発達の最近接領域(ZPD)としてのブログ

最近「積ん読本をちら読みしよう」というのがマイブームで、てっちゃんが誘ってくれて、井庭崇さんの『クリエイティブ・ラーニング』(慶応大学出版会)を読んで対話する読書会を行った。初見で4章だけを30分間で読んだ上で、その内容についてガッツリ1時間議論した。その内容がめちゃくちゃ気になったので、教わった井庭さんのLife with readingに関する動画を見た上で、さらに面白かったので、序章も風呂読書で読み切った。

読んだ上でふと気づいたことがある。それが表題の「僕にとってのブログはZPDだ」ということ。このZPDについて、井庭さんは次のように解説してくれている。

「ヴィゴツキーは、自分一人で自力で解ける水準(今の発達水準)と、他者の助けを借りて解ける水準(いま成熟しつつある水準)の間の領域を『発達の最近接領域』(ZPD:Zone of Proximal Development)と名付けた。現在の発達水準に「最も近接」する「発達」の「領域」という意味である。」(p87)

今まで読んだZPDの説明の中で、一番腑に落ちる説明である。自分で出来ること、と、他者に助けてもらわないと出来ないこと、の間にある領域のことである。さらに、井庭さんと対談しておられる市川力さんは、こんな風にも語っておられる。

「ヴィゴツキーは、できることだけを積み重ねていっても、できないことができるようになるわけではないと考えます。そうではなく、いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦することで、できなかったことができるようになる。この『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域です。発達の最近接領域にあるような課題や出会いを通じて、人は新しいことができるようになり、成長できるわけですね。」(p520)

市川さんは「『できそうだけれどもできない』領域が発達の最近接領域」だと語る。棒高跳びの高さを少しずつ上げていって、さっき飛べたけど、今回は飛べなかった、という領域。あるいは跳び箱で4段は跳べても、5段目は無理だ、という、あの領域である。(ちなみに鈍くさい僕は、跳び箱は苦手だった)

僕は受験勉強は本当に嫌いだったのだが、大学生以後の学びは徐々に好きになり、研究者として働き出してからは、めっちゃ好きに変わった。いま、人生で一番学びが楽しいかも知れない。それは、『できそうだけれどもできない』領域としての最近接発達領域(ZPD)に挑戦し続けながら、自分の可動域を広げてきたからであり、そこによって見える世界がずいぶん違ってきたからであり、その中でオモロイ何かと沢山出会い続けているからだ、と思う。そして、その時々の発見(My Discovery)を言語化するのが、16年間書き続けているこのブログという媒体だ。

このブログは2005年に大学教員になった年から始めている。最初は文章修行のつもりで、自分の意見を書くのはめちゃくちゃこわごわ、書いていた。イメージしているのは、当時から読み始めた内田樹さんのブログで、内田さんのブログの文体や引用して思考する記述スタイルを当時はこっそり真似をしたりしながら、言語化トレーニングを始めていた。

それがある時期から、自分が時々に読んだ本や出会った経験を主題化して、その時に自分が「これは書かねば!」と発見したことを言語化するブログとして機能し始める。猛烈に仕事が忙しくなってくると、読んだ本や浮かんだアイデアもすぐ忘れるので、外部記憶装置のように書いておいた。実際、検索して思い出すアイデアや情報も数知れず(苦笑)。

そして、さっき井庭さんの本を読みながら、僕がオモロイ本を読んでブログに記述して言語化する行為って、「いまギリギリできそうだけれどもできない部分を見つけて挑戦すること」なんだな、と深く了解した。論文のようにこなれていなかったり、自家薬籠中の物になるまえの、割と生な思考や感情を言語化しようとしている。そして、ブログで取り上げる本も、最近では子育て支援や教育領域が多いのは、ゼミ生のテーマを一緒に勉強しているから、もあるけど、娘が生まれて以来、やっと児童福祉や教育領域を自分事として考えるようになってきたから、かもしれない。いずれにせよ、自分の専門領域でない本を読んで、「そういうことだったのか!」と発見して、『できそうだけれどもできない』領域に関しての思考を深めるためのツールとして、ブログが機能している。井庭さんは、パターン・ランゲージが自分で自分の足場をかけることができるメディアだ(p521)、と言っているが、僕はそのことを知らなかったので、ブログを「足場かけ」として用いてきたのかも、しれない。

