螺旋階段的グルグル

今日は久々にジムに出かけた。

アメリカ出張直前から数えること2週間以上。運動不足がたたって、昨日一昨日と久々にこむら返りまでおこす始末。身体が「運動しなはれ」と説教していた。でも、カリフォルニアではホテルのプールに行く余裕も無いほど連日調査でくたびれはて、日本に帰ってきてからも、既に書いたようにまったく運動にいく精神的・時間的余裕がなかったのだ。なので、今日は久しぶりにワークアウト。こってり脂っこい汗を出していく。すごく気分がよろしい。

気分がよろしいのは、運動だけではない。ボチボチ仕上げなければならない来週の講演のレジュメが、午前中にほぼ仕上がったのだ。それもたんまりと。もとはと言えば、昨日の夜にさる所からファックスで流れてきた、制度改変に関する厚労省関連の資料。見ていて、「それはちょっとなんだかなぁ」と思っているうちにムクムク腹が立ってきて、腹立ち紛れにその資料への反論のパワポを作っていたら、すっかり夜中に。おねむになったので、一晩資料も頭も寝かせて、朝食後に続きを作る。で、仕上げた後に二度寝でもしよう、と思ったのだが、ついでに来週話したい事も次々浮かんできたので、どうせならエイヤ、っとパワーポイントを作り込んでいく。木曜日の時点では「ぶっ飛んでいた」様々な想い(の一部)が、少しずつレジュメ上の言葉として落ち着いてくる。火曜の夜はこのレジュメを基にさらに脱線しながら話が膨らんでいくんだろうなぁ、と思いながらも、まあこのグルグル螺旋階段的拡がり、がタケバタのよいパターンだな、とも思う。

ついでに言うと、この「グルグル螺旋階段的拡がり」なるもの。これは、自分が考えたオリジナルだ、と思いこんでいたが、以前に書いた今田高俊さんの本を読んでいて、「あ、これは!」と再発見。彼が自己組織性の中で書いていた螺旋階段的上昇の図を、僕はそういえば大学3,4年の集中講義で聞いていて、ノートにとった記憶がある。でも、そのときは全然あまたに残らず、それから数年後の大学院生の時、予備校生や高3生相手に次のように語り始めたのだった。

「人生は螺旋階段のようなもの。同じ所を何度もグルグルまわる。でも、螺旋階段は、同じ位相だと思っていても、少しは上昇している。また、この螺旋階段は、上昇する毎にその半径も少しずつ拡がっていく。そうやって、考えを深めながら、同じ局面を違う様相で歩みながら、自分なりの年輪を重ねていくのだ」

そっか、これは今田さんの言う自己組織性の理論に基づいてたんだ。しかも今田先生にならったことを自家薬籠中のものにした気分になり、あげくの果てにすっかりラベルを変えて「バタブランド」なるものに熟成させた「つもり」で、売り歩いていたのだ。あれまあ・・・。とはいえ、これは剽窃や盗作とは違う。先人の叡智を吸収し、自分の言葉で語り出すとき、編集されて加工された叡智はタケバタ色の新たなタペストリーとなっていくのだ。ただ、そのとき原典へのレスペクトの気持ちを忘れないことはもちろん大切。こうして久しぶりに今田氏の本を手に取ったのも、あることを考える原点(原典)を思い起こさせてくれる、貴重なご縁なのだ。再び同じ立ち位置に戻ってきた今、授業を聞いた10年前より、多少は位相も半径も違っていると感じている。さて次はこの螺旋階段をどんな半径で、どのような高みをめざして、昇っていきましょうか? 今からが楽しみだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。