点なので、少しこの5点について、覚え書き程度に論じておきたい。

1つめの障害当事者のcapacity buildingempowermentについて。エンパワメント、という言葉は障害者支援の世界でも最近聞くようになってきたが、後者のcapacity buildingについては日本の福祉業界では耳馴染みのない言葉だ。だが、国際的な障害者運動の文脈や、あるいは国連の主に開発分野での議論では、ごく当たり前の議論になっている言葉である。その人の潜在能力をどう開発して、開花させていくか。あの、アマルティア・センの思想につながる考え方だ。アジアの文脈で言えば、障害を持ったことが自分のせい、あるいは前世の悪行のせい、と必要以上に自分で背負い込んでしまい、社会の中での様々な障壁に関しても、「超えられない自分が悪い」「しかたない」と諦めてしまう状態がある。これは、実は支援する側のアプローチを変えれば、あるいはバリアとなる社会環境の方を障害者にアクセシブルなものに変えていけば、十分に障害当事者にとっても諦めなくてもする状態へと変化していくはず、なのだが、この辺のところが自信や自己肯定感の低い状態の障害当事者にはなかなかしっくりこない。これを、仲間の障害当事者の声や、継続的支援を通じて変えていき、「自分の夢を我慢しなくても、諦めなくてもいいんだ」と思えること。これがcapacity buildingの核心であり、スタートである。

だが、本人の意識が変わっても、社会の側の認識が障害者に対して差別的なものであれば、社会的障壁はなくならない。その際に大切になってくるのが、2つめの社会の側の障害者に対する意識をどう変えていくか、という「社会の気づき」の問題だ。日本でも国主導による「普及啓発」の活動は行われているが、たとえばメディアによる障害当事者の特集などあまりないし、ましてや小学校中学校レベルでの障害教育はほとんどない。もっといえば、障害児を普通学校から政策的に「隔離」してしまっていることに、問題の根元のある部分はあるのだが・・・。この点はもちろん一概には言えず、またじっくり一度考えなければならない課題だ。また、僕の研究課題で言うと、障害者の支援に携わる「支援者」のcapacity buildingもこの観点では大切になってくる。支援者が「当事者中心主義」という「気づき」に基づき、まず支援する自分たちが「支援する主体」から「生活主体者を支える黒子」へと変わっていくことが出来るかどうか、が鍵となってくるだろう。

そして3つめは、日本にもまさに当てはまる問題だ。日本の社会福祉サービス法が、障害者の権利を促進する「権利法」となっているか? 残念ながら、そうはまだ、なってはいない。また支援者の接し方をみていても、当事者を「指導する」「教育する」といった上下関係の枠組みから抜けきれない支援者も少なからぬ数、見られる。つまり、これは「かわいそうな障害者」を「優しい支援者」が支援してあげる、という慈善的な視点から脱却し切れていない、といえる。また、社会の側も、障害者支援に関わる人に対して「偉いねぇ」という言葉を投げかける。じつは、この「偉い」という役割付与自体、よく考えればおかしいのだ。だって、給料は低いとはいえ、賃金労働をしている人々が、なぜ「偉い」のか。それは、「わざわざそういうことをやるなんて」という差別や偏見、スティグマの裏返しなのだ。また「そういうことをやる」人は「心が広い」、逆に言えば「私は心が狭いからそういう事が出来ない」というのも、障害福祉サービスを普通のサービスと同等と見なさない、慈善や哀れみの仕事、と見なされていることの証左でもあるだろう。

今、国連で「障害者の権利条約」を議決に向けて、議論が進んでいる。僕も実際にニューヨークの国連議事堂の場での議論を見に行ったことがあるのだが、そのときに一番びっくりしたのだが、必ず障害当事者の国際的NGOが積極的に議論に参加して、条約の細かい文言の一つ一つに障害当事者の視点から注文をつけていたことだった。そして、そのときに、もう一つ印象に残ったのが、次のフレーズをかならず障害者団体は述べて議論を始めたことだ。
Nothing about us without us! 私たち抜きで私たちのことを何も決めないで!」
そう。日本でも、自立支援法の顛末を見ていて一番気にかかるのが、障害当事者の意見や視点を無視したところで、厚労省の意向や、財務省へのお伺い、社会保障改革全体との整合性、といった、障害当事者の思いや願いを無視したレベルで、障害者の政策が決まっていくところである。今回の議論では、アジアの様々な国で、障害者の権利を促進させるために、どう政府と連携して、政府にその政策を盛り込ませるか、ということが検討され、一部の国では実践に移されていた。私たちは、そういった他の国々の努力や実践のよい部分をどう取り込んで、自国の政策への実践に活かしていくか、が問われていると思う。そういう意味で、アジア太平洋の様々な国々の試行錯誤やモデルケースをお互いに学びあい、権利促進を目指して連携していくことは、実に大切になってくる。

で、こういった連携の最終目標は何か、というと、日本の文脈で言えば、世界各国の40以上の国々で法制度化されている、障害者の差別を禁ずる法律をどう日本で実現していくか、ということであろう。今年になって千葉県議会で「障害者差別禁止条例」が上程されたが、結局のところ、継続審議になった。その理由として、堂本知事に対する反対勢力のアレルギーなどが指摘されているが、その背景には、政治的理由以外にも、結局のところ、日本人の「権利」「人権」「差別」などの言葉や概念に対するアレルギーがあるのではないか、と感じている。実は正直僕自身、rights basedという言葉の方が、「権利に基づく」というよりしっくりくる。それくらい、日本ではこの“rights”という言葉に対するネガティブな意味付与がなされている、と思うのだ。この部分を、うまく日本のこれまで言われてきた文脈なり概念と整合性を持たせながら、日本なりに受容していかないと、結局のところ、権利擁護なんて考えは、夢のまた夢になってしまう。権利概念が元々内発的に生まれてきた西洋と違い、後付的に権利概念を輸入したアジア各国で、それらの権利をどう「内発化」するか? この部分が今、大きくと割れている、と思われてならない。

このように、3日間のアジアの障害当事者の意見交換の場は、日本でもまさに必要となる視点ばかりだった。日本の現実の問題に目を向けるとき、こういうバックグラウンド、というか根本的視点を持って関わるべきなのだが、どうしても現場では変わりゆく制度に対応することに精一杯で、長期的視点が持ちにくい。そういう中で、研究者がすべき事の一つに、charity basedからrights basedといったパラダイムシフトをどう現場レベル・政策レベルで支援していくか、ということが問われている、そんなことを感じた数日間だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。