縦穴を掘る

 

丸二日、のんびり出来た。こういう時間を忘れていた。

当たり前の土日が、いつの間にか当たり前ではなくなっていた。仕事の整理も出来、好きな本をルンルン読み進め、JAの直売所で春真っ盛りの野菜を買い込み、夜は酒盛り。調子にのって酒を飲み過ぎた一点が響いて、今日は少し気持ち悪い。唯一の汚点だ。ビールをコップに一杯、ワインはボトル半分、が分岐点で、ここは超えてはいけない一線だ、としみじみわかる。20代でもないのだし、こういう次の日に残すのは、それこそもったいない。

で、週末読書では多くの発見があった。

一つは沢木耕太郎の「旅する力」(新潮社)。月並みな言い方だが、彼の「深夜特急」を読んで海外に憧れた者の一人として、あのシリーズを書いていた沢木氏の回顧録的なエッセーが面白くない訳がない。同時に、あるライターが、自分らしいスタイルを獲得するための試行錯誤の記録、としても、読み応えがある。ここしばらく、自分が身につけつつあるスタイルを自覚化しつつある僕にとって、スタイルを巡った思考に引きつけられてしまう部分が強いのだ。

で、スタイルと言えば、一気に読んでしまった池田晶子氏の「魂とは」(トランスビュー)にも惹きつけられた。実はこの本は昔、法蔵館から出た「魂を考える」の大幅増補版である。著者は2年前に亡くなっているのだが、遺稿をもとに、この春3冊も本が出る、というのは、著作全てを愛読している人間にとって、嬉しい限り。しかも、この前書いたように、以前読んだはずなのに、ほとんどそのテイストは覚えていないだけでなく、今回、前回と全く違う読みをしていることがわかる。「え、そんなことを書いていたんだ」という部分を、いかに前の自分は読み飛ばしていたことか。よく言えばこの10年間でのリテラシーが少し上がった、ということだし、正直に言えば、自分のアホさ加減が丸わかり、である。

この大幅増補版で、今回新たに増補された部分に、今の問題意識と大変重なる所をみつけた。

「横軸でものを語るっていうのは、事実ではなく、価値を語っているんだと思います。たとえば、ある主義をかざす人は自分の主義を正義だという。ほかの主義をかざす人は、ほかの正義を主張する。だけれども、『正義』というこの言葉の意味自体を考えようとは決してしない。彼らが語っているのは、事実ではなく、どこまでも自分の価値観なんです。」(前掲、p218)

片腹痛くなりつつ、まさにその通り、と頷く。少なくとも今はそうではないと思いたいが、ちょっと前までは、僕自身も「横軸でものを語る」ことしか出来なかったからだ。で、その横軸と対称的に、「事実」や「言葉の意味自体を考える」ことを指して、彼女は「縦」に考える、という。別のところで、その縦軸での見方をこんな風に述べている。

「古典が古典たり得るのは、それらが自分を主張することなく真実を述べているからである。だからこそ後世の他人が読んでも、『自分を読んでいる』という感じになる得るのである。真実よりも先に自分を主張するものは偽物だから、遅かれ早かれ、歴史から姿を消す。やはり、どの時代の人も、他人のエゴよりも自分の真実に触れたいと思うものだからである。」(前掲、p226)

確かに、池田晶子氏の本にはまっていても、それは池田晶子氏の考え方、というよりも、「哲学の巫女」を自称する彼女を通じ、『自分を読んでいる』から、面白いのだ。しかも、この文章も初出は10年前の文書だが、決して古びていないし、「古典」として残っている。大学院生の時、世間を賑わせたある思想が嫌いで、その分野の専門家の先生に「そういう風潮ってオカシイと思う」と息巻いた際、その先生は「放っておけばいい」と喝破しておられた事を思い出す。なるほど、その先生は「真実よりも先に自分を主張するものは偽物だから、遅かれ早かれ、歴史から姿を消す」という真理の眼で喝破しておられたのだ、と今頃になって気づく。

そして、文章を書く仕事を少しずつさせて頂くようになった自分自身に、今、この刃が突き刺さっている。僕の書く文章は、「他人のエゴよりも自分の真実に触れ」られるような、真実への探求という深みがあるだろうか。「真実よりも先に自分を主張する」「偽物」になっていないだろうか。あるいは、「真実」の探求という縦軸の井戸を掘るのにつかれて、安直な横軸(=主張)を「真実」らしく「偽装」してはいないか。

「偽装食品」は食の安全を脅かす。同じように「偽装言論」は言論への信頼を脅かす。事実、言論に力がないのは、今に始まったことではない。だが、他人はどうであれ、自分自身は「偽装」する安直さに逃げたくない。それが、沢木氏が獲得したスタイルに通じる何か、だと思う。

こう書いていると、頭の中もスッキリすると共に、ようやく酒も抜けてきた。さて、今週も頑張ろうっと。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。