今日はスウェーデンからの来客がこられる。
お昼に「小作」にて甲府名物「カボチャほうとう」をお勧めする。クーラーが効いた部屋だけれど、フーフー言いながら、みんなで食べながら議論。スウェーデン社会における移民問題についてやりとりをする。移民への適応政策や手厚い福祉施策を講じても、言語的・文化的ハンディを背負った大人達は壁を越えて社会に適応できず、結局自文化の殻に閉じこもってしまう。そして、その影響が、異文化にも適応しようとしている子供への抑制にもつながる・・・そういう話を伺っていた。スウェーデンに限らず、ロンドンのテロでも英国籍の第二世代・第三世代の問題が指摘されていたが、同じ様な問題がスウェーデンでも起きているようだ。
実は、この問題は全く他人事ではない。例えば僕はよく激安商品を求めて業務用スーパーに出かけるのだが、甲府でもそういうスーパーに行くと、たくさんの外国人を見かける。精密機器などの工場労働に従事している日系人や、歓楽街で働くアジア系の人々など、多くの外国人が甲府でも働いて、生活している。そんな外国から甲府に移り住んだ人々の子供達への教育支援の問題や、あるいはその親世代で日本語がままならない人々の生活上の支援など、多くの地方都市で外国人支援の問題が顕在化しつつある。そういえば、外国籍の子供達を支援している現場に阪大時代の仲間が何人か携わっており、支援の内容も重要性も年々拡大し続けている、という話を伺ったことを思い出す。
もう一つ、自分事に感じたのは、スウェーデンで半年暮らしていた時の経験だ。あのときは僕はまさに「外国人」だったのだが、母集団以外の社会への溶け込みにくさ、を感じた。色々な段階があるのだが、まず言葉の壁。僕たちはルーズで結局英語で通してしまったため、言葉が出来ないことによって本当に閉ざされた感覚があった。次に、「ためらい」の壁。それは言葉が出来ない事とリンクしているのだが、自分たちの価値観や考え方と違う集団に合わせたり、その一員として振る舞うことに、何となく躊躇してしまうのだ。「ここではどうせ外国人だし」という異邦人性が、別の社会では常時くっついている。すると、コミュニティへの愛着や帰属意識を持つことは出来ない。
もっとも、この異邦人性、つまりコミュニティへの愛着や帰属意識のなさは、単にスウェーデンという外国だから、という訳ではない。日本にいても、実は生まれ育った京都への帰属意識(京都出身だから)というのはあっても、それ以後住んだ茨木や西宮でもコミュニティへの愛着や帰属意識は、残念ながら持てなかった。甲府でもまだ持てずにいる。もちろんそれは、子供がまだいなかったり、持ち家ではなく賃貸だったり、引っ越して半年もたっていなかったり、という様々な事情が重なっているとは思う。ただ、自分自身が地域で「根無し草」的状態であるのに、よく地域福祉を教える側に立っているよなぁ、と実の所、思っていたりする。甲府では自治会活動が今でも立派に存在しているのだが、僕自身は、自治会活動に参加しなくてもよい、と言われて今のマンションを選んだ。つまり、住んでいる町への「所属感」を持とうとしなかったのだ。この所属感のなさ、は、その町への、そしてその社会への愛着の低さ、にもつながるんだろうなぁ、というのは容易に想像できる事だ。すると、甲府やスウェーデンでのstranger達がどんな思いを馳せているのだろうか、というのは、決して他人事ではなく想像出来てしまう。
では、そういう人々を、コミュニティはどう受け入れていけばよいのか? もちろんそう簡単に答えが出る問題ではない。事実、地域福祉の大きな課題でもある。ただ、今日議論している時はきちんとまとめられていなかったのだけれど、地域福祉の問題を考える際、ニューカマーの人々に、どのようにその地域の問題に自分事として参画してもらうか、が鍵である、と思う。ニューカマーは往々にして「お客様」であったり「サービス受益者」であるが、サービス提供者側になりにくい。正直それでは、その街のことを主体的に考えにくいのでは、と思う。例えば小学校のPTAに外国人の会長がいたっていい。自治会活動に色んなニューカマーが積極的に「おもしろい」「自分達家族の為になる」という活動を取り入れることも大切かもしれない。そういう、ニューカマーにも役割と尊厳がきちんと提供される中で、いつの間にか異邦人性が消えていくのではないか。茹だるような暑さの中で、そんなことを考えていた。