遅まきながら初めてブレイディみかこさんの単著を読んだ。『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)というタイトルにちょっとびびって積ん読していたのだが、中を読み始めたら、めちゃくちゃ深刻な内容なのだけれど、グイグイと引きつけられる。彼女は、「底辺託児所」「緊縮託児所」という、イギリスの貧困層が集まる公営住宅の地域の保育所で働いていて、そこで感じたことがこの本に書かれている。内容はもちろん明るくはない。だが、ここに出てくる子どもたちが、本当に活き活きとしていて、どぎつい言動でトラブルメーカーも多いけど、実に人間味がある。でも親や社会との相互作用の中で身につけ(させられ)た陰影に、既に2,3才のころからどっぷりと浸かっていて、それが悲しい。
「問題児」の背景
「金髪の巻き毛の天使のようなジャックは、何かの拍子にいきなり暴発することがあった。アンガーマネジメントが必要だな、と思える幼児たちの怒りの出力法はさまざまだ。他人に暴力を振るう子もいるし、物を破壊する小屋、自分の体を傷つけようとする子もいる。が、ジャックの場合は、『ひゅうーーーー、うううーーーー』という形容しがたい超音波のような高音でわめきながら両手を広げてくるくる回り始めるのだった。」(p73)
一見すると、とんでもない問題児である。最近の日本ならすぐに「発達障害」とラベルを貼られ、小さい子どもでも行動抑制をするために抗精神薬などが投与され、ヘロヘロにさせられるケースもあるというが、彼女のいた託児所では、違う対応が取られていた。
「それ以降はジャックが託児所に来るときには一対一で必ず誰かがつくようにし、プレイルームにできるだけ広いスペースを作り、彼が旋回を始めても顔色を変えず、冷静な態度で対応して他の子どもたちをパニックさせないようにした。そういう雰囲気ができあがると、ジャックのくるくる旋回も日常のワンシーンとなり、子どもたちも彼がスピンし始めると自分から被害に遭わない場所に移動したりして、たいしたこととは思わなくなってきたようだった。」(p74)
このジャックは二才なのだが、自分の怒りや衝動をうまくコントロールできない。だが、あたなも私も二才のころにはそういう衝動があったのであり、しかも大人がそれをしっかり受け止めないと「問題児」と排除されるが、「一対一で必ず誰かがつくようにし、プレイルームにできるだけ広いスペースを作り、彼が旋回を始めても顔色を変えず、冷静な態度で対応して他の子どもたちをパニックさせないようにした」ら、それが「日常のワンシーン」となってしまう。これはジャックに働きかける保育者たちとの相互作用の中で生まれていく変化である。そういう関わり合いの中で、旋回を一日に二回はしていたジャックは、それが一回に減りいまは週に一度になった、という。そのジャックの母について、こんな風に描かれている。
「この天使のようなジャックの母親は、二〇才のシングルマザーで、ドラッグ依存症から回復中である。緊縮託児所からそう遠くない場所に、さまざまな依存症と戦う女性たちを支援するセンターがあり、そこにも託児所があった。だが、この緊縮のご時世でそちらの託児所が閉鎖に追い込まれたため、ソーシャルワーカーを通じてジャックとその母親はわが託児所を紹介されてきたのだった。」(p68)
「しんどい家庭」に育った「しんどい子」は、親から充分に関わりを持ってもらえない場合も少なくなく、それが暴発してアンガーマネジメントが出来ない状態に陥る事も多い。ジャックもそんな子どもの一人だった。でも、ブレディさんのいた託児所では、そういう子どもたちを排除することなく、その子どもへの関わり方を変えながら、子どもたちの内在的論理を探り、上手く付き合おうとしていた。そして、彼女はそういう草の根レベルの泥臭い関わりをしながら、ジャックの家庭が置かれている社会的布置のようなものまで同時に描き出す。
「『ソーシャル・アパルトヘイト』だの『ソーシャル・レイシズム』だの『ソーシャル・クレンジング』だの、以前は民族や人種による差別を表現するために使用されていた言葉が、階級差別を表現するために使われるようになってきた。『アパルトヘイト』や『エスニック・クレンジング』といった極端な言葉まで階級差別にスライドさせて使われるようになってきた背景には、英国社会がいかに底辺層を侮蔑し、非人道的に扱っているか、そしてそれが許容されているかという現状がある。それはまた格差を広げ、階級間の流動性のない閉塞された社会を作り出した新自由主義のなれの果ての姿ともいえるだろう。」(p71)
この本を読んで初めて知ったのだが、ジャック親子が排除されるのは、イギリスの上流階級から、だけではない。実はこの緊縮託児所には移民の子どもたちも通っているのだが、母国を離れイギリスで成功しようと必至に子どもを養育している移民たちは「ジャックっていう子は、暴力的で他の子どもたちにとって危険だ」「ああいう子どもが来ている託児所には安心して子どもを預けられない」と、排除に加担しているのである。「階級間の流動性のない閉塞された社会」に固定されている「底辺層」に対して、階級間移動を目指している移民が侮蔑する眼差しを向けている。それくらい、イギリスにおける階級差別は固定化している、ということである。そして、恐ろしいことに、福祉国家がこのような固定化に関与している。
