荒井裕樹さんの『生きていく絵』(亜紀書房)を読み終える。昨年、『車椅子の横に立つ人』の書評をしたことがご縁でご本人とやりとりする機会があり、その中で、精神病院の造形教室でのフィールドワークをまとめられたのが上記の本だと知り、早速拝読。僕も大学院生のころ、5年ほど精神病院でフィールドワークしていたが、僕とは全然違う切り口から、本質に切り込むアプローチが本当に秀逸で、すごいなと脱帽しながら読み進める。
『車椅子の横に立つ人』でも主題化された、「苦しみ」と「苦しいこと」の違いについて、実月さんという描き手を主題化した章のなかで、荒井さんはこんな風に整理する。
「前者は、『苦しみ』の内実をある程度自分で把握しており、言語表現であれ非言語表現であれ、それを誰かに伝えたいという表現への欲求が強いように思われます。対して後者は、『苦しみ』の内実が本人にも把握しきれず、また詳細に表現することもできないけれど、何よりもまず、苦しんでいる自分の存在を受け止めてもらいたいという関係性への欲求が強いように思われます。
おそらく、実月さんも、自分の『苦しみ』の内実を詳細に言語化することはできません(少なくとも、最も苦しかった時期にはできなかったようです)。それは『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない性質のものです(むしろ、部分的には言語化以前の衝動や情動といった次元のものだったのかもしれません)。実月さんのなかに渦巻いていたこの言語化できない衝動を、仮に<こととしての感情>と呼んでおきたいと思います。」(p152)
「苦しみ」として他者に語ったり書いたりすることができるのは、すでに感情がある程度の対象化・物語化(=<もの>化)され、把握されているので、他者に伝えることが可能な段階に至っている。一方で、「苦しいこと」は、対象化もできない、未分化で現在進行形の苦しさであり、「『苦しみ』の内実が本人にも把握しきれず、また詳細に表現することもできないけれど、何よりもまず、苦しんでいる自分の存在を受け止めてもらいたいという関係性への欲求が強い」と指摘する。
僕たちが通常、他者を理解しようとするとき、言語で表現されたものを元にする。すると、「苦しみ」という形で言語表現されたり、それが表情などでも伝えられると、「苦しいのですね」と受け取りやすい。それは、受け取る以前に、発信する側が、すでにその内容を「苦しみ」と固定化し対象化することができているから、である。だが、本当に苦しい最中には、「『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない性質」になりがちである。
そして、この「苦しいこと」は誤解されやすい。
20年近く前の大学院生時代、薬物依存症の回復者でもある倉田めばさんのお話を聞いたとき、「拾い集めた言葉たち」という印象深いフレーズと出会った。
「私にとって薬物とは言葉であった。ダルクのミーティングは本来の言葉を取り戻す作業である。自分の言葉を取り戻したときに、薬物が不必要になってくる。」
「母はよく私に言った「薬さえ使わなければいい子なのに」私は思った(いい子の振りをするのが疲れるから薬を使っているのに・・・・・)」
「薬物依存者が薬物をやめると依存が残る。」
当時の僕にとって、「私にとって薬物とは言葉であった」というのは、天と地がひっくり返るような、驚くべき表現だった。依存症の人は、遵法意識がないから・甘えがあるから・自制心がないから・・・薬やアルコールに溺れているのだ。そのような、表面的で常識的な偏見を持っていた当時の僕は、「薬物」が言葉=自己表現である、というのは、本当に思いも寄らない言葉だった。だが、自分の言葉が奪われるから、「苦しいこと」を薬物を用いて表現せざるを得ない人がいるのに、その人から単に薬物を取り上げると、それは「依存が残る」だけである。本当に「回復」するためには、「本来の言葉を取り戻す」プロセスが必要である。それがダルクなどのセルフヘルプグループの持つ力である。この話を聞いた時、これは薬物依存だけでなく、依存全般の話でもあり、また他の精神病にも共通する話なのではないか、と思っていた。だが、それ以上、当時の僕には掘り下げられなかった。
今回、荒井さんの著作を読み進めながら、改めて20年前の倉田めばさんの言葉を噛みしめ直す。
「実月さんのなかに渦巻いていたこの言語化できない衝動を、仮に<こととしての感情>と呼んでおきたいと思います」
