放ったらかしだった課題

 

気がつけばいつもそうだ。

当該駅に気づく。そう、この駅で降りるのだった。しかし、気づいたときには、時、既に遅し。無情にも電車の扉は閉まるところ。ああ。今日は大和八木で通り過ぎ、降りたのが大和高田。かくして、久しぶりに電車を乗り過ごした。

三重で仕事の打ち合わせをし、松坂で美味しいホルモン焼きを頂いた。松阪牛の聖地では、「放るもん」も、味わい深い。デブを覚悟で、ぱくぱく、グビグビ。そして、上本町行きの特急に乗り込み、気がつけばiPodなんぞ聴いている。これが危ない。遮音してクラシックを聴いていると、それは中途半端な睡眠薬より、よほど良眠に誘うのだ。しかも、満腹で、さらには酔っぱらっている。これで眠くならない方がおかしい。不幸中の幸いは、終電ではなかった、ということ。特急の終電は逃したが、大和八木で何とか京都行きの急行を捕まえる。これならば、実家に日付変更線を超える前にたどり着けそうだ。やれやれ。

つかの間の夏休みは終わり、すっかり仕事モードに復帰している。昨日は我が家の大掃除。玄米に大量発生してしまった米虫と戦うために、必死になってベランダに天日干しをする。ついでに換気扇やレンジ周りの汚れを取り、フードを取り替える。こういう日常業務をきちんきちんとこなさいと、生活のリズムを立て直せない。逆に言えば、真実は細部に宿る、ではないが、こういう一つ一つの営為をする中で、休暇モードから仕事モードへのスイッチングが可能になるのだ。ま、今日の寝過ごしは、「休みボケ」ですね。

今乗っている近鉄急行は、十数年前に本当によく乗った。予備校時代に通った英語塾への行き帰り。大学時代のボランティア現場、そして大学院生のフィールド先やバイト先。なぜかどれも近鉄沿線や周辺だったので、それこそ日常的に乗っていたのだ。そして、酔いどれの意識は、必然的に10代終わりから20代にかけての時期を彷徨いはじめる。

当時も今も、キャパシティが狭い、能力不足、なのに背伸びをしてることには何ら変わりない。だが、気が付けばその質感というか、背伸びする中身、が変わりはじめているようyな気がする。その昔、近鉄線に乗っていた頃は、とにかくがむしゃら、というか、目の前にある課題に脇目もふらずに必死に食らいつくしかなかった。今だってがむしゃらモードではあるのだが、多少の悪知恵と経験則に縛られて、突破者的な破天荒での飛び出し、はしなくなっていた。ある程度の枠組みの「際」をみながらの、世間との折り合いのギリギリの範囲内を飛んでいるような気がする。

これが良いことなのかどうなのか、はわからない。ただ、何度も書いて恐縮だが、「○○は悪い(と指摘する私は正しい」というスタンスが鼻についてしまい、以来、糾弾モードでは考えられなくなった。すると、破天荒な物言いではなく、一定のバランス感覚を良きにつけ悪しきにつけ、付けはじめている。

この感覚がいいのかどうかは、正直不透明である。以前なら同じ土俵で議論できなかった人とも対話のチャンスをつかめた、という意味では、良いのかもしれないが、日和見主義と後ろ指さされる可能性も常に内包している。さじ加減、というか、三途の川のあの世とこの世の境が実に見えにくく、揺れ動く故に、その川を越えずにとこまで踏みとどめるかも不透明だ。追従する(=お世辞を言う)人が増え、本当のこと(=箴言)を伝えてくれる存在を失うことは、ミイラ取りがミイラになるのと同罪だ。これは、問題が大きい。

宇治川の橋梁を渡りながら、以前の僕は、自身の狭量に唾棄するばかりだった。今、多少は唾棄せずとも、ものの推移を落ち着いて眺められそうだ。20代で真剣に得ようと苦闘したものは何だったのか。そして、30代になって、何とか獲得できそうなのは何か。何を捨てても良くて、どれは必死に護らなければならないのか。

懐かしの急行電車に揺られながら、随分昔から放ったらかしておいた宿題と向き合っている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。