虚往実帰

 

後期の授業が始まる。

学生も教員も息も絶え絶え。なんせ、季節の変わり目で温度変化が激しい。今日は真夏日だそうだが、朝晩はかなり涼しい。で、学生さん達は夏休み生活モードから授業モードに切り替えるのが大変そう。教員だって同じ。もちろん、って書くのも哀しいのだが、タケバタは夏休みもフル操業をしていたのだが、でも自分で一定のリズムを決めて働くのと、火~木まで授業が固定されているのでは、働き方の柔軟さが違う。固定された枠組みへの対応も、慣れてしまえば楽なのだが、そこに身体と精神を合わせるための「移行期間」。結構きつい一週間でありました。

で、そんな中、先週から読み始めた夢枕獏の空海本4巻を読み切る。最初のうちは異能者空海と凡人の橘逸勢の掛け合いが、陰陽師でいう安倍晴明と源博雅の掛け合いと、説話構造的に同じだなぁ、という部分が気になったが、伝奇小説の巨匠はそんなことおかまいなしに、話をグイグイ引っ張っていく。読み手は、気が付いたら楊貴妃伝説を巡るアヤシイ世界に引き込まれていく。それにしても、長い長い4巻ものであった。

僕は夢枕獏が好き、というより、彼が選んだ題材である空海に、高校時代から何故か惹かれている。母校が東寺境内の中にあり、遠い開祖は空海である、というだけあって、週1日の「宗教」の授業で、空海の「虚しく往いて実ちて帰る」などの名言の解説を聞いたり、あるいは夏休みに「高野山合宿」という勉強合宿にバスを連ねて出かけた折、空海が眠る「奥の院」まで歩いた、という「ゆかり」はあった。曼荼羅といった言葉も、ごく自然に耳に入る環境ではあった。

だが、自分から求めて空海に近づいたのは、大学に入ってからだろうか。浪人もしたが第一志望であった大学に落っこち、自分の入った大学を軽蔑している、愚なタケバタであった。大学一年の、身も心も浮き浮きしてよい時期に、憂さ憂さで満たされた心が解放される筈もなく。ちんけなプライドが邪魔をして、大学で友人はあまり出来なかった。「ここじゃないどこか」という下らん尺度に縛られて、眼前の現場の良さを全否定する、それはそれはつまらん大学一年生であった。そういう目線でしか見えないから、授業も、入ったサークルも、友人までも、どこか味気なく感じた。当たり前だ。自分が信用しないオーラを出しまくっているのに、相手からも信用される訳がない。一言でまとめると「嫌な奴」だったのだ。京都の実家から電車を乗り継ぎ、片道2時間かけて通いながら、心の中は虚しさばかり。何のためにという虚言がしょっちゅう口をついて出てくる、そんな時期だった。

そんな、一年の冬のことだった。
全く何もかも面白くなくて、冬休み明けの1月の平日、余っていた青春18切符を使って、高野山まで出かけてみた。大阪から和歌山経由で橋本までJRで出かけ、その後南海電車に乗り換えて、極楽橋へ。そこからケーブルカーに揺られて高野山駅までたどり着く。ガラガラの車内に出来た日溜まりに向かって、「自分はこの先、どこに行くのだろう」とボンヤリ考えていたことを思い出す。奥の院は高校時代に何度か参詣しているので、「ご挨拶」もそこそこに、霊宝館という宝物館で、様々な曼荼羅をじーっと眺めていた。誰もいない室内で、暖房も殆どなく、冷え切って、静まりかえった空間で、ただただ曼荼羅と向かい合っていた記憶がある。この世ならざる世界に、片足をちょっと突っ込みかけた、そんな気分になっていた。

だが、そこから数日後、急に現実世界に呼び戻される。
それが、阪神淡路大震災である。震度5の京都でも、11階に住んでいた我が家の被災状況は震度7相当のゆれだった。九死に一生を得た気分で、それまでのアパシー感覚は吹っ飛んでしまう。「ぐだぐだ屁理屈言ってないで、とにかく、何かせんと」。そんな想いで、昔ご縁のあったボーイスカウトの緊急援助隊に加わった事を皮切りに、学内でボランティア隊を組織したり、と自分が出来る貢献を必死になって模索する。そういうリアリティのある活動を通じて、人との本気の関わりを取り戻し、信頼できる仲間や居場所が出来、気が付いたらその後10年近く、嫌っていた筈の大学に席をおき、今では別の大学で「ボランティア・NPO論」を教えている。歴史にもしも、はないけれど、あの高野山に出かけた時の手詰まり感、というか、場面の極まり感がなければ、そして、その後の震災がなければ、今、自分は山梨で教員をしていなかったことは、ほぼ間違いない。何という「ご縁」なのだ、と改めて実感する。そういう意味では、高野山に出かけたのも、「虚しく往いて実ちて帰る」プロセスだったのだな、とも感じるのだ。

そういう「ご縁」のある弘法大師なので、あまり難しい密教の専門書は通読出来ないけれど、目に付いた小説類は結構買って読み進める。定番である司馬遼太郎の「空海の風景」も良いが、陳舜臣の「曼荼羅の人」のような中国での空海をクローズアップしたり、あるいは小説ではないけれど、編集工学の第一人者である松岡正剛による「空海の夢」も面白かったし、意外な所では「僕って何?」の三田誠広までが「空海」という解説+小説本を書いている。「お大師はん」(関西的な言い方)モノは、暁の明星を飲み込んだ修行僧の時代、入唐時代のエピソード(これは陳舜臣や夢枕獏さん)、帰国後の最澄との対決、高野山開祖、等々、どの切り口からでも楽しめ、意外な発見もあり、他の著者の作品も読みたくなるほど、半端なスケールではないことだけは確かだ。

このブログを書きながら、アマゾンで空海を検索するだけでも、知らなかった作品に山ほど巡り会える。さて、次はどの切り口を読んでみようか。そんなことを考えていたら、ギアチェンジのだるさも忘れそうな、そんな週末になりそうだ。この文章を書くこと自体が、まさに「虚往実帰」のプロセスなのかもしれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。