「例外を見る代わりに、ルールを見よう。事件を見る代わりに、構造を見よう。今日を見る代わりに、毎日を見よう」
これは、オランダで急成長を遂げているオンラインメディア『De Correspondent』の創始者の語った言葉である。従来のマスメディアに欠けているもの、そして今求められていることを実に簡潔に語っている。そして、僕はそれと同じ事を、ある記事を読みながら感じた。こんな記事だ。
「宮城県は30日、1973年建築で老朽化が進む知的障害者施設「船形コロニー」(宮城県大和町)について、現地建て替えを柱とする整備基本構想をまとめた。入所者が生活しやすい環境を整えるとともに、地域で暮らす障害者やそれを受け入れる民間施設を支援する機能などを備え、障害福祉の拠点化を目指す。
居住棟3棟のうち1棟の大規模改修を含む2棟を建て替え、いずれもバリアフリー化する。居間や浴室などを共有するユニット形式で1ユニット10室程度とし、プライバシー確保のため基本的に個室とする。
240室を整備し、既存の居室と合わせて計300室とし、一般家庭での暮らしに近い雰囲気づくりを目指す。活動棟や作業棟、事務管理棟などは建て替え、体育館も大規模改修する。
現時点での概算事業費は約87億円を見込む。2017年度に基本設計を実施し、19年度から段階的に建設に着手。20年度に一部利用を開始し、23年度の全面利用を計画している。
構想では利用者主体の障害福祉サービスの提供を基本理念に掲げた。生活の質を向上させて高齢化や障害の重度化にも対応し、安全で快適に暮らせる施設として整備を図る。」(<船形コロニー>障害福祉の拠点化目指す 河北新報)
この記事を見て、「今日」の障害者入所施設の建て替えという「例外」的なトピックに目を奪われてはならない。僕は、これを読みながら、この建て替え問題に潜む、日常的な(=「毎日」の)「ルール」や「構造」に気づき、暗澹たる想いを持ったのだ。それは、どのような「毎日」の「ルール」であり「構造」なのか。それを示すために、別の場所の違う記事を引用してみよう。
「昨年7月に殺傷事件が起きた神奈川県立の障害者支援施設「津久井やまゆり園」(相模原市)の建て替えについて、県は1月27日、基本構想の策定を夏まで延期すると発表した。今年3月末までに作り、2020年度の建て替え完了を目指していたが、1月10日の県主催の公聴会で異論が噴出したことなどを受け、県の障害者施策審議会に特別な部会を設けて議論する。県は「昨年9月に決めた建て替え方針を白紙撤回したわけではない。多くの意見に耳を傾けたい」としている。 10日の公聴会では、県が現在地で最大80億円かけて建て替えることをめぐり「時代錯誤だ」「入所者本人の意向を確認すべきだ」といった異論が噴出。県は意見を聞くだけで回答せず、改めて議論する場を設けるつもりもないとした。 公聴会での異論を受け、黒岩祐治知事は「私が強引に建て替えを決めたかのように思われ心外だ」と態度を硬化させたが、知事のこの発言が批判を招いたこともあり、再考を迫られた。知事は全面的な建て替えにはこだわらないとした。」(【相模原殺傷事件】やまゆり園の建て替え構想、夏に延期 「入所者の意向確認すべき」と異論続出で 福祉新聞)
誰が見てもわかる二つの記事の共通点から「ルール」や「構造」を探ってみよう。大規模な入所施設を建て替えるには、およそ80億円もの巨額な費用がかかる。この公金投入が費用対効果も含めて妥当かどうか、を決めるのは、「有識者」で構成される「基本構想」を策定する委員会である。その委員会には、入所施設を現に利用している入所者本人の意向は反映されていない。意思決定や表現が苦手な人だから、という理由で、本人ではなく、本人の代理人的な存在である保護者(家族)の意向が反映されている。そして、やまゆり園の家族会に代表されるように、入所者の家族は「私たちはあくまでも建て替えを希望する」と述べる一方、「時代錯誤だ」「入所者本人の意向を確認すべきだ」といった異論、は無視されやすい。
そして、これが二つの施設に限らず、日本の入所施設の「構造」的問題である、と僕自身は確信している。それは、この「ルール」や「構造」を変えるべくチャレンジした事例があるからである。その舞台、長野県西駒郷の地域移行の事例について、このプロセスに主導的に関わった山田優さんの記事の冒頭も、引用してみよう。
「平成15年度(一部14年度)から始まった、大規模入所施設から地域生活への移行は5年目を迎え、現在入所している知的な障害のある人たちは466人(H14)から227人(H19.6現在)に半減した。この間、県内民間入所施設の支援力も高まり、西駒郷が新たな入所者を受け入れたのは1人だけである。退所者245人中、地域生活への移行者は(グループホーム190人・アパート5人・自宅14人)209人である」(入所施設(長野県西駒郷)から地域生活への移行に向けた本人支援・家族支援について 「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年7月号)
この西駒郷の地域移行に関しては、その途中から、第三者による評価検証事業がなされている。それを主導した大阪府立大学の三田優子さんのチームに僕も混ぜてもらい、一時期、長野までしばしば通って、地域移行された方々のお話を伺っていた。その時に聞いた当事者の「声」の一部をご紹介しよう。
「あのね、今もうこういう暮らしが楽しいから、二度と帰れって言われても嫌だ」
「(西駒では、朝6 時半くらいに起きて、ご飯食べて、掃除して、仕事行って)それの繰り返しだったからね。今こっちに来てほんとに楽。何時に寝ようが、ね。」
「*:何で、西駒に来る事になっちゃったんだろうね。
A:さあ、私にも解からない。
*:急に西駒に行くよってなったの?
