「周囲のどちらへも行ける自由とは、すなわち砂漠の真ん中に取り残された夜のようなもので、つまりそれが、孤独の必要条件でもある。
だから、自由と孤独は、切り離せない。
道が一本あれば、行く手は自然にその一つに決まる。選択する機会が失われる。その不自由さに、人は安堵して、歩み続けるだろう。立ち尽くすよりも歩く方が楽だから。
そして、その歩かされている営みを『意志』だと思い込み、その楽さ加減を、『幸せ』だと錯覚する。」
(「恋恋蓮歩の演習」(森博嗣、講談社文庫、p11)
自分で決めなければならない、というのは確かに面倒くさい。単純な話で、その責任はまさに自分に起因するからである。誰をなじることも出来ない。なじるのも、なじられるのも自分だからである。こういう状況は確かに自由であるかもしれないけれど、絶対的な孤独がつきまとう。一方で、誰かのせいに出来ることほど楽だし、他責的な自分を「自覚的に選び取った」と信じれば、孤独からも逃れられるし、これほど「幸せ」っぽいことはない。ただ、「手放しの自由」を放棄すればいいだけだ。
僕の前には、幸か不幸か一本の「道」もない。頼れる、あるいは参考に出来るストーリーなりロールモデルなり思想なり先輩なり、がいないのだ。もちろん尊敬すべき先輩や恩師はいる。ただ、偉大すぎたり、自分とベクトルが違ったりして、「この人の歩んだ道を追いたい」というわけにもいかない。その結果、「僕の後に道が出来る」というほど立派なものではないが、ここしばらくずっと、草深き藪の中を鉈を片手に突き進んでいる日々なのである。どこに向かうか、は鉈をふるう僕自身にもわかっていないのであるが・・・。
年始めに親や恩師と話していると、ついつい自分が歩んできた道のりについて、他人の目から回顧する機会に恵まれる。たかだか10年15年ほど前の事でもすっかり忘れている自分がいて、「あのときはこうだったんだよ」と言われて「そんなことでもあったのか」と気づく自分がいたりする。
そんな中、自分の行く末の不確かさに漠たる不安を抱く20歳の若者に出会った。様々な情報に埋もれ、でもその情報を元に一歩を踏み出す勇気や意欲がわいてこず、とりあえず「たんま」の状態で一時休止しているのだ。彼と話しながら、ふと思い出した。そう、僕も「たんま」している頃があったっけ、っと。
「たんま」。未来の不確かさと、自分の自信のなさ、環境との不適応性・・・そういう要素にさいなまれ、一歩踏み出すことに躊躇するがゆえの「小休止」。一本の「道」に突き進んでいく周りの人々に羨望のまなざしを持ちながら、なぜか納得できずにその道に帯同することも出来ず、地団駄踏みながら、同じところを行ったり来たりしていた。
そんな僕が鉈を片手に歩み始めたのはいつ頃からだろう。よく覚えてはいない。しかし、地団駄踏んでも「なんともならん」と気づいた時から、そして「皆が進む道をついて行っても順風満帆ではなさそうだ」とわかってしまった頃から、立ち止まっても付き従ってもしゃあない、と、道なき道を歩き始めたのだ。歩き始めた当初は何度も周囲に不安を漏らし、「孤独だ」とわめき続けていた。しかし、そうやって孤独さを語っている自分が一番孤独である、という単純明白な事実が迫ってきて、ガタガタ言うてもしゃあない、と、諦めたのだ。何かを選んで、何かを諦めた。「抽象とは捨象である」という大塚久雄先生の名言通りである。その「捨象」の重みと痛みを感じながらも、選び取ってきた結果、捨ててしまった結果、30の僕の今があるのだ・・・。
実家に里帰りをしながら、そんなことを考えていた。