ケアとしての人間

こないだ、現象学者の村田久行さんの著作を読んで「魂の傷つき」=スピリチュアルペインについて考察した。その後、精神科医の熊倉陽介さんの連載を読んで、トラウマが魂を傷つけ、「問題行動」をもたらすにもかかわらず、医師の意識の志向性の方向性が「治療」「病態」にのみむいて、生きる苦悩に向き合わないことにより、不適切な支援が生み出されていることを書いた。

そして、村田久行さんの別の著作を読んでみて、読み始めたら引き込まれて、一気に読んでしまった。そして、こんなフレーズに出会った。

「ハイデガーは、その著書『存在と時間』で人間存在を「気遣い(Care)」として規定している。
『現存在の存在は気遣いとして露呈する。』
人間存在を『現存在』としてとらえるハイデガーの『存在と時間』での膨大で強力な存在論的探求の議論についてはここでは扱わない。われわれはただ、人間存在の存在が『ケア(Care)』として現れるというハイデガーの指摘に注目したいのである。
“care”という語には、『気にかかること』『心配』『不安』という意味(気がかり)と『気にかけること』『注意』『配慮』『世話』『保護』という意味(気遣い)がある。ケア(care)は『気遣い』であると同時に『気がかり』でもある。」(村田久行『改訂増補 ケアの思想と対人援助』川島書店、p61)

「気がかり」と「気遣い」から構成される「ケア(care)」として、「人間存在の存在」が現れる。言われてみたらその通り、だけど、その言葉の意味深さを今、ようやく理解出来るのは、子育てをしているからかもしれない。子どもと共にいて思うのは、常に「気がかり」と「気遣い」の連続である、ということだ。親のぼくは「子どもとうまく関われているだろうか」という「気がかり」が常にあり、そのなかで、子どもの具体的な要望や危なっかしい行動に「気遣い」をし続けている。生まれたばかりの頃は「気がかり」も「気遣い」も最大限必要で、親二人はパンクしそうになっていたが、4才くらいになると、その量は以前に比べて少しずつ減ってきたようにも思う。

村田さんは、こう続ける。

「そもそも人間存在が、気がかり、憂慮であり、ケア(Care)なのだというのはどういうことなのだろうか。それは人が有限な存在としての本来的な自己存在のあり方を避けて、『空談と好奇心と曖昧性によって導かれて』この世界に親しみ、没入し、頽落しているとき、その非本来的なあり方に露呈する人間存在の根本的な現れなのである。元気で健康で活動的なとき、人は自己の人間存在を日常性に没入させ、その有限な存在であるという本来性を忘却してしまっている。そのようなとき人は、よほど鋭い感受性を持たないかぎり、その胸に憂慮の影を覚えることはない。しかしひとたび、老い・病い・死に直面し、輝く日常性から逸脱した状態に陥ったとき、それを避け、それに直面することを拒む人間の非本来的な存在様式は、その胸をかえって不安と憂慮に満たすのである。」(p63)

有限=命に限りのある存在としての人間は、「気がかり」や「憂慮」に支配されやすい。だが、それでは身が持たない。だからこそ、普段は「空談」(=おしゃべり)や自分の外側に目を向ける「好奇心」、そして命に限りがあるという自覚を先送りにする「曖昧性」を持つことで、「この世界に親しみ、没入し、頽落」していくことができる。それが、日常性への没入である。でも、「生・老・病・死」に直面した際には、おしゃべりや好奇心、先送りなんて言っていられないような「輝く日常性から逸脱した状態に陥」いるし、その時に心をもたげるのは「不安と憂慮」なのである。これも、子どもが生まれた頃は、本当にそうだった。そもそもGCUで経過観察をしていた頃から始まり、家に帰ってきても一日中泣いていたし、他者の命を支えながら仕事との両立なんて果たして出来るのか、など「不安と憂慮」だらけだった。