A:そう、親が亡くなって、西駒に入るまでに片親亡くしてね。」
僕はこのインタビューを通じて、障害者入所施設をめぐる、様々な「ルール」や「構造」を学んでいった。まず、産まれた時からずっと入所施設だけ、という人は、ほとんどいない、ということ。「親が亡くなって」とか、高齢になって、あるいは特別支援学校や養護学校を卒業して行くところがなくなったので、など、地域で支え続ける家族がいなくなった事が、入所施設に行く原因となった人がほとんである、というリアリティである。裏を返せば、成人になった障害者本人が、親元に帰らずとも、地域で暮らすことが出来るような支援体制を組めば、入所施設はいらない、ということである。愛知で地域支援のプロフェッショナルとして活躍してきた山田さんは、その地域移行の「ルール」や「構造」をしっかり貫いたから、5年間で施設入所者を半減させる実践に成功した。
その際、山田さんが重視したのは、「入所者本人の意向を確認する」という鉄則である。それも、入所施設での生活が長く続いた人に、「どっちが良いですか?」と聞いたところで、すぐに「どっちが良い」などと言えない場合が多い。多くの入居者は、施設以外の暮らしはない、と諦めている場合が多いからだ。だからこそ、一旦施設以外の暮らしを体験してもらい、不安があれば入所施設に戻ってきてもよい、というスタンスで、利用者たちを地元自治体か近所の圏域内に戻す支援をしていった。そして、一度その新しい生活をしてみた人々が口々にいうのが、「今こっちに来てほんとに楽」「二度と帰れって言われても嫌だ」という表現なのである。つまり、「入所者本人の意向を確認する」とは、入所施設の暮らし以外を示されていない・他の場所での暮らしが想像出来ない利用者に、別の選択肢を味わってもらった上で、比較対象してもらう、というプロセスが必要なのである。実際の経験がないと判断できない、という障害特性をカバーするには、それくらいのことが必要なのだ。
そして、この西駒郷と比較対照されるのが、冒頭に書いた、船形コロニーの事例である。実は、船形コロニーは、日本で一番最初に「施設解体宣言」がなされたが、知事が替わると共に、その宣言が撤回された、という残念な過去を持っているからである。そのことは、大熊由紀子さんの記事に詳しい。(新知事、村井仁さんの秘められた”過去”と長野発の福祉改革)
大熊由紀子さんは、長野で地域移行が進んだ理由を次の4点としてまとめている。
①実力と経験のある「達人」たちが、がっちりとチームを組んでいる→施設から送り出す側、地域で受け入れる側、それをつなぐ県行政が本気のチームを組んでいました。
②暮らしの拠点に予算がしっかりついた→「他県では、志をもった人々が資金を用意しなければならないのですが、長野の場合は、半額を県がもちます。さらに上積みして3分の2を公費でみる仕組みもあります」
③住いだけでなく、仕事や交流の場など20の政策のパッケージを丸ごと、県が認めたこと→宮城の「施設解体宣言」が失敗したのは、この部分を用意しなかったので、グループホームが「ミニ施設化」したからだった。
④大阪府立大助教授の三田優子さんたちのチームに、「施設を出たご本人が幸せに暮らしているかどうか」を厳しく見張るお目付け役を委嘱したこと→利用者の権利擁護を大切にするため、施設利害者と関係ない第三者による評価検証や、利用者のエンパワメント支援を行ったのが、西駒郷の特徴でもあった。
実は、この4点こそ、本当に「入所者本人の意向を確認する」ために、必要不可欠な「ルール」であり「構造」である。もちろん、この「ルール」や「構造」を貫徹するのは、楽ではない。残念ながら長野の西駒郷でも、施設入所者は現在100名程度に減ったものの、「実力と経験のある「達人」」である山田優さんが退職し、「意思確認が困難」な人の保護者が「私たちはあくまでも建て替えを希望する」と述べた為、10年前に重度棟を建設してしまった。施設入所者は5分の1に減ったが、残りの人々の権利を護ることが不十分になっていないか、という問いが残っているのだ。
