以前から何度かお話しさせて頂き、めっちゃ魅力的な社会起業家である河内崇典さんが初めての著書を出された。
『ぼくは福祉で生きることにした お母ちゃんがくれた未来図』(河内崇典著、水曜社)
ずいぶんストレートなタイトルである。でも、彼の波瀾万丈な人生と思いがギュッと詰まっていて、読み出したら止まらなくなって、あっという間に読み終えた。
福祉の領域にも、沢山の社会起業家はいる。マスコミでちやほや評価されている人も少なくない。その中でも、自分に光が当たることをガンガン追いかける、「ぼく見てぼく見て」系とか、「福祉はめっちゃ儲かる!」系、「どーだ!こんなこともできて、オレっちすごいだろう!」系の人も少なくない。そういう人は、必要以上に小洒落た、いわゆる「バエる写真」を載せたり、ツイッタで刺激的・好戦的な発言をしたり、とにかくセルフプロモーションに抜かりがない。
河内さんは、それと真逆である。「どーだ!すごいぞ!おれ!」ではなく、御自身の弱さや至らなさをさらけ出している。そこに、誠実さを感じるのだ。
「こうして事業説明をしていると、どうしても『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』といった印象を持つ人も少なくないでしょう。おまけに、ぼく自身のことを『すごい人』『立派』と思う人がいるかもしれません。
でも、ちょっと待ってください。
ぼくを知っている人なら、わかると思います。ぼくは、子どものころから勉強は一切出来ず、小中高通してビリが当たり前の生徒でした。一浪の末なんとか合格した大学はそうそうに行かなくなり、昼夜逆転で遊びとコンパに明け暮れる・・・。福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だったのです。
そんなぼくが、なぜこの世界にのめり込むことになったのか。
そこには、ぼくの大切な『お母ちゃん』がいつもいます。」(p17)
自分のことを『すごい人』『立派』と「思わせたい人」は、世の中に沢山いる。承認欲求の塊というか、他者評価へのとらわれ、というか。ぼくだって、そういう部分がゼロか、と言われたら、極めてアヤシい。でも、河内さんは、自分の人生を語る冒頭で、自分のことを「福祉にふれたこともなければ、絵に描いたようなやる気のない学生だった」と語る。『すごいことをしている人たち』『正義感が強く、真面目な人たち』ではないんだ、学校では落ちこぼれの方だったのだ、と語るのだ。
「福祉」というと、どうしても「良いこと」というイメージや価値前提のラベルが貼られる。そして、実際に「他人のために何かしたい」という「善意志」を持っている人も少なくない。そういう気持ちを持っている人が結構いるがゆえに、『すごい人』『立派』というラベルが貼られるのも、あながち間違いではない。でも、それは諸刃の刃である。「自分はあんな風に『すごい人』『立派』ではないから、福祉の仕事なんて出来ない」と思い込んでいる人も多い。現に、ぼく自身も学生さんからそういうことを言われる機会が少なくない。
でも、いま・ここ、の段階で『すごい人』『立派』な人しか福祉の仕事が出来ない、という訳ではない。そして、『すごい人』『立派』な人になるために、福祉の仕事を手段化するのも、違う。
実は本書を読み終えると、河内さん自身はやっぱり『すごい人』『立派』な人だと伝わってくる。でも、彼はそれを目標にした訳でもないし、福祉をその方法論に用いた訳でもない。河内さんは19歳の時に、「話すだけで時給1800円」というバイトのお誘いにうっかりのってしまった。実際の所は、脳性麻痺の男性Tさんの入浴介助だったと知り、話が違うと思ったけれど、断れないまま自宅に出かけてみたら、Tさんのお母ちゃんが大歓迎して、唐揚げをてんこ盛りに揚げくれていた。ご飯も沢山炊いてくれていた。流石にそれで断ることがようできひんと、唐揚げご飯を食べてしまったばっかりに、障害者介助にはまり込んでいく。
一般的に、成功した社会起業家というと、自分で市場開拓をして、ゴール設定をして、そのアジェンダに基づいた資金戦略を練って、と「計画的」に物事を進めるものだ、という「固定観念」があると思う。でも、河内さんの場合は、それとは真逆。たまたま、高収入バイトの誘いにひっかかり、話は違うけど唐揚げをあげてくれたお母ちゃんに出会ってしまい、ずるずる障害者福祉に引き釣り込まれていく。最初から善意志があった訳ではない。そこら辺にいる、グダグダな学生さんの一人だったのだ。
ただ、入口はそうだったかもしれないが、単にグダグダなだけでは終わらなかった。
茶髪で大学に行かないまま、でも入浴介助をし続けているうちに、「地震が起こったらこの子はどうなるがね」と言われて、「肩にのしかかってくる重たい何かを、一人で感じる」ようになった、という。
「(俺は知らんで、無理やで)(やばい。ほんまこんな仕事はよやめな・・・)(俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・)
自分とは関係のないことだ、と思おうとするのですが、引っかかりがおさまりません。そのうち、ぼくは怒りに近い疑問を抱くようになりました。
お母ちゃんみたいないい人が、どうしてこんなに困らなくてはいけないんだろう? なぜ障害を持った人やその家族たちが、『迷惑がかかる』と言って、こんなに肩身の狭い思いをして生きていかないといけないんだろう?と。」(p46)
河内さんは、うっかりお母ちゃんの唐揚げを食べてしまったばっかりに、入浴介助を続けていた。その中で、障害者を取り巻くしんどい現実に出会ってしまった。そこで、「俺は関係ないで。俺は関係ないけど、世の中には腹立つな・・・」と「怒りに近い疑問」を持ってしまった。
実は、この「問いを持つ」というのが、彼のその後の原動力の源泉にあったと思うし、彼がぐだぐだな学生から、「すごい人」で「立派」な事業展開をしていく原点にあったのだと思う。これは、PDCAサイクルだとか、企画書を書くことでは、絶対に生まれてこない。自分の魂につながるような、怒りや疑問、それを生み出す強烈な出会い。そんな運命の偶然やうっかりが重なる中で、その後の「み・らいず」の展開が始まる。
その後の話も、興味深いけど、下手にぼくが紹介するより、是非とも本書を手に取ってほしい。特に、就職活動をする前の、どんな仕事をしていいのかわからない、と思っている若者には、是非とも手にして欲しい一冊だ。頭でっかちで色々考えてみるよりも、まずは出会ってみる。そこで、何かをやってみる。対話してみる。そういう風に、動いてみることで、「うっかり」何かが始まる。それが、自分の人生を変えうる出会いになることもある。
そんな「うっかり」のダイナミズムが知れて、この本は実に良かった。