「AがBに≪援助≫を前もって想定し与えるのではなく、AとBが出会い、共に患者・クライエントの気懸かり(care)や不安を共有するからこそ、そこにそのA、Bに固有の≪援助≫が創出されるのである。そしてそのような出会いと人間的交流の結果、援助者と被援助者の関係が形成され、しかもその受け持つ役割も、かならずしも固定的・一方向的なものにならないのである。こうして他者を援助することにより、自らもケアされるのだという人間存在の真実にしたがい、援助者も被援助者も共に互いに人間的な援助を享受することを経験するのである。」(p89)

僕は娘に対して「援助者」として現れたのではない。娘が生まれてきてくれたことで僕は娘と出会い、娘や彼女をケアする妻のことが「気懸かり」で「気遣い」が必要不可欠だったからこそ、「出会いと人間的交流」のなかで、ある種の「援助関係」を作り始めた。でも、子育ての経験で感じているのは、己の無力さや卑小さ、至らなさであり、自分の不安や憂慮が最大化するときに、他者に気遣われることのありがたさだった。そういう意味では、ぼく自身も「援助者も被援助者も共に互いに人間的な援助を享受することを経験」してきたのだと思う。

そして、前回や前々回のエントリーに引きつけてみる。トラウマ的体験によって生きる苦悩が最大化した人の「魂の傷つき」とどう向き合うのか。それは、「AとBが出会い、共に患者・クライエントの気懸かり(care)や不安を共有するからこそ、そこにそのA、Bに固有の≪援助≫が創出される」というプロセスを立ち上げる事が出来るか、という問いにもつながる。

この「出会い、共に」に関して、村田さんは次のように書いている。

「われわれ近代人に特有の他者認識の困難をケア概念によってのりこえる。認識を主観と客観に分割し、すべての他者を対象化して共感と理解を分断する近代の認識様式をのりこえるには、ケア(Care)である自己と他者の存在を深く認めなければならない。像を映し出す鏡のように、空虚な大瓶のように、対人援助に臨むものは受動性と有限性を自覚していなければならない。この『共存在』は対人援助の技法であるとともに、技法以前の援助者の基本的態度として、次のことを含んでいる。
・患者・クライエントを見放さない。
・患者・クライエントの苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する。
・他者との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける。
・ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する。」(p82)

娘から僕が4年かけて学びつつあるのは、「気懸かり」と「気遣い」にもとづく「ケア」の領域で求められるのは、新自由主義的合理性とは真逆の思考回路である、ということである。他人(娘)のことはさておいて、業績をバンバン出す、とか、メールを素早く返信するとか、依頼された仕事に笑顔で答え続ける、とか、そんなことはとても出来ない。むしろ、「いまメールの返事をしなくちゃいけないんだけどなぁ」と思いつつも、娘が「おしっこ行きたい」「おなかすいた」「しんどい」「眠たい」「遊んで」と関わりを求めてきた時に、僕の意識の志向性の方向性を、仕事モードから娘にちゃんと切り替えられるか、が問われている。それは、能力主義的価値前提を脇に置き、「像を映し出す鏡のように、空虚な大瓶のように、対人援助に臨むものは受動性と有限性を自覚していなければならない」のである。

ここで大切なのは、「他者との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける」という点だと思う。新自由主義的価値前提や能力主義に陥っていると、自己責任の罠に陥り、「頑張らないのは自分が悪い」という自責的回路に陥る。だからこそ、強迫的に頑張らねばと我慢をして、歯を食いしばる一方、頑張れていない他者や自分に邪魔する(と思えてしまう)存在を邪険に扱う。だが、「気懸かり」と「気遣い」にもとづく「ケア」をしていて感じるのは、「娘との関係において、関係存在としてのぼく自身の自己が発見されていく」ということである。

娘に一方的に時間や生産性や効率性を奪われているのではない!!!