長く書いてきたが、「船形コロニー」や「やまゆり園」の立て替えにあたって最も欠けているもの。それは、先述の長野の「西駒郷」の地域移行で追い求められた「入所者本人の意向を確認する」4点のプロセスがない中で、立て替えありき、で物事が最初から進んでいることである。これこそ、当事者不在であり、「私たち抜きで私たちのことを決めるな(Nothing about us without us!)」という障害者権利条約の精神を踏みにじるやり方である。そして、残念ながら、これまでの障害者の入所施設政策とは、このような当事者不在のやり方が、「ルール」であり、「構造」であったのだ。この「ルール」や「構造」こそ、変えなければならないし、80億円もの巨費は、上述の4点を愚直に推進するために、活用されるべきなのである。
そして、最後にもう一つ、なぜ入所者の家族は、「私たちはあくまでも建て替えを希望する」と述べているのか、を書いておきたい。
入所者家族は、別に悪者でも悪役でも何でもない。施設入所者の我が家族のことを、誰よりも心配しておられる方々が大半だ。だが、その家族が、なぜ「あくまでも建て替えを希望する」と述べるのか。これは僕の推論だが、大きく分けて3つの理由がある。それは、①「親亡き後の我が子の生活」が確実に護られるのは入所施設しかない、という現実であり、②入所施設か家族支援の二者択一的現状では、施設を無くす=家族負担の重圧、という切迫感があり、③入所施設の否定=入所者家族のこれまでの判断や考え方の否定、というしんどさがあるからではないか。
①と②は実はセットなのだが、「意思確認が困難」と言われる、強度行動障害や重症心身障害、あるいは医療的ケアが必要な障害者は、行政の支援が不十分で、「家族が丸抱え」か「入所施設に丸投げ」のリアリティが残っている。その中で、限界以上に支え続けてきた家族にとって、「親亡き後の我が子」がどうなるのか、は、恐ろしい不安であり、それを地域支援で充分に解消できないなら、最後の砦が入所施設になるのである。
そして、③は心理的なモノであるが、利用者本人も喜んで入所施設に入っている人がいない、というのと同じように、入所させる家族だって、喜んで入れている訳ではない。地域支援の不足、家族だけでの介護の限界などがあって、泣く泣く入れているのである。その時に、入所施設がいらない、と言われると、これまで自分が感情的にひき裂かれそうになりながら、我が子を入れてきた、そのしんどさや矛盾を抱えた辛さそのものの存在を否定されるようで、到底受け入れられない、という辛さや悲しさがあるのである。
だが、この③をのみ捉えて、「意思確認が困難」な人の代弁者(=家族)が「あくまでも建て替えを希望する」から、と施設建て替えを安易に進めるのは、明らかに行政の無策である。なぜならば、①や②で明らかにしたように、家族はひき裂かれそうな思いをしながら、家族と利用者の双方の生活が限界に追い込まれ、泣く泣く入所施設に我が子を託してきたのである。行政が本来なら地域支援を推進し、施設でも在宅でもない、第三の支援の在り方を、長野県で進めた4点の施策のように実現してきたら、入所施設に頼らない生き方が出来たのである。それを行政がしていなかった、これまでの行政の無責任な体質について反省することなく、施設の建て替えに問題を矮小化させるのは、本質的な問題のすり替えである。そのための80億円は、問題の隠蔽と温存に使われるだけではないか。
長い長いエントリーになった。だが、入所施設を安易に温存させるルールや構造こそ、利用者やその家族を悲劇に追い込む元凶である。このルールや構造こそ、変えなければならない。そして、諸外国ではそのルールや構造の変更は、すでに20年前以上にはなされており、スウェーデンでは「意思確認が困難」とラベリングされている人も地域で当たり前に暮らしている、ということも、付け加えておく。(「スウェーデンではノーマライゼーションがどこまで浸透したか?」)
「やまゆり園」の殺人加害者は、入所施設で暮らす利用者の生活を見ていて、「生きる価値のない」という決めつけを行った。だが、例えば西駒郷から地域移行した当事者の活き活きとした暮らしをみて、本当に同じ思いを抱いただろうか。そう思うと、改めて「そもそもなぜ、わけるのか」というルールや構造そのものへの問いが、未だに僕の中で渦巻いている。
80億円は、利用者が満足できる生活を展開する為に、入所施設中心主義のルールや構造を変えるためにこそ、投入されてほしい。そう、深く願っている。