根と翼(香港雑記、後編)

 

旅の楽しみの一つに、「旅行のお供本」がある。日常から離れた空間では、テキストから読み取る主体(である僕)の内面の変化が生じていることが少なくない。すると、普段ではなかなかスッと頭に入らない内容から、多くの異化作用をもたらされ、時としてそれが自身の変容にダイレクトに直結する場合もある。

例えば大学生の海外初の一人旅に選んだイギリスに持っていたのは、1年生の頃随分お世話になったウェーバー研究者の先生による分厚い研究書(『マックス・ウェーバーと同時代人たちドラマとしての思想史』)と、ハイデッカーや鈴木大拙、ヘーゲルや西田哲学を老子と対決させた『老子の思想』(講談社学術文庫)だった。その当時の自分には(いや今でも)消化できない程の大作だったが、そういう本を、冬の閑散とした湖水地方のB&Bの、暖炉の前でボンヤリ読んでいると、数ミリは飛び立つことが出来そうな気がした。ただ、その当時は根無し草のように、アイデンティティや自信の根拠が自分の中で希薄だったので、数ミリ浮き上がるだけでも、このままどこに行ってしまうのだろう、という漂白感のような漠とした不安が渦巻き、単に落ち込んでいたような気もする。

あれから15年、仕事や社会的関係ではすっかり根が着いたが、今度は、浮遊するチャンスが少なくて、どこかで消耗感や焦燥感のような何かがくすぶっていた。そんな事情には全く自覚的ではなかったのだが、香港へ旅立つ朝、何気なく書棚からナップサックの中に放り込んだ一冊から、随分多くの気づきをもらった。

「人間の根元的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根を持つことの欲求だ。」(真木悠介著『気流のなる音』ちくま学芸文庫,p167)

確か田口ランディの初期のエッセイ集に同様のタイトルがあったと思うのだが、社会学の大家の出世作を遅まきながら初めて「旅のお供」にして、本当によかった。なぜなら、それはようやく今になって、読者である僕自身が、「二つの欲求」の具体的な中身が読み取れる主体になったから、と感じる。特に、全く予期せずに読み始めた故に、読みたかった内容と事後的にわかる喜びは一塩であった。

人類学者カルロス・カスタネダがメキシコインディアンであるドン・ファンに弟子入りして10年間で学んだことをまとめた4冊の著作を引き金に、3年間の海外生活を終えて帰国する直前の著者が自身の枠組みを書き留めた一冊。「あらかじめ私自身のうちにあったモチーフや問題意識が、ドン・ファンとの出会いを触媒として」「結晶」化した、ドン・ファンの「魅惑的なトリックやヴィションやレッスンに仮託した、私自身の表現」(同上、p45)。であるが故に、その後の『現代社会の理論』『社会学入門』(見田宗介の名で岩波新書)から多くを学んだ読者としては、筆者のコアな原点に触れられて読み物としても面白かっただけでなく、研究や生き方のパースペクティブについて大いに触発されたり、また問題意識の掘り下げ方についても、沢山のことを学んだ。その全部は書き留められないが、断片的にメモをしておこうと思う。

「とくに自分の明晰さはほとんどまちがいだと思わねばならん。そうすれば、自分の明晰さが目の前の一点にしかすぎないことを理解する時が来る。」(ドン・ファンの言葉、同上、p99
「「明晰」とはひとつの耽溺=自足であり、<明晰>は一つの<意志>である。<明晰>は自己の「明晰」が、「目の前の一点にすぎないこと」を明晰に自覚している。<明晰>とは、明晰さ自体の限界を知る明晰さ、対自化された明晰さである。」(同上、p100

思えば僕自身は、自分自身の「明晰さ」にしがみついていたような気がする。何かを学ぶときも、その知識を受け取る自分自身の枠組みが「ほとんどまちがいだ」だなんて可能性を考える事はほとんどなかった。他の可能性の考慮に心も頭も開かれず、「目の前の一点にすぎないこと」とだけ、向き合おうとしていた。根無し草時代の漠とした不安の反転として、根を張ることに必死で、根絶やしにつながるような「一つの耽溺」の意識化を極端に拒否していた。そういうモードであれば、いくら勉強しても、読める範囲が自身の「明晰さ」を補強するものだけに限定され、「耽溺=自足」を「対自化」するような言説は意図的であれ、無意識であれ、排除していたようにも思える。そして、次第に在る程度の知識はオタク的に身に付くが、その知が「目の前の一点」と立場を異にする「他者」に通じず、不満やいらだち、焦燥感に苛まれていた。それがここしばらくの自分の心模様であった。

