拒否宣言のメタメッセージ

ボランティア拒否宣言を久しぶりに授業で扱った。
(原文は次のhpに http://syuwade.gozaru.jp/volunteer.htm

9年くらい前、大学4年生の頃だっただろうか、非常勤で教えに来ておられたH先生のボランティアに関する授業の中で、この「拒否宣言」に出逢った。当時は障害者運動の流れも知らず、むしろボランティアする側のマインドでこの「拒否宣言」を眺め、ずいぶんキツイ表現だなぁ、と思っていたものだった。

先日研究室を掃除していた折り、このH先生の授業のレジュメ一式が出てきた。僕はこの先生の授業が好きで、他の授業はろくすっぽ出なかったのに、この先生の授業はすごく考えることが多くって、自分の性にあっていたのか、毎回必ず出席していた。もともと少人数だったが、最後のレポートが終わった後の補講にはとうとう僕しか出席せず、一対一で色々教えて頂いたことを昨日のように思い出す。そういえば、この先生が用いておられたフィールドワークの手法の一部も、自分の中で息づいているような気がする。だが、このときは、正直「拒否宣言」の本質を理解していなかったのかもしれない。

それから10年、今年授業で用いてみて、意外な発見があった。
先週の授業でこの「拒否宣言」を題材に取り上げたのだが、実に様々な感想が出てきた。今週火曜日はその感想から14人分のご意見を一枚のプリントにまとめ、ボランティア・NPO論の4限の授業では、10数名の大学3、4年生の皆さんと全部の意見を読んでみて、自分が誰のどんな意見にどういう気持ちを持つか、のディスカッションをしてみた。そのとき、ある学生の感想の中に「ボランティアを拒否してしまって、車いす生活者なのに、そんなプライド高くして生きていけるのか?」という問いかけにどう答えよう、と思っていた時のこと。ふと、次のようなフレーズが口をついて出だしたのだ。

拒否宣言は、実は文字通りの拒否ではなく、切実なるコミュニケーションを求める過激なきっかけなのかもしれない。例えば皆さんだって、彼氏彼女に「あんたなんか嫌いよ」という場面もあると思う。でも、そのとき「じゃあ別れようか?」と相手に言われたら面食らうことはないか? 「あんたなんか嫌いよ」という表現に対する論理的解答としては、「では別れれましょう」もありだが、「嫌いよ」表現が発するメタメッセージが実は別の所にあるから、「別れよう」という応酬は、「嫌いよ」というメッセージを発したご本人が求める返答としては相応しくない場合がある。

どういうことか? たいていの場合、「あんたなんか嫌いよ」という表現の裏には、「こういう部分についてすごく不満があるのだから、ちゃんとこの部分を聞いてよ(配慮してよ、大切にしてよ、遠慮してよ・・・)」という訴えがある場合が多い。その際、この裏の表現(メタメッセージ)に着目して、「どこが納得いかなかったのかなぁ?」と耳を、目を、心を相手に向ける人と、表面的な「嫌いよ」メッセージにのみ反応する人とでは、その後のコミュニケーションの行く末はずいぶんことなる。

私たちは本質的なデッドロックにさしかかった時に、しばしばそれを打開するための強硬手段として「あんたなんか嫌いよ」というフレーズを用いる。もしかしたら、花田さんの「拒否宣言」も、ボランティアに本音が伝えられずに身もだえした結果、にっちもさっちも行かなくなった折りに、その状況を打開するための強硬手段として選んだ「宣言」なのではないか。ならば、この拒否宣言の表面的メッセージに囚われて「ほんならボランティアなんていらないの?」と感情的判断を先行させるのではなく、メタメッセージは何か、に気づいて、「じゃあどういうことを直せばいいのか?」というコミュニケーションの回路を開いていくこと、それが、この拒否宣言に対するレスポンスとしては相応しいのではないだろうか。

書いてみたらごく単純なことなのだが、このことに気づくのに10年かかってしまった。なんという遅々とした歩み。でも、多分10年前の青臭いタケバタ少年には思いもつかなかった考えだろうなぁ。その一方で、この日の発言に一番深く頷いて、授業後も「今日の先生の発言、恋愛に置き換えて言ってくれたから、深く納得しました」と仰ってくださったのが、女子学生2人組だった。彼女たちが20才で気づいた事を、僕は10年後にようやっと気づいているんだから、まったく、ねぇ・・・。

なにはともあれ、このメタメッセージ分析、というのは、デッドロックにさしかかっている他の事象を解きほぐす際にも有用かもしれない。表面的な言葉に振り回されず、メッセージの本質と真っ当に向き合う、それが肝要なのだと気づけて、変な話だが自分でも得した授業だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。