金曜日に、京都のACT−Kに呼ばれて、組織の未来について考え合う「未来語りのダイアローグ」のファシリテートをさせてもらった。実は4年半前、その場所に毎週のように甲府から片道5時間かけて通い、ダイアローグのあり方を学んだ、思い出深い場所だ。そんな場所で、以前は「学ぶ側」だったぼく自身が、ACT-Kのみなさんと来し方行く末を考え合う場をご一緒できて、それをファシリテートさせてもらえている、ということが感慨深かった。また、一緒にファシリをしてくださったのは、共に学んだタテさんだった、というのも、心強かった。
でも、やったことは、すごくシンプルで、基本に忠実。
1、この1年間、あなたや組織にどんなよい変化がありましたか?
2,この1年間で、残っている心配ごとや不安なことは、なんですか?
3,よい変化を増やし、心配ごとを減らすために、あなたは誰と何ができそうですか?
今回は、二重の円を作って座って頂き、内側に、心配ごとを抱えている依頼者と、その依頼者が一緒に話し合いたい人々(計4人)とぼくが座る。ぼくは5人に上記の質問をそれぞれ一巡ずつ聞いていく。そして、外側には、他のスタッフが座っていて、その語りを聞く。それだけで、1時間半以上かかった。その後、ぼくとタテさんでそれを聞いてどんなことを感じているのか、を2人で対話(リフレクション)してから、いったん休憩。
その後、内側の円の人も外に座って頂き、「2時間の話を聞いて、いま・ここ、で話したくなったひとは、どうぞ内側に来てください」と声をかける。すると、2,3人が内側に来てくれて、話したいことを話して、帰っていく。それを3回ほど行ったら、もうお約束の3時間が過ぎようとしていた。最後に、依頼者とタテさんとぼくの3人でもう一度対話(リフレクション)をして、場を閉じた。
ぼく自身は、とりたてて特別なことはしていない。この流れに沿って、各人にお話をうかがう。意図的にこれを聞いてやろう、とか、こんなことを引き出してみよう、という技巧はない。というか、そういう風に誘導すると、上手くいかなくなる。あくまでも、いま・ここ、で心に浮かんだことや聞いてみたくなったことを、おたずねしてみる。それは、ぼくが相手の内面を掘り下げる、のではない。「それってどういうことですか?」「もう少し聞かせていただけませんか?」と水を向けることによって、相手の中で、未分化だった声が開くのを信じて待つ、ということだ。
この4年半のあいだに大きく変わったのは、ぼく自身の聞く姿勢なのではないか、と思う。ADの研修を受ける前のぼくは、聞き方を知らなかった。というか、話すために聞く、という姿勢だった。それは、ACT-Kの代表でもあり、オープンダイアローグを日本に広め、4年半前にこういう研修の機会も作ってくれた精神科医の高木俊介さんが、「あんたが一番変わったなぁ」と言ってくれたこととつながっている。「以前はべらべらしゃべるだけで、うるさい・鬱陶しい奴やったのに、今ではちゃんと話をきけるようになるなんて」と。
ぼくはそれを聞いて顔が真っ赤になったが、それはあまりに本質を突いているからである。ぼくは、それ以前、話を聞けていなかったのだ。そして、この4年半の間に、話を聞く練習をし続けてきたのだ。
それは一体、どういうことだろう?
それ以前のぼくは、純粋に話を聞くことが出来ていなかった。目的意識が先行していた。何かを学びたい、相手の意見から参考に出来る部分を吸収したい、調査報告を書くためのローデータとしたい、話しを聞きながら意見をまとめたい、相手を説得する糸口をみつけたい・・・どんな目的であれ、ぼくの側には何らかの目的や意図があって、相手の話を聞こうとしていた。
でも、それって、聞かれる側からしたら、よこしまな動機、である。
純粋にあなたの話を聞いてみたい、のではなく、私の興味関心や目的に合わせて語ってほしい、ということである。あなたの話を聞きながらも、私は聞いているようで、聞いていない。あるいは私が聞く目的にかなった部分だけを選択的・意図的に聞いて、それ以外の部分を聞き飛ばす。はたまた、相手の話をできる限り搾り取ろうとして聞く・・・。おそらく、高木さんと一番最初にじっくりしゃべった、京都から東京へ向かう新幹線での2時間半の間には、著名な脱施設派の精神科医の考えやノウハウをじっくり吸収したい、高木さんとお近づきになりたい、そしてあわよくば高木さんに認められたい・・・そんな下心丸出しで、グイグイと聞いていたのだと思う。そりゃあうっというしいし、ウザいし、ぼくも必死だったのだと思うけど、ずいぶん高木さんには悪いことをしてしまった。すいません。
でも、その当時のぼくは、それがどのように問題なのか、を理解していなかった。むしろ、積極的に相手にコミットしようとすることだから、それは良いことではないか、と誤解していた。何という愚かな私。そういえば、40代になるまで、ぼくはそういう「間違った聞き方・関わり方」をして、たくさん失敗してきた。暑苦しい、鬱陶しい、押しつけがましい・・・といったラベルも何度も張られてきた。ぼくは必死になって関わろうとしている「だけ」なのに、なぜそれが評価されないのか、バカにされるのか、と落ち込むことも多々あった。
