コミュニティを変える社会起業家精神

このブログは、前回書いた「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」としての、コミュニティ・ワーク論の続きでもある。そこに、社会起業家という補助線を引くと、かなり展望が開けてくるのではないか、というお話。

社会起業家というと、市場を通じて社会を変える取組み、と認識している人も少なくない、と思う。だが、必ずしも市場を使うかどうか、が社会起業家の条件ではない。むしろ、解決すべき課題(目的)を何とかするための方法論の一つとして、ビジネスも有効な手段の一つだ、という認識である。もちろん、ビジネスではない、教育や福祉などの制度、地域の人々のボランタリーな活動を手段として、その目的が達成される場合もある。あるいは、ビジネスの力と、制度やボランタリーな活動を組み合わせて解決する場合もある。
僕自身は以前、スウェーデンのベンクト・ニィリエは、「重度障害者は入所施設や精神病院しかない」という社会の思い込みを壊し、「ノーマライゼーションの原理」という形で支援の新たな形態を作り上げ、世界中で脱施設・脱精神病院の動きを広めた社会起業家だという論文を書いたことがある。あるいは、システムの限界・壁を越える社会起業家の創造プロセスをU理論や魂の脱植民地化との関連で論じたこともある。これらの一部は、『枠組み外しの旅-「個性化」が変える福祉社会』という単著の中にも組み入れた。
この本を上梓してはやもう1年、今月末には二冊目の単著『権利擁護が支援を変える-セルフアドボカシーから虐待防止まで』(現代書館)が出ることになった。前著が理論編だとしたら、後者はその実践編とも言える本であり、この10年間、追いかけてきたことをある程度この二冊で形に出来た。(今回の本の内容は、発売日近くになったら、またアップします)。
で、二冊目の本も校了し、最近またインプットモードに戻りつつある。その中で、改めて「枠組み外し」が、社会起業家やコミュニティ・ワークと強く関連付いている、と再確認させてくれる本と出会った。
「社会起業家たちは、単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている。問題を生み、長引かせているそもそもの社会システムとは何かを理解しなければならない。必要であれば構造そのものをかえようとするだろう。そうしなければ、強いインパクトを伴った持続的な変化は起こせないからだ。このように、物事の上流に目を向けて問題のおおもとに対処しようとするアプローチは、下流を見て出てきた問題に応急処置を施そうとするよりも、はるかに持続的な効果をもたらす。」(ビバリー・シュワルツ『静かなるイノベーション』英治出版、p28-29)
実はこの本の原著『Rippling』も1年前に買っていたのだが(密林ではご丁寧に「2012年3月30日に注文しました」と出てきた)、この1年半は二冊の本を出すのに必死で、洋書はほとんど積ん読だった。己の不勉強ぶりがお恥ずかしいのだが、でも良い本が時間をおかずに翻訳される日本の翻訳書環境は本当に有り難い限りだ。で、この本は翻訳も実に読みやすい素敵な本で、昨日の東京出張で読み出したら止まらず、一気に読み終えてしまった。
そして、「単なる対処療法ではなく、根底にある問題を解決するヒントとなる、社会的なパターンを見出そうとしている」という表現から、ノーマライゼーションの原理だけでなく、僕が博論で見つけ、『枠組み外しの旅』でも触れた「5つのステップ」だって、ある種の社会的なパターンだな、と思い始めている。で、去年あたりから、この「5つのステップ」が、コミュニティ・ソーシャルワークと繋がっていると感じ始め、その関係性もブログでぼつぼつ考えていた。そんな中、このシュワルツさんの本を読んで、見事にピースがはまった感覚を持ち始めた。
シュワルツさんが関わる、世界中の社会起業家のネットワーク、アショカ財団は、システム変革に向けたアプローチを、次の5つに整理している。
アプローチ1,時代遅れの考え方をつくりかえる
アプローチ2,市場の力学を変える
アプローチ3,市場の力で社会的価値をつくる
アプローチ4,完全な市民権を追求する
アプローチ5,共感力を育む
この本は、それぞれのアプローチに取り組む代表的な社会起業家を合計18人取り上げ、彼ら彼女らの取組が、どう個人や組織、地域や社会を変えてきたのか、を魅力的に描き出している。
そして、この5つのアプローチは、最近僕がぼんやり考えてきた、コミュニティ・ソーシャルワークからコミュニティ・ワークへと向かう上で、重要な補助線である、と染みこんできた。
