トポスの変容

と、小難しいタイトルを思いついたが、内容は簡単。引っ越しました。

同じ甲府市内なのだが、着任後6年間住まいを変えなかった。場所的には気に入っていたのだが、色々脱皮の時期だと思って、思い切って引っ越したのだ。
引っ越し先では、出来るだけ「暮らしやすさ」を大切にしようとしている。
以前の家では、本棚の3分の1が、スペースの関係上、半分死にかけていた。今回、とりあえず書斎では、PCと机、本棚しか置かず、それ以外のものは段ボール箱を未開封、あるいは収納スペースに放り込んでいる。机の真後ろに、すべてが見える本棚を置いたので、非常に一覧性に優れている。お恥ずかしながら、「こんな本を持っていたのね」と在庫をすっかり忘れていた本も多い。また、一日でやってしまったので中途半端ではあるが、今の時点での興味関心に基づいて書架を並べ直したので、非常に各棚の発するエネルギーが好ましく、また強い。自ずと各本棚に手に届く割合も高い。これだけでも、早く家に帰りたくなる配置だ。
それだけでない。これは妻の成果なのだが、キッチンもかなり使いやすく変えた。もちろん新居がキッチンとダイニングのセパレートになっている事が大きいのだが、それ以外に引越を気に、大量にモノを捨てた。本だけでなく、中途半端な収納用具や、使わない食材なども(昨日は8年前が賞味期限の蜂蜜も捨てた)。すると、めちゃ料理しやすい。キッチンのコックピットで、ほとんど動かずとも、ひょいひょいと調味料も食材も料理器具も手に取れる。今までどれだけ導線が悪かったのだろう、と再認識させられる。
あと、リビングも、なるべくモノをあれこれ置かないよう、目の上の高さ以上はすっきりするように心がけている。ここは、まだ引っ越して間もないので、志半ばだが、少しずつ、整い始めている。
引っ越す前のマンションは、立地もよく、大家さんもフレンドリーだったが、とにかく収納が極端に少なかった。ゆえに、物持ちの我々夫婦は、自然と部屋が雑然としてきて、争いや怒りに満ちる事になる。道具は、夫婦で暮らすための、あくまでも手段。でもその手段が自己目的化し、ある種、手段に支配されると、「夫婦がくつろぐ」という目的が達成できなくなる。超してきた当初はそれでもモノが少なかったが、この6年間であれやこれやが増えた。ならば、そろそろカタツムリよろしく「宿替え」の時期だね、ということになり、引越シーズンでもなければ、仕事先が変わった訳でもないのに、引っ越したのだ。
新居でも、引っ越して以後も、モノを捨て続けている。
これまでのため込む癖と向き合うのは、楽ではない。それは、自らの性格の、ある種のコアの癖の部分と向き合うことだから。なので、休み休みしないと、爆発しそうになる。でも、少しずつ片付けながら、少しずつモノとの距離の取り方、住まい方について、以前と違う場で、引越の段ボール箱を一つずつ開けながら、その場を構成する要素を大きく変えながら、毎日を位置取り直している。自分たちの場所(=トポス)を構築し直している。
以前なら、出来合いのトポスに身を合わせるだけで精一杯だった。もっといえば、トポスを重視する以前に、生きるだけで精一杯だった。だが、多少なりとも、目の前の日常生活だけでなく、その日常生活を構成する場の重要性に気づく時期を迎えた。すると、トポスを意識的に変容させることによって、今までよどんでいた流れを再活性化させて、新たな出会いや物語が生まれ始めそうな予感がしている。断捨離ではないけれど、場の再活性化の為には、確かにモノと向き合う姿勢の変容は悪くない。そして、捨てるだけでなく、自らの現時点での処理能力で向き合えるだけのモノに絞った上で、モノと向き合い直す、つきあい直す、使い倒すことこそ、活き活きとした暮らしなのではないか、と思い始めている。
新居第一号のブログは、そんな予感を言語化してみた。自己成就すればよいのだけれど。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。