13年いまむかし

 

フランクフルト空港は夕方であるが、日差しは明るい。ドイツくらい南にくると白夜はないのだろうが、それでも日照時間は長いのだろう。

マンチェスターからのフライトは定刻通りドイツに着き、成田行きの搭乗時間までまだ3時間以上も待たされる。タックスフリーもぱっとしないので、バーに腰掛けて、ドイツビールを頼み、ワイヤレス回線をつなぐ。旅の途中で疲れていて、真面目な本を読む気力もない。そんなときに、パソコンをかちゃかちゃするほど、よい時間つぶしはない。

この1週間、ある学会での発表と、別の学会参加をかねて、イギリスまで来ていた。ヨーロッパといえども、スウェーデンとデンマークを除いてはほとんどご縁がなかった。イギリスは、13年ぶり。1996325日には、湖水地方のケズウィックに居たらしい。

なぜ物覚えの悪い僕がそこまで正確な日付を書けるのか。それは、13年前にイギリスに持って行った本を、再読しようと鞄に入れていたのだが、取り出してみると、13年前のバスチケットがしおり代わりに挟まれていたのだ。

13年。今の人生全体で考えたら、3分の1弱の期間。長いようで、あっという間の期間だったような気がする。

13年前、生まれて初めて、一人で海外旅行に訪れたのが、イギリスだった。大学も2年間が終わった折り返しの春休み。楽しくて安全なところだ、と友達に勧められ、バックパッカーはロンドンの地に降り立った。ただ、そのバックパッカーは大変重要な事実を見逃していた。友人が訪れたロンドンは夏。私が訪れたのは冬。夏は夜10時過ぎまで明るくて、人々も陽気で、気持ちがいい。だが、冬は寒くて、日差しもあまりなく、陰鬱な日々なのである。そう、夏目漱石が神経衰弱になった、あの寒いロンドンなのである

そんな寒いロンドンで、旅仲間も現地での友人も出来ず、湖水地方の人気もまばらなB&Bで、美味しいお茶を入れて頂き、ストーブに暖まりながら読んでいたのが、こんな本だった。

「自分を見せびらかさないから、おのずからはっきり見られ、
自分を主張しないから、きわだって見える。
信用を求めないから、信用をうけ、
うぬぼれないから、最高のものとなる。
争うことをしないから、天下の人で争えるものはいない」
(チャン・チュンユアン著、『老子の思想』講談社学術文庫、p131)

21歳の若者のチョイスとしては、背伸びをしている、という感じは否めない。だが、哲学や思想的なものにあこがれていた青年には、ハイデッカーやヘーゲル、西田幾多郎や和辻哲郎の思想を老子と交わらせて、「道徳経」に独自の視点から解釈を加えるこの文庫に、得も言われぬ知的憧れと興奮を持って読んでいた。

13年前、この言葉をどれだけ理解出来ていたか、はアヤシイし、もちろん今だってわかっているとは言えないだろう。そして、13年前にほのかに思想を専門とする学者にあこがれたが、ドイツ語に挫折した青年は、13年前に思いもしなかった福祉分野の研究者になってしまった。

だが、13年前の何も知らない青二才も、この13年間で多少なりとも試行錯誤や痛い思いをし、従って当時は難解に感じた老子の言葉やその解釈も、以前よりは実感を伴った言葉として身に浸みてくる。そう、今回のような海外旅行中に、アミノ酸を取るためにホテルで飲む味噌汁のように。

愚かなるヒロシ君は、この13年間、見せびらかし、主張し、信用を求め、うぬぼれ、争ってきた。そのたびに、逆効果をもたらし、摩擦と混乱の渦の中に巻き込まれ、傷つき、また少なからぬ人を傷つけ、迷惑もかけてきた。今だって、まだ逆効果の連鎖を完全には断ち切ることは出来ていない。だが、以前より少しはその逆効果の正体を自覚出来るようになってきた。そして、無駄な力みを減らし、必要な力を出せるように、ちょびっとずつだが、軌道修正をしてきたのだと思う。