それに関連して、あと二つ、この本から紹介したい概念がある。一つ目は、≪発見の広がり≫(Discovery-Driven Expanding)である。井庭さんはこんな風に書いている。

「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)から始め、次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)に至るという三段階として設計するというものです。」(p547)

僕自身がプロジェクト型の探究をする時に感じていた疑問は、教員なりリーダーのプロジェクトに学生やフォロワーが従うときは、従う方は面白くないのではないか、というものだった。そして、その理由はまさに井庭さんがいうように、『My Discovery』(自分の発見)をベースとしないリーダーの『Your Discovery』(相手の発見)だったり、最初からの『Our Discovery』(自分たちの発見)だからではないか、と今日のてっちゃんとのZoom対話でも整理された。これはゼミでも同じで、僕のゼミでは僕がテーマを決めない。ゼミ生達は自分が探求したいテーマを自由に探して、それを深掘りしてほしいと願っているのだが、それは『My Discovery』(自分の発見)がないと、学びや発見は拡がらないからだ、と感じているからだ。

もちろん、これは僕自身の学び方に関係している。僕も、大学院生のころから、必死になって自分のテーマを探してきた。有り難いことに大熊一夫師匠は、「これでやれ」とテーマを最初から指示することはなかったので、僕は精神病院でのフィールドワークをする中で、自分が何をテーマに博論を書けるか、を模索し続けた。その中で、病院と地域を、当事者と家族や他の医療者を、シャバと医療界をつなぐ「つなぎ役」としての精神科ソーシャルワーカー(PSW)が気になっていた。だが、どうやって博論に高めてよいか分からなかったD2の秋に、師匠にこう言われた。

「竹端くんはPSWが大層気になっているようだ。であれば、フィールド先の京都府内のPSW全員に会って話を聞いて、そこからPSWの課題を探って博論にまとめよ。それが出来なかったら、竹端くんの博論はない!」

そのエピソードを思い出したのも、さっき引用した部分の続きで井庭さんが書いていたからである。

「プロジェクト学習のミッションは、先生が与えずに、生徒が自分で見つけないと主体的な学びではない、と考える人たちもいますが、市川さんはミッションを与えるという方法で実施していました。≪チャレンジングなミッション≫を設定するのです。ミッションをこちらから与える理由として、世の中において多くのミッションは天から振ってくるように与えられるからです。そこから自分なりにそのミッションとどう関わるかが大事。」(p547)

D2の秋の師匠からの一言は、まさに僕にとっての「天啓」であり、≪チャレンジングなミッション≫であった。何をすべきかはわかった。でも、1年強で100人以上のPSWにあって、そこからPSWの課題を見つけ出して、そのインタビューデータに基づいて博論を仕上げないと、僕には未来がない。めっちゃハードルは高いけれども、出来ないとは限らない。それを『できそうだけれどもできない』領域にして、期間内にやり遂げるという≪チャレンジングなミッション≫。沢山の方に助けてもらいながら、そこに猪突猛進で突き進んでいくうちに、僕なりの『My Discovery』(自分の発見)が開かれてきて、それが博論で発見した5つのステップという形で昇華され、後に支援者エンパワメントや『「無理しない」地域づくりの学校』など20年近く研究をし続ける原動力となる≪発見の拡がり≫につながっていった。