圧倒的な苦しみの衝動や情動に押しつぶされている時、それは「苦しみ」という形で対象化はできない「渦巻く」状態であり、<こととしての感情>が支配している時である。それが、幻覚や妄想、うつやハイパーテンションのような形で人を支配している。そのときの「苦しいこと」がその人を覆い尽くしているときに、言葉は無力である。「『苦しい』『悲しい』『つらい』という言葉以上には言語化不可能であり、『とても』『爆発しそう』といった形態が付される形で、その重みや切実さをつたえることしかできない」からだ。だからこそ、その無力に対処するために、ひたすら引きこもって外界とのコンタクトを遮断する人もいれば、必死になってしんどさを訴えるのだがそれを理解してもらえず暴力や暴言に訴える人もいる。そして、倉田めばさんのように、薬物などの依存言語を用いて、やっとそのつらさを表現しようとする人もいるのだ。
そのときに、荒井さんが関わった「造形教室」は、治療や支援を目的とした場ではないのだが、結果的にはそこに通う人々の「癒し」につながっていた、と荒井さんは指摘する。
「これは、ある人物が心の病を抱え、つらく苦しい状況にあったとしても、そのような状況のなかを生きていること、生きてきたことを、まずは肯定的に受け止めようという考え方です。つまり自らを<癒す>という営みは、『自己肯定』からはじまるわけです。」(p83)
造形や創作が人を癒す。それは治療を目的とした「絵画療法」という方法論の話をしているのではない。そうではなくて、苦しいことの渦中にあっても、それを造形という表現形態で表出する「言葉」を取り戻すことによって、「そのような状況のなかを生きていること、生きてきたことを、まずは肯定的に受け止めようという考え方」が湧き上がってくるからではないか、と荒井さんは指摘する。
自分を傷つけたり、他人に危害を与えたり、薬物を使用するという「言葉」しか持てない状況に追い込まれた人々がいる。その人々は、本来の言葉が奪われる状況に追い詰められている。そういう人々が、造形という別の言葉と出会うことで、自傷他害や薬物依存以外の別の表現をすることで、「苦しいこと」を別の形で表現することが可能になる。実際、実月さんも「どろどろした心の中身を吐き出すよう」(p144)に描いてく。そして、そのプロセスのなかで、「苦しいこと」を「肯定的に受け止め」るきっかけができ、それが「自らを<癒す>という営み」であり『自己肯定』につながる、というのだ。
実際、荒井さんが取り上げた本書のなかでの表現者達もみなさん、造形教室を通じて、そのような「本来の言葉を取り戻す」プロセスを辿っておられるように感じた。荒井さんはそれを「<こと>としての文学」と表現する。
「私はいま<こと>としての文学に目を向ける必要性を感じている。いまだ生硬な概念だが、<こと>としての文学とは、苦境にあるその人がその痛みを動機として発した私的な自己表現であり、その人が表現していること自体が重要な文学である。
現在の関心から一部を例示すれば、精神科病院の閉鎖病棟内でひそかに書きとめられた小説や、あるいは虐待の記憶が刻み込まれた形代のような詩などがあげられる。いずれも生きづらさの極地にいる人たちが、苦境を生きのびていくために紡ぎ出した切実な言葉であるが、これらは現在の文学研究の枠組みでは関心の対象にさえならない(医学や福祉学においても正統な関心事にならないだろう)。」(p254-255)
できあがった作品が<もの>としての文学であるとするならば、「苦しいこと」をそのものとして自己表現するプロセス自体が重要な文学であり、それを「<こと>としての文学」と名付ける。そして、このような「切実な言葉」は確かにこれまで重要視されてこなかった。僕自身も、これまで出会った数多くの精神医療ユーザーから、色々な種類の自己表現(絵画や詩、エッセー、小説、手記・・・)を手渡されたる機会があったし、拝見もしてきたのだが、正直に申し上げて、僕の研究枠組みの関心の対象にはなっていなかった。それは、<もの>として作品に僕の目が曇らされていたからであり、<こと>としての自己表現の、その言葉を取り戻すプロセスそのものの価値を、僕は理解していなかったのである。倉田めばさんの言葉を20年近く前に知っていたにも、関わらず。
今回、荒井さんの本を拝読することで、「苦しみ」と「苦しいこと」の根源的違いを教わることで、改めて「<こと>としての自己表現」の可能性が理解できた。そして、それは表現された<もの>(=絵画など)だけでなく、それが表現されゆくプロセスに立ち会い、その表現者と何度も雑談をしたり、お互いの人間性にふれあうなかで、荒井さんのなかでしみこんでいくなかで、荒井さんという文学研究者の「地」を通して浮かび上がってきた「図」(=本書)があるからこそ、僕たちにも理解できたのだと思う。
そういう意味では、『生きていく絵』とは、造形教室で出会った絵画をきっかけにして、「苦しいこと」それ自体を「<こと>としての自己表現」と捉え、そのプロセスを可視化する伴走者である荒井さんによる、格好のガイドブックのようにも思えた。