波長を合わせる

 

先日、職場を定年退職される先生方の歓送会が開かれた。その際、たまたまお隣の席におられたのが、二人のスポーツの先生方。お二人は、トップレベルのアスリートを指導する監督でもいらっしゃる。こんなチャンスはなかなかないので、トップアスリートの養成について、色々伺う。これが大変面白い。

コーチングにおいては、他者(アスリート)を納得させて態度変容へと導く必要がある。しかも、ある程度の半強制的な指導が効く小学生や中学生ではなく、自主性の尊重や、その裏返しとしての枠組みへの反発も抱く大学生相手である。お二人とも、ご自身のコーチングの手法について、押しつけではダメだ、ときっぱり仰る。彼ら彼女らのやる気を導き、チームの中で高め合うための雰囲気をどう醸成するかが鍵だ、というお話には、深く頷く。昨日たまたま手に取った本は、その飲み会の席でのお話の「復習」の内容に思われた。

「教えるとは、納得させ、行動を変えさせ、さらにその行動をこれから先もずっと続けさせることです。一人の人間にそれだけの変化を起こさせるためには、教える側の言っていることを心の底から納得してもらう必要があります。それを言葉でやろうというのですから、相当なインパクトのある表現でなければダメだと言うことです。」(平尾誠二・金井壽宏著『型破りのコーチング』PHP新書、p86

ラグビーの元日本代表と博学の経営学者の対談。金井先生の本から多くのことをこれまでもインスパイアされてきたが、今回の平尾さんとの対談も非常に面白かった。上記の発言は、その平尾さんのもの。伝える側の発言を「心の底から納得してもらう必要がある」からこそ、コーチの側の言葉も大きく問われる、ということ。僕自身も、教員として、あるいは福祉現場に置いて、コーチングを求められる場面があるが、「相手の納得に基づく態度変容」という部分は全く同じ。であればこそ、言葉を磨け、という平尾さんの発言は、軽い言葉しか紡ぎ出せない私には、ずっしりと重く響く。

ただ、当然想定される反論に、教わる側の能力に関する問いがある。相手が頑固だ、理解する力がない、人間的に未成熟だと、その能力に疑いの眼差しを挟んだ上で、だからこそコーチする側ではなく、コーチを受ける側の問題である、という視点だ。これは、スポーツの世界だけでなく、教員の世界でも、このような言説は一定の真実性を持っている。また、学生による授業満足度調査などについても、その学生の資質への疑いを差し挟む声が聞こえるのも、同類型に思える。この点についても、平尾さんは次のように言う。

「相手の受信機の精度を高めるには、どうしたらいいのでしょうか。これは簡単です。こちら側の受信機の性能を上げればいいのです。もう少し具体的に言いますと、まずは選手の話をよく聞くこと。この監督やコーチは自分の話をきちんと聞いてくれるとわかれば、選手のほうからいろいろ話をしてくれるようになります。そうしたら、その話を流さず効いて、こちらが伝えたい部分にかすったと思ったら、『いまのはいい話だ、もう少し聞かせてくれ』とか『いいところに気が付いた、じゃあこういう場合はどうだ』とか敏感に反応して、そこに選手の興味を集中させるのです。興味を持てば、選手のほうからこちらの話に自然と耳を傾けるようになります。受信機の精度が上がるとは、こういうことなのです。」(同上、p129-130)

相手を変えたければ、まず自分が変われ。このテーゼを深めた平尾さんの発言は、大変説得力がある。「相手の受信機の精度」に問題がある場合、単純に「あなたが悪い」と言って解決する場合もあれば、問題がこじれる場合もある。以前ならそれは「なにくそ」という反発心を伴った努力の正の誘因になったが、今では反発が内面化し、「じゃあやめた」という諦めにつながる場合も少なくない。そういう受信機の精度自体の問題について、以前の叱り方は通用しなくなっている。

そんな場合、平尾さんはまず、コーチ(発信機)の側が、選手(受信機)の話をじっくり聞き、信頼関係を構築する必要がある、という。両者の信頼関係の醸成の中で、相手が聞き取ることが出来る(チューニングの範囲内の)波長に合わせる事が可能になる。そのチューニングが済んだ時点で、相手とこちらの波長が合う、穴が空きそうな場面にさしかかった所を逃さず、相手にも聞き取ることが出来、こちらも伝えたい内容を、スッと差し出す。そうすれば、相手に受け取れる範囲内で、問題の捉え直しが始まり、その捉え直しの主体であるコーチの側の意見にも「聞く耳」を持ち始める。受信機側の単なる糾弾ではなく、受信出来る波長を探しだし、その波長の中で、少しずつ聞きとれる領域を広げるコールサインを送っていく。そのプロセスの中で、受信機の根元的な変容や、質的転換がもたらされる。

名監督の至言は、教員として、福祉現場のコーチとして、行政のアドバイザーとして、送信機の立場に置かれた僕自身にとっても必要な不可欠な視点だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。