さらに、この師匠と僕との関係で言うと、「正統的周辺参加」と「好奇心誘発参加」の違いを市川さんが述べておられる。これが紹介したい二つ目の概念である。

「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方を、『正統的周辺参加』と言いますが、こうしたスタイルは、すでに確立された技の伝承においてはとても有効だと思います。一方で、単にブラックな働かせ方やハラスメントにつながる可能性も高い。
ジェネレーターとともに行うプロジェクトは、好奇心が主導します。あこがれの人を目指し、ついていくのではなく、いわば『好奇心誘発参加』。面白さにひきずられてみんな巻き込まれてゆくんです。だからジェネレーター気質の人って、仕事のプロセス自体を楽しんじゃう。」(p536)

これを書き写しながら改めて気づいたのだが、僕は大熊一夫氏に弟子入りした、という師弟関係を結んでいた意味では、今まで「正統的周辺参加」だったと思い込んでいた。そして、確かに「あこがれの人を目指し、ついていく」という形で学んできた。でも、師匠からは本当に幸いなことに、「ブラックな働かせ方やハラスメント」は受けなかった。別の教員にアカハラを受けて潰れそうになり、人生のどん底だったときも、既に大学を離れた師匠は折りに触れ僕にアドバイスをくださり、護ってくださった。「師匠に出会い、憧れて、師匠の仕事を手伝いながらだんだん師匠のようになるという学び方」そのものだったが、師匠自身はその後もイタリアに長期取材を続けてバザーリアを日本に紹介する数々の仕事をされるなど、師匠の好奇心を全面展開して、探求しておられた。僕は、師匠から時々の探求のお話を伺い、それらの「面白さにひきずられて」「巻き込まれてゆく」のだった。そういう意味では、師匠との関係は、「好奇心誘発参加」でもあったのかも、しれない。

そして、今、ゼミ生や社会人の方々と、色々な学びの場をコラボレーションしつつある。教わる側、ついて行くフォロワーから、教える側、に変わりつつある。その際、僕自身は上意下達的な教師は嫌だな、と思っていたので、なるべく話し合いを促すファシリテーターとして生きようとここ10年近くやってきた。でも、こないだてっちゃんに指摘されて、ファシリテーターから探求者のほうが良いのではないか、と思い始めた。

そして今日もてっちゃんから教わって井庭さんの本を読んでみたら、創造社会においてはティーチャーでもファシリテーターでもない、ジェネレーターが求められている、と整理されていた。

「ジェネレーターは、プロジェクトでの創発的な活動に、自ら参加者として入って一緒につくりながら、自分の創造性も他者の創造性も刺激しつつ、たくみにコミュニケーションを誘発し、アイデアを生成するという教師像です。」(p528)

これこそ、僕が探求者として求めていたアプローチそのものだ、と読んでいて嬉しくなってきた。そう、僕は僕での探求をしたいし、「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をし続けたい。でも、関わるゼミ生や社会人の方々も、それぞれ「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」をしてほしい。そして、僕とみなさんが交錯する場に置いて、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」に基づいて、「次に相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」につながる。そういう学びの共同体を作っていきたいし、その中で率先してオモロイことを楽しみながら、他の人の面白さにも火をつけるジェネレーターでありたい。そう思い始めている。そして、『「無理しない」地域づくりの学校』でやってきたことも、一人一人の「マイプラン」作成を応援する中で、お互いの「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」を励まし合い、互いのプランを聴き合うプロセスにおいて、「相手の発見も受け止められるようになる『Your Discovery』(相手の発見)を経て、みんなでコラボレーションして『Our Discovery』(自分たちの発見)」を生み出してきたプロセスなのかも、しれない。

そう思うと、科研でやっている反抑圧的で対等な場づくり・地域づくり、という研究テーマも、実はこのようなクリエイティブ・ラーニングの場づくりなのかもしれない、と思い始めている。

と、つらつら書いてきたこのブログは、まさに「自分のことを見つめ直す『My Discovery』(自分の発見)」のプロセスであり、僕にとっての『できそうだけれどもできない』=最近接領域での大人の成長・発達にむけたチャレンジである、と改めて言語化しながら感じた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。