だが、海外の学会や、少し毛色の異なる学会で発表し始める頃になって、理解されないことの根元的理由が、他者ではなく、己自身にあることに気づき始めた。わかってくれない、と他責的に憤るよりも、自分の論理が通じない他者に説明する為に、自分自身が変わる必要があること。そして、相手に届く言葉を用いることは、決して変節や転向といった妥協とは異なること。むしろ、本物の書き手は、ジャーナリスト・小説家・研究者のジャンルを問わず、そのような「相手に届く言葉」で、自らの考えを伝えるプロであることも、ようやくおぼろげながら見えてきた。コンテンツ(=根)を、変える必要はない。ただ、相手にそのコンテンツを届ける為には、相手に届きやすい文体やロジックは何か、を探す必要がある。そのためには、自身の根が多くの根の「一点にしかすぎないこと」を理解する必要がある。その上で、他の根との相異を理解し、相手の根に届きうる形態で伝える為にも、「翼を持つこと」が重要である。そんなことを、再確認していた。

「とざされた世界のなかに生まれ育った人間にとって、窓ははじめ特殊性として、壁の中の小さな一区画として映る。けれどもいったんうがたれた窓は、やがて視角を反転する。四つの壁の中の世界で特殊性として、小さな窓の中の後景を普遍性として認識する機縁を与える。自足する「明晰」の世界をつきくずし、真の<明晰>に向かって知覚を解き放つ。窓が視角の窓ではなく、もし生き方の窓ならば、それは生き方を解き放つだろう。」(同上、p121)

香港で感じ始めた解放感は、単に一時的なリフレッシュではないのかもしれない。確かに、火曜に日本に戻ってまだ1週間も立っていないが、すっかり日本の「お忙し」(=ビジネス)モードにどっぷり戻っている。ラマ島までの無料クルーズや、現地の夕焼け空とチンタオビールに合う海鮮料理、なんて、すっかり忘却の彼方に行きつつある。(今必死で記憶の倉庫を開いて、探し出してきた。) だが、この『気流の鳴る音』の波長に、他ならぬ今の自分が感応している。その中で、以前から何度か予感的に書いていたが、はっきり自分の「視角」の「反転」を感じる。壁の中の「特殊性」と、窓の外の「普遍性」が自分事としてリアリティを持つ。それに気づくことは、同時に、今までの自分が「窓」を閉じた上で自己の特殊性を普遍化しようという「構造的ゆがみ」を抱えていたことも、よくわかった。そういう無理をしているから、疲れるし、ストレスも溜まるのである。だって、生き方が「解放」されていないのだから。

困ったら、聞けばいい。自分の枠組みが歪みかねない程の『他者』との出会いこそ、見かけ上は「煩わしい」ものに見えて、実のところ自分の枠組みをより豊かなものにしてくれる最大のチャンスなのだ。ドン・ファンも同じ事を言っている。

「チャンスとか、幸運とか、個人的な力とか、とにかくなんと呼んでもいいが、そいつは独特のものなんだ。わしらのまえに出てきて、摘むように招くひどく小さな小枝のようなものさ。ふつうだと、わしらはいそがしすぎたり、他のことに気を奪われていたり、でなければただおろかで不精すぎたりして、それが自分の一立方センチメートルの幸運だっってことに気づかないんだ。」(同上、p107-8)

思えば、どれだけ「小枝」を見過ごし、邪険に取り扱ってきただろう。それはあたかも、次の(時として変容も伴う)幸運よりも目の前の矮小な体系性に閉じる(=それを盲目的に信仰する)、ディスコミュニケーションの塊としてのオタクを思い起こさせる。別にそれでよい人は、そうしたらよい。だが、僕はそれを選ばないだけだ。自分に共感的な同質性集団ではない「他者」と向き合うこと。それが、今の暗礁を乗り越える、最も有効で、かつ最もやりやすい、だが今まで頑なに避け続けた方法論なのである。気づいてみれば、なぁんだ、ということ。でもそういう歪みに気づけ、窓の外に目が向けられるようになっただけで、随分楽になった。

職場で、フィールド先で、どういう他者と出会えるか。やっとこさ、根と翼の両方を「欲求」出来る主体になったのかもしれない。この本と、35歳の今、旅先の香港で出会えて、本当に良かった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。