たとえば、前回のブログで紹介した「フラノマルシェ」や「里山民主主義」は、アプローチ2や3から取り組むやり方である。でも、過疎化していく状況を逆手に取り、「出来る一つの方法論を徹底的に考える」「あるもの探し」の姿勢は、市場に関与する局面だけで求められているわけではない。「福祉は行政からのお恵み」、だから与えられる側は黙って従え、という支配-服従の論理の問題性は、前著でもこの10月末出る新著でもずっと考え続けてきたことだし、それは「時代遅れの考え方をつくりかえる」こと、そのものである。そして、僕自身が気になるのは、精神科病院や入所施設に長期社会的入院を続けている人、強度行動障害や重症心身障害、ゴミ屋敷や問題行動とラベルが貼られている人々のことである。そういう状態の人に「困難事例」とラベルがつくと、いつの間にか「完全な市民権を追求する」ことが本人に出来なくなるばかりか、その人々を支える支援者も、ましてや周辺住民も、「共感力」を失って、「迷惑な存在」を排除しようというベクトルが働く。
こういう問題の「個人化」に抗して、社会が解決すべき問題だと捉え、現実的な解決策を模索して歩みを進める社会起業家は、福祉の現場でも沢山求められている。それは、行政が提供するサービスに限界があり、かつ従来の市場の価値とも相反するものだったからだ。だが、例えば日本のモノ作り産業の現状を追いかけ、近年は中山間地の女性起業や六次産業に着目する関満博先生の『地域を豊かにする働き方』(ちくまプリマ-新書)に出てくるのは、被災地で起業家精神を持って、ネットワークの力を借りながら、事業再生を果たしていく人々の姿である。しかも、その事業再生を通じて、地域社会の雇用を護り、活性化の支援をする、という社会的使命を帯びるなら、それは社会起業家そのものである。また、物語としてのコミュニティデザインの側面から、「歓喜咲楽」「私発協働」「対話共有」「軋変可笑」の4つのキーワードを基に場所の持つ物語の可能性を論じて来た延藤安弘先生の『まち再生の術語集』(岩波新書)の議論とも繋がる。
自らが暮らす家、地域、住・自然環境、社会に目を向け、自分自身や地域住民が役割や誇りを持つ(取り戻す)・・・それらを再生させ、つなぎあわせ、新たな魅力を付加する営みが、日本のそこかしこでも同時多発的に生成している。それは、地域福祉に限定したらコミュニティ・ソーシャルワークだが、対象領域に切り分けなかったら、地域活性化としてのコミュニティ・ワークそのものであり、そこには何らかの社会的問題の解決に心血を注ぐ社会起業家やプチ・リーダー達の存在が、少しずつ、だが着実に増え始めているのである。
ただ、少し気になるのは、制度化された福祉領域の中では、地域福祉、なんて言っても、それは事業や制度の枠内でとどまっているのではないか、という疑問である。厚労省は「地域包括ケアシステム」の展開の重要性を語るが、市町村や社協、地域包括支援センターなど法や制度に準拠した機関は、法や制度、事業の枠内で、そのシステム構築を考えるのではないか、という危惧である。本来、地域の再生や、そこに住む人々の役割や誇りのある暮らしの支援、とは、どう考えたって現場発の、ボトムアップ型の考え方のものである、はずだ。だが、国が音頭を取って地域福祉展開を語るとき、どこかで例えば介護保険の要支援サービスの見直しに代表される、「制度内福祉の切り捨て」の側面が見え隠れする。また、手法も、先進事例から抽出化されたパターンを全国に普及しようという努力は一定評価されるべきだけれど、現場の問題からその地域における問題のパターンを見つけ出し、解決する為に先駆的事例のパターンを活用できる社会起業家やプチリーダー的な実践者がいないと、単年度主義の行政的な「事業」の枠組みは乗り越えられない。つまり、トップダウン的な国主導の地域包括ケアシステムと、今回取り上げたシュワルツさんが提示した社会起業家のアプローチには、大きな隔たりがあるのだ。
で、僕自身はどう考えるのか?
僕は、限界集落や中山間地の現実を変えるために、「完全な市民権を追求する」社会起業家がコミュニティ・ワークを志向するのを応援したい、と思い始めている。対象別の福祉、だけでなく、住宅政策や環境政策との壁も乗り越え、営利と非営利の壁も乗り越え、その地域全体を再生させるための方法論を考える社会起業家論=コミュニティ・ワーク論が必要不可欠だ、と感じている。そのために、僕自身が色々な現場を尋ね歩く旅を再開し、そこで見聞きしたことに基づきながら、拙著の表現で言うなら「学びの回路」を開き、「学びの渦」を生起・発展させ、チェンジメーカーと対話を重ねる中で、福祉領域を突き抜けるコミュニティ・ワーカーが増えるために出来ることを考えたい、と願っている。地域福祉実践家が、より広い視野で地域活動に取り組めるための、視点の転換の支援をしたいと思っている。そして、そのためにも、僕自身が、社会起業家精神(social entrepreneurship)をもって、アクションを起こし始めたい、と感じている。
ここ数年は政策的議論を展開してきたけれど、そろそろ、地道にフィールドワークを本格的に再開せねば。他人の批判をする前に、まず自分が動き出さねば。そういう想いで、ふつふつとし始めている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。