そうではなくて、娘との関わりの中で、生産性や効率性に引きずられてしまい、ぼく自身が忘れ去っていた「関わりの喜び」のようなものを、娘は思い出させてくれるのである。論文を何本書いても、単著が三冊出ても、「もっと頑張らなければ」「まだまだだ」「他の活躍している人に比べて・・・」と、不安や憂慮はずっと自分を支配し、それが己のガンバリズムをドライブする、という、ある種の依存症状態に陥っていた。でも、娘や妻との関係存在としての自己を(再)発見することによって、自分自身の「魂の傷つき」から快復しつつあることに、改めて気づかされる。それは、家族の中での「苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する」プロセスを深めていったからこそ、やっと僕が気づき始めたことなのかも、しれない。

そう、ぼくはやっと自分自身が「ケアとしての人間」であることを、直視しようとし始めているのかも、しれない。

その視点に立つと、改めて今の医療や福祉や教育の現場のありようが、気になるのだ。援助や教育をする側の人間が、「ケアとしての人間」という自覚があるのか。まず、自分自身の「気懸かり」や「気遣い」と丁寧に向き合えているか。仕事に忙殺されて、自分自身が「ケア出来ていない」状態ではないか。そして、向き合う相手を「見放さない」「苦しみとケア(気懸かり)を受容し共有する」ということを、「意識の志向性の方向性」の重要なポイントに出来ているのか。そして、相手「との関係において、関係存在としての自己の発見を心がける」ことを仕事の重要なミッションだと思えているか。

こう書くと、「いやいや、わたしはプロとして対象者を援助するのが仕事なので、そこに私情を挟むというか、わたしの苦しみとかを巻き込んだら、仕事にならないのでは?」という問いも聞こえてきそうだ。でも、それこそ「認識を主観と客観に分割し、すべての他者を対象化して共感と理解を分断する近代の認識様式」の限界そのものなのである。あなたの苦しみはあなたの主観的なものであって、わたしの客観的な見立てとは切り分けられた(関係のない・薄い)ものである、という主客二分論的な視点の中で、身体的な治療の一部は可能かも知れない。社会的な支援もある程度は可能かも知れない。精神的な問題にも部分的には対処出来るかも知れない。でも、それでは対応出来ない「魂の傷つき」(スピリチュアル・ペイン)があって、それは援助現場で「困難事例」という形で析出してはいないか。あるいは、「魂の傷つき」を抱えていても、援助者に言ったところでなんともならない、と諦めたり抱え込んだり、絶望的になっている人はいないか。

その時に、「ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する」という原点が、死活的に重要になると思う。あなたにも「不安や憂い」があるように、わたしだって不安や憂いがあるし、もしかしたら「魂の傷つき」も抱えているかもしれない、有限な存在である。でも、いま・ここ、という場において、あなたとわたしは出会い、共にあなたの気懸かり(care)や不安を共有することができた。そこから、何が出来るかわからないけど、共に考えていきましょう。それこそが、対象を区別する主客二元論的な(about-nessの)発想を乗り越えた、「共存在」(=with-ness)としての支援なのかも知れない。

脱施設化や地域生活支援、権利擁護などの諸課題を語るときに、これまでの僕はシステムの構造的欠陥(政府の無策、支援組織の虐待的対応など)をずっと批判的に言及してきた。だが、その批判だけでは、何も変わらない。その時に、当事者だけでなく、家族も支援者も支援機関も、それぞれが「魂の傷つき」を抱えて、内ゲバ的に自らの正統性を巡るヘゲモニー争いをしてきたのではないか、という仮説を抱く。そして、そのような「内ゲバ」を越えて、「ともに有限なる者として互いの存在を尊び、可能な援助を探求する」という原点に立ち返って、援助関係を再構築して、対話的なチームを作ることが出来れば、結果的に脱施設化も進むのではないか、とも思い始めている。

「魂の傷つき」と向き合う「ケアとしての人間」論は、対人援助の基本でもある。だが、それはミクロな1:1の関係に閉じない。いや、援助する組織、援助を必要とする社会、それらを支える法制度の意識の志向性の方向性が、「魂の傷つき」と向き合う「ケアとしての人間」にむいているかどうか、が問われているような気もしている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。