日曜の研究会で先輩の研究者から、「これ面白いよ」と貸して頂いた一本のビデオ。昨日学生さんに手伝ってもらってDVDにダビングして、その映像をチェックし始めたら、あまりに面白くて最後まで一気に見てしまった。その映像のことを書こうとネットで調べてみたら、何と一部がダウンロード出来るではないか!
これは留学経験のない僕でもわかりやすい。なんせ、映像に字幕がついているし、横にはスクリプトまで載っている。最初映像を見た際は、それらが全くなかったけれど、オクラホマの入所施設にかつて住んでいた、そして現在は地域で暮らしている知的障害を持つ人々やその家族が、どんな思いをしていたのか、の変遷が、英語を超えてダイレクトに伝わってくる。
「俺は“ちえおくれ“なんて呼ばれたくない。そんな言葉、絶対に使ってほしくない。」
I don’t like to be called retarded. That shouldn’t be used.
予備校時代の恩師の先生が、「タケバタくん、英語を英語として捉えたらあかん。文字の向こうっかわにある、誰かがあなたに何かを伝えたいという思いに添わなあかん」と仰っておられたのを思い出す。その映像の向こう側に、施設で嫌な経験をし、今自由を取り戻した多くの「人」がいて、映像を通じてその大変さや苦労、今の楽しさを僕に語りかけてくれている。英語という「文字の向こうっかわ」とダイレクトに繋がると、字幕がなくとも、なんかじんわりしてくるものがあるのだ。
で、この映像はどこのサイトのものなんだろう、と調べてみると、なんとミネソタ州の発達障害者福祉局。アメリカの発達障害者福祉法は権利法としてすごい、と知識で知っていたけれど、こんな大切な映像もアーカイブで残していて、しかもそれらを通じて多くの人に普及啓発しよう、としているのが凄い。なんてクリックしていくと、面白い映像が出てくるは、出てくるは。とりあえず試しに見てみた次の映像も、やはり15分間釘付けだった。
Person-Centered Thinking: Supporting Self-Determination
パーソン・センタード・プランニング。日本では本人中心計画と言われている、専門家主導ではない新しい支援の考え方である。その訳本をいくつか読んでみても、原著を眺めていても、なんかその本質がしっくりこなかった。だが、上記の映像をみて、その疑念が吹っ飛んだ。自己決定の尊重や、あるいは責任主体として動けるように支援する、といった難しそうなことを、実にわかりやすく解説してくれているのだ。
他にもParallels In Time:A Six-Hour History of Disabilityとか、興味津々の内容がてんこ盛り。ちょうどある報告書の〆切直前で、そんなもん見ている暇ない、と怒られるかも知れないが、実は今まとめているのが、まさに日本における知的障害者の地域生活移行について、当事者たちがどう考えておられるのか、というインタビューデータのまとめ。この作業をする中で出てきた当事者たちの思いと、このアメリカの当事者たちの語りが、本当にパラレルなのだ。そういう、歴史性や普遍性を持つ内容故に、心揺さぶられていたのかもしれない。でも、そろそろ本業に戻らなくっちゃ。
以上、マイブームの報告でした。