福祉や政治が排除に加担する
「福祉がサンクションを連発するから、文字通り、日々の食事ができなくなる人たちが増えている。だからフードバンクが国中に必要になって、政府は『フードバンクは社会の一部』なんて言ってる。いっったいどんな社会にしようとしているんだろうね」(p167)
ブレイディさんの働いていた託児所は、閉鎖されてフードバンクに変わった。それは労働党政権から保守党政権に変わり、助成金や寄付が大幅にカットされた緊縮財政による。緊縮財政でカットされたのは、託児所運営費だけではない。ジャックの母親も「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない、って紹介された仕事を断ったら、四週間生活保護を止められた」(p165)という。これが、職業安定所のソーシャルワーカーによるサンクション(制裁措置)である。サッチャー以前の労働党政権時代には、「シングルマザー家庭であれば、国が住居を与えてくれ、生活費も養育費もくれて、働かずともシングルマザーとして生きていけた」(p161)。だが、マスコミなどで生活保護バッシングがイギリスでも進み、シングルマザーが攻撃される中で、行政はwelfare to workなど労働強化政策をとり、それが、ジャック親子のような家庭を追い詰める。
ジャック家に訪れた著者たちが、あまりに空っぽの冷蔵庫に見かねて、ジャックを連れて買い物に出かける際、階段を降りているときのエピソードに全てが込められている。
「『チョコレート!チップス!ヨーグルト!ブレッドスティック!ソーセージ!』とジャックが私の腕の中で食べ物の名前を連呼する。元気に叫んでいるがその体は赤ん坊ぐらいの重さしかなかった。
『・・・託児所をフードバンクにしやがって』
悔しさで目の前が滲んできたので、足元に気をつけながらわたしはジャックを抱いて階段をそろそろ下りていった。」(p168)
サンクションとは、見せしめの刑罰ではなく、本来は労働へのインセンティブのはず、だった。だが、「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない」という、至極まっとうな要望もサンクションの対象にされ、ジャックはほとんど食べ物のない家にいる。それでストレスが溜まり、託児所では旋回する。だが、その託児所も緊縮財政の予算カットで廃止され、ジャック母子は生きていくために託児所から変わったフードバンクに依存せざるを得ない。だが、そもそもジャック母子を追い詰めるようなサンクションや労働強化を進めることが、全ての元凶ではなかったのか。ジャック母子に、特に託児所に通う年齢のジャックにその緊縮財政のしわ寄せがくるのは、あまりに過酷である。これが『・・・託児所をフードバンクにしやがって』というブレイディみかこさんの涙や怒りの背後にあると感じた。
「わたしの政治への関心は、ぜんぶ託児所からはじまった。底辺のぬかるみに両脚を踏ん張って新聞を読み、ニュース番組を見て、本を読んでみると、それらはそれまでとはまったく違うものに見えた。政治は議論するものでも、思考するものでもない。それは生きることであり暮らすことだ。そう私が体感するようになったのは、託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていたからだ。」(p282)
「暴力的で他の子どもたちにとって危険だ」と「問題児」のラベルが貼られたジャック。彼は、明らかに「底辺のぬかるみ」にいる。だが彼がなぜ問題児であるのか。そこにどのような苦しみやしんどさや、本人には「どうしようもない」苦境が重ねられているのか。それを、ジャックの母親の状況を知るにつれ、ブレイディみかこさんは理解するようになる。薬物依存症のどうしようもない母親、と見られた状況の背後に、「子どもの預け先が見つからないから夜のシフトがある仕事はしたくない、って紹介された仕事を断ったら、四週間生活保護を止められた」という背景がある。そして、それは、保守党政権時代に進めた緊縮財政が関与している。そんな現実と出会う中で、「託児所で出会ったさまざまな人々が文字通り政治に生かされたり、苦しめられたり、助けられたり、ひもじい思いをさせられたりしていた」ことから、彼女は「新聞を読み、ニュース番組を見て、本を読んでみると、それらはそれまでとはまったく違うものに見えた」。実際に政府予算がカットされ、福祉が切り詰められることによって、人間がどのように追い詰められるのか、を肌身で感じるようになったのである。
ブレイディみかこさんは、あくまでも地べたの保育士=労働者目線で、手のかかる子どもたちの内在的論理に寄り添いながら、その子どもたちがそういう状況に留め置かれている社会構造を描こうとしている。あくまでも子どもとの関わりというミクロレンズを切り口にしながら、緊縮財政や福祉カットというマクロへレンズが見事に描かれている。福祉研究者の本では、「アンダークラス」や「