ライフサイクルの心理学などの著作がある西平直さんの最新刊は『稽古の思想』。合気道の稽古を姫路でもやっと再開し始めたところなので、めちゃ興味を持って読み進めた。彼の稽古論は、合気道や研究など、色々なところで大いに頷く内容である。
「稽古は『わざ』を習う。技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している。ところが、『わざ』の習得が最終到達点ではない。その先がある。『わざ』に囚われることを警戒し、『わざから離れる』ことを勧めるのである。」(『稽古の思想』西平直、春秋社、p10)
これは、有段者になるまでと、その後、と言い直すと、すごくよくわかる。
合気道の稽古を始めてちょうど10年立つ。2009年5月に甲府の合気道三澤塾に入門した時、こんなに長く続くとは思っていなかった。テニス、水泳、柔道など、色々なスポーツを中途半端な形で挫折し、どちらかと言えば運動音痴だったからだ。でも、合気道が僕に合っていたのは、スポーツの練習ではなく、武道の稽古だったからかも、とこの本を読みながら、改めて感じる。それは、「技術を学び、技芸を身につけ、その道の『わざ』を完全に習得することを目指している」のに、「『わざ』の習得が最終到達点ではない」という所にある。
合気道でも、最初の頃、先生や有段者の方々の見本を見ても、さっぱり意味がわからなかった。一生懸命まねて、学んで、わざを習うのだが、身体が全然思うように動かず、何度もなんども注意された。「力みすぎ」「肩の力が入りすぎ」「間合いをみて」など、注意されている事は日本語ではわかっているのだが、それをどう理解し、実際の行動につなげてよいか、までわからなかった。だから、何度も何度も練習し、同じ事を注意されながら、少しずつ、ほんとうに少しずつ、出来る身体に変容させていった。
そして、有段者の試験を受ける前あたりから、先輩に言われ続けた事がある。「有段者になるということは、型を自分のものにすることですよ」と。それを、西平さんは「似せぬ」(=脱学習)と呼ぶ。それはいったいどういうことか?
「稽古の思想は『わざ』に囚われることを危惧する。『型』に縛られる危険を語り、『守破離』という仕方で、『離れる』ことを、稽古プロセスの中に最初から組み込んでおくのである。」(p51)
黒帯を取る、ということは、免許皆伝、という訳ではない。どういう技も一応は出来る、というレベルの、ある種の「次の入り口」に立つ。だが、それが「到達点」ではない、というのは、初段を取って本当にそう思った。その次の世界として、『わざ』への「囚われ」から自由になる、という意味での『離れる』が、本当に難しいけど、必要不可欠なプロセスとして待ち構えている。そういう「入り口」なのだ。
なぜその「わざ」はそうなのか。こういう「型」はどういう流れでこうなっているのか。自分がその「わざ」をすることに必死になって、流れや自分自身の軸を見失っていないか。「わざ」への「囚われ」を離れて、無理のない自然な動きをするなかで、全体像を取り戻すプロセスが、次の入り口になる。
「それまでは、『図』だけが浮き上がり、『地』は背後に沈んでいたのだが、今や、あらためて、『地』が姿を顕す。ということは、『場の全体』が姿を顕わし、『場の全体』が見えてくる」(p132)
型を覚えている段階は、この「図」を必死になって見て、この図をまねて、この図に近づこうとする段階である。だが、ある程度「わざ」の基本を真似ることが可能になった段階で、今度は「図」を浮かび上がらせてきた「地」に着目し直すことになる。それは、図=型をパフォーマンスする自分の身体であり、この道場で、この先生から、この型を学んでいる僕自身という「場の全体」である。眼の前の型しか見えていなかった時から、相手の動きや、相手と自分の調和・不調和や、道場全体の流れや、そういう色々なものが、俯瞰的に見えてくる。これが「『地』が姿を顕す」という段階である。
僕は今、稽古の場所を甲府から姫路に移し、しばらくの間、移行期混乱にいた。子育てが忙しいこともあり、なかなか新しい道場に稽古にいけていなかった。でも、それは、9年間なじんだ甲府の道場という場から離れ、新しい姫路の道場での「場の全体」になじむまでの、移行期混乱、ともいえる。単に「型」をするのではなく、どのような「地」を意識して、型を滑らかにしてけるのか、という問いだったのかも、しれない。
そして、世阿弥を援用しながら、西平さんは「二重の見」をこんな風に説く。
「ひとつの図柄に縛られない。しかし『地』に巻き込まれ、『地』の中に埋もれてしまうのでもない。そうではなくて、場の全体の流れの中で『自分』を保っている。場の全体から切り離された自分ではなくて、場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」(p133)
合気道ではまだこの境地にはいけていないが、講義では、もしかしたら今、ここに差し掛かっているのかも、しれない。主題のテーマ(=図)と、それを語る自分という「地」を重ね合わせながら、「場の全体の流れの中で『自分』を保っている」。すると、山梨学院大学でやっていた内容を、兵庫県立大学で全く同じ事を再生するのではなく、さりとて全然別メニューにするのではなく、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分」がいる。
西平さんは守破離の破を「型に縛られない、型を使わない」段階、離を「型を使うことも、使わないこともできる」と書いていたが、合気道ではまだ破の段階だが、講義では「型を使うことも、使わないこともできる」段階へと、少しずつ移行しつつあるのかもしれない。そんなことも思い浮かぶ。
そして、10年前を思い出したのだが、合気道を始めたのは、研究者として10年目、教員になって4年目だった。ある程度、研究者や教員としての型を覚え、「研究者や教員というエクリチュール」や「型」に埋没することに、漠然とした不安を感じ始めた頃だった。誰も僕のことを先生と呼ばず、色々な人に一から教わり、出来なさや無力さを感じ続けるなかで、僕自身が仕事で型にうぬぼれつつあったことを相対化したり、補正していたのかもしれない、と後付け的に思う。そして、合気道の「道」について、西平さんはこんな風にも書く。
「『タオ(道)』の思想に倣えば、『道』とは宇宙全体のエネルギーであり、そのエネルギーが顕れ出ることである。とすれば『書道』とは、『書』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事、書における『道の顕現』となる。」(p136)
僕はまだ「『合気』という営みにおいて『タオ(道)』が顕れ出る出来事」にまで、出会えていない。でも、彼が言わんとすることは、なんとなくわかる。型を学び、型から離れ、型を使うことも、使わないこともできる段階へとプロセスを経ていくなかで、『道の顕現』を目指していく。それは、他者の中に、とか、外形的に獲得する所有物なのではない。自分のなかでの変容であり、それによって、「場の全体の流れの中でそのつど変わりゆく自分、あるいは、そのつど新しく変わってゆく自分を体験している」状態なのだろうと思う。
それが、どういう心境なのか。まだよくわからないけど、僕の稽古の日々は、それを求めて続いていく。