でも、そんな迷惑をかけたのに、その高木さんが、ぼくにチャンスを与えてくれた。4年半前、京都で開かれた未来語りのダイアローグの集中研修に参加しませんか、とお声がけくださったのである。ぼくは、ファシリとか対話の場づくりをやりながら、そういう研修を一度も受けたことはなかった。独学で、自分なりに切り開いてきた、つもりだった。でも、他ならぬ高木さんから声がかかり、その研修を受けて自分がどうなるのか、何の役に立つのか、まったくわからなかったけど、「これは受けねばならない」と直観で感じた。子どもが生まれて3ヶ月というタイミングだったので、京都の実母に頭を下げて、ぼくと入れ替わりで甲府に妻と子どものサポートに来てください、と頼み込んで、4月の毎週末に開かれた4回の集中講座に通い続けた。
そこで学んだことは、語り尽くせないほど沢山ある。でも、今回に引きつけるならば、相手を操作してやろうとか、こういうことを引き出してやろう、といった余計な意図を持たずに、誠実に「あなたの話を聞かせてほしい」と向き合う事が、相手との信頼関係をその場の中でつくり出し、結果的に自分も伺いたかったことが差し出される、ということである。意図や目的は、枠組みに繋がる。その自分なりの枠組みを捨てて、「いま・ここ」で差し出される相手の話に乗っかり、それがどこに行くかわからなくても、先読みや誘導、評価、判断をせずに、その話をそのものとしてじっくり伺うことに、大きな意味や価値があるのである。
金曜の場の中でも、すごく心動かされる、印象的な言葉を沢山の方から伺った。それは、この場に即してこういう話をしてほしい、とこちらから導いたのではない。先の三つのシンプルな質問を、そのものとして向けることによって、相手が差し出してくださった話である。その発言が、どこに向かっているのか、ぼくにはまったくわからない。まさに不確実さの海の中に放り込まれる。ぼくは、少しは不安になるけど、オープンダイアローグの基本で言われている「不確実性への耐性」は、この4年半の中で、少しずつ内面化されてきた。いま・ここ、で話されている内容を尊重し、そこに寄り添うことで、それは確実に場を動かしていく。そう信じて、ひたすら聞き続けた。
そして、ぼくが意図や操作や判断を捨て去って、ただひたすら聞き続けていくなかで、どの方からも印象深い語りが、次から次へと出て行く。それを聞いた次の語り手は、聞きながらその語りと自分の中で内的に対話をしていく。だからこそ、次の語り手に話しを聞いたとき、先ほど自分が心の中で対話していた内容も含めて、静々と語り出す。それが、次の語り手にも影響を与え・・・そんな相乗効果が生まれてくる。その際、当初は「誰から聞けばよいのだろう」と不安にも思ったのだが、みなさんが座る位置を決める段階から、実は物語が始まっていたことに、終わった後で気づく。だからこそ、結果的にぼくの一番側にいた「依頼者」から話しを聞く中で、結果的に皆さんが数珠つなぎ的に話を繰り広げていき、それがその場の「よい変化」と「心配ごと」をめぐる対話を多層的に包み込み、1人1人の心に届き、ほんまもんの声が生まれていく。
ぼくはその場にいて、ただただ聞き続け、流れに身を任せつつ、「いま・ここ」で浮かんだことを相手に差し出して、相手がご自身の思いや感情を表現されるのを、お手伝いしていた。「あなたの話を聞かせてほしい」という目的以外は、すべて横において、ひたすら聞き続けた。そして、「ぼくが聞いた内容は、こういうことで合っていますか?」と時折確認しながら、相手がご自身で話しを深めていくのに「合いの手」をいれていた。ただ、それだけ、である。
でも、終わってみたら、すごく大切な場になっていた、とその場の皆さんの多くが感じてくださった。「今日のこの場が、よい変化を増やし、心配ごとを減らす第一歩だ」と語ってくださる方もいた。ぼくがしたことは、本当にごくわずかだ。一緒にファシリをしていたタテさんがホワイトボードにメモ書きしてくださった内容を見ながら、その内容を復唱しつつ、皆さんが語るのに相づちをうち、関心を持って聞き続けただけだ。リフレクションの機会は二回あったけど、それも操作や評価を意図したのではなく、聞き続けて感じた事をふと口にしただけ、だった。そして、最後まで、誰も何もまとめなかった。ただただ、聞き続けた。でも、自然にその場は何らかのまとまりが生まれ始めた。そしてそれは4年半前にぼくが学んだ、未来語りのダイアローグのあるべき姿にも、ありがたいことに近づいていた。
今回は、学んだ型に忠実だったからこそ、うまくいった。でも、いつも上手くいくとは限らない。特に、娘との対話では、未だに一方的だったり、親の期待や評価や否定的な感情などに左右されて、娘の声を、そのものとして聞けていないことがある。とくに非言語的なコミュニケーションが多い娘との対話の中で、ぼくが言葉に頼り切って指示をしたりすることで、娘はわからなかったり困惑をして、娘の不安を解消できない場面もある。あるいはぼくが娘がじっくり言葉に出来るために、一呼吸をおいて待てていない場面もある。
ぼく自身は「世界平和の前に、家庭の平和を」と『当たり前をひっくり返す』の中でも書いた。それは、家庭内でのダイアローグがちゃんと実践出来ていないのに、他所でちゃんと聞く事なんて出来ない、と思っているからである。そして、まだまだ娘の話を聞くときに、しっかり待って聞く、ということが出来ていない、と改めて反省する。論理と筋道を立てて話すことに慣れていない・その途上にある彼女の言葉を信じて待つ、あるいはその言葉が出てくるのを応援する。その姿勢は、まさにぼくが学んだ対話的姿勢(ダイアロジズム)を生きているかどうか、が問われている。そういう意味では、娘や妻との日々の生活のなかでも、今回のように「信じて待つ」「評価や判断を手放す」ことをどれだけできるか。それが改めて問われているな、とも感じている。