地域支援におけるストレングスモデルへ

ずいぶん久しぶりのブログの更新。ここ最近は、ツイッターで書くことはあっても、ブログにまで手を付ける暇がなかった。5月末から6月前半にかけて、二つの学会の口頭発表に向けたフルペーパー作りに、国際学会の共著のフルペーパーが元々のデフォルト作業に挙がっていた。それだけでなく、大学の学内仕事も急激に立て込み、その上で「精神病棟転換型施設」に関して、放っておけないのでシノドスに原稿を書かせて頂いた。空いている時間はずっとパソコンに向かって何らかの原稿を書き続けていて、割と満身創痍。へろへろ、である。

ただ、そうやってアウトプットをしているようだが、去年までとは違う仕事の仕方をしている。昨年までの二年間は、これまで10年くらい書きためていた内容を、二冊の本にまとめる作業であった。だが、今は新たなジャンルにチャレンジしているので、ある種、書きながら考え、インプットしているような日々でもある。すると、読み返す本でも、別の視点から眺めることができる。
「支援のパラダイムを病理的な観点からストレングスとリジリアンスへと変更することは、クライエントにつていの新たな考え方をもたらしてくれる。それは、クライエントに内在するストレングスや力を引き出す支援体制につながる。それは単に、既存の病理学的なパラダイムに『ストレングスを足して混ぜる』以上のことである。そのようなパラダイム転換は、クライエントの欠点ではなく、技能、適性、能力を評価する新しい創造的なかかわり方をもたらす。」(『ストレングス・モデル 第三版』ラップ&ゴスチャ著、金剛出版、p74)
このラップのストレングスモデルの第一版は、翻訳者が精神科医だったこともあり、非常に医学モデル的な翻訳で、その良さが分からず「積ん読」書だった。だが、大阪府大の三田さんに「翻訳が悪いから、英語で読んで! めちゃ、感動するから」と言われて第二版を英語で読んで、その鮮やかな当事者中心性に魅入られた記憶がある。その後、リカバリー概念をよく理解した福祉研究者たちによる第二版の翻訳も出て、この1月に書き改められた第三版の翻訳も出た。で、たまたまこの第三版を読んでいて、上記の箇所に、別の引っかかりを持ち始めた。これって、個別支援の話に限定されることはないな、と。
ここ数年、地域包括ケアシステムや地域福祉領域で、現場支援の仕事にコミットしている。その視点で、ストレングスモデルを捉え直すと、実は地域への関わりも、これまでは「病理的な観点」ではなかったか、という問いが生まれる。限界集落や、支援困難事例など、家族やコミュニティの「問題」ばかりに焦点化してこなかったか。その地域や家族の持つ「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)を信じ、その快復を信じていただろうか、という問いである。家族や地域の持つ「技能、適性、能力」をポジティブに「評価」し、「新しい創造的なかかわり方」をしてきただろうか。専門家が決めた枠組みの中で、「問題家族・限界地域」と固着化し、その「病理」を専門家と家族や地域の相互関係の中で増幅させてこなかっただろうか。
そこから、最近読んだ複雑系の議論にも接続可能だ。
「反復によって、『局所的』な変化で最も小さいものが、無数のたび重なる行動を通じて、予想外の、予想不可能でカオス的な帰結をもたらし、そして時としてエージェントが、自らがもたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる。」(『グローバルな複雑性』ジョン・アーリ著、法政大学出版会、p71)
地域支援においても、例えば介護予防事業などのような「反復」が、正の効果を生み出すか。人々の役割や誇りや生きる希望に着目することなく、ADLにのみ着目する介護予防事業の反復は、一定以上の効果はもたらさず、返って「予想外」の「もたらそうとしていたものとは正反対のものを生み出すことになる」可能性はないか。そして、ここからは暴論だが、実は介護予防のパラダイムも、介護予防対象者をある種の「病理モデル」で捉えているが故の限界、とは言えないだろうか。それを、リカバリーやリジリアンスの視点で捉え直す、パラダイムシフトが求められているのではないだろうか。
具体的に考えてみよう。介護予防の脳トレとか、介護予防体操だとか、現場でされている実践にケチをつけるつもりはない。だが、繰り返し述べるが、人は役割や誇りや生きる希望を持つことが、最大の「生き甲斐」につながる。人の「良さ・強み」や復元力(リジリアンス)の発揮は、これらの役割や誇り、生きる希望と密接にリンクしている。そして、そのストレングスやリジリアンスに着目した支援を展開するか、病理モデルで捉えるか、で、何を「反復」するかも変わってくるのだ。

地域支援においても、問題を予防する、という病理モデルで関わるか、その地域の強みや良さ、復元力を信じ・伸ばすストレングス視点で関わるか、は、全く別の「反復」を生み出すはずだ。「何もない」「問題ばかりがある」と思ってその地域に関われば、支援者は「出来ないところ、だめな部分」を無意識に探そうとする。問題のない地域などないのだから、そのようなアプローチで探れば、実際に問題点はザクザク見える。そして、その問題にのみ「反復」的に関わる事が、結果的のその地域の「問題」のみをクローズアップし、問題に対応し予防しようとしているようで、問題の極大化につながりかねない。これは、例えばスラム地区を「問題地区」とのみ捉えて地域開発を行っても、スラム地区の改善にはつながらない、という海外の事例を思い出す。

一方、その地域は魅力的である、その魅力を探そう、という単純なアプローチは、そもそも関わる側が、「その地域には支援者の知らない何らかの潜在的な可能性があるはず」という前提で関わる。前者との「先入観」の違いによって、支援者と地域住民とのポジティブなコミュニケーションが増幅=反復する中で、その地域に関するネガティブな反復をポジティブに変え、「問題予防」モデルとは「正反対」の成果が浮かび上がってくる可能性があるのだ。これは、例えばチーム山梨の実践の中でも、「御用聞き」モデルという形で実践されはじめている。

こういうアイデアと、出会いながら、学会発表などでアウトプットしながら、新しい何かをつかもうと、インプットし続けているのかもしれない。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。