そして13年後。海外に行くなら、遊びではなく仕事で行きたい、と力んでいたら、幸か不幸か仕事「のみ」で出かける機会が多くなってしまった。今ではもうちょっと遊びに出かける事もしたいな、と軌道修正の必要を感じている。英語は相も変わらず酷いけど、以前よりちょっとは議論に耐えうるものになっていった。

もちろん、直感や感情が先行して、批判的思考が身に付いていないのは、今もそう変わりはない弱点だ。あるいは、13年前より多分5キロ以上は肉が付いてしまった。時差ボケはなかなかとれないし、疲れやすいし、味噌汁を持って行かないと、身体が持たない。そういう衰えや弱みはあるけれど、13年前よりは少しは「ものわかり」が良くなったのではないか、と思う。人はそれを、成熟した、とも、若さを失った、とも言う。出来れば、後者ではなく、前者の意味で捉えたいのだけれど

閑話休題。
以下、エジンバラからヨークへ向かう旅の中日に書いたメモ書きをとどめておく。


7月1日(月)

「研究者の役割、それはcollaboraterです」

スコットランドのエジンバラで開かれていた社会政策学会(Social Policy Association)。その週に開かれる別の学会(East Asia Social Policy reserch network international conference)で発表するために訪英し、ついでに同時期に開かれていた関連学会に、こちらは勉強のために参加した。この学会では、我が国でも最近関心が持たれているダイレクトペイメント(障害者が、自らの障害程度に応じて現金給付を受け、自らが必要な福祉サービスや、誰に支援を受けたいか、を選ぶことが出来る制度)が、高齢者や障害児家族にも応用されてIndividual Budgetsというパイロットプログラムに高められ、その成果についての分析発表などがあり、それはそれで学ぶことが多かった。曰く、障害者では自己決定出来ることがサービスの満足度を高めることにかなり役立つ一方、高齢者は選択する事に困難を感じ、このパイロットプログラムに満足していない、など、様々な分析がなされていた。

それらの議論も面白かったのだが、最も面白かったのが、学会の最終日の最終講演。研究者(Marian Barnes)と精神障害者の家族、当事者が「社会正義と当事者参画」というタイトルで発表した時のこと。講演内容はかなり面白く、終わった後に話を聞いてみたい、と密かに思っていた。だが、質疑応答の時間の「最後にもう一人」という段階で、誰も手を挙げない。100人以上の英語を母国語とする研究者の集まりで、ひどい英語で聞くのも躊躇したのだが、せっかくやってきたのだから、と恐る恐る手を挙げて、一番聞きたかったことを聞いてみたのだ。

「当事者参画に果たす研究者の役割とは何ですか? サポーターなのでしょうか、ファシリテーターなのでしょうか? あるいは、それ以外の役割ですか?」 

冒頭の発言は、この質問に間髪入れずにマリアンが答えた内容である。手持ちの英英辞典でcollaboraterを引いてみると、こんな事が書かれている。

someone who works with other people or groups in order to achieve something, especially in science or art
(特に科学や芸術の分野で、何かを成し遂げるために、他の人々や集団と協働する人:ロングマン現代アメリカ英語辞典より)

つまり、マリアンさんは、当事者参画を進めるにあたっての研究者の役割とは、協働を促進する役割である、と整理しているのである。この話を聞いて、我が意を得たり、と深く頷いた。そして、会の終わった後、彼女に近寄ってもう少し話を聞いてみると、彼女はこう続けたのだ。

「アカデミックの世界は、現場とは離れている。その際、現場と協働して、現場を変えるためにお手伝いするのが、当事者参画を目指す研究者の役割だ。協働して研究を行うだけでなく、今何が起こっているのが、という全体像を当事者や家族に伝え、彼ら彼女らが政策にも参画出来るのかを伝える役割がある。」

文字通り、洋の東西を問わず、同じ思いで仕事をしている人に出会えること、これほど嬉しいことは無かった。そして、改めて僕自身がきちんとcollaboraterの役割を全う出来ているのか、を問い直す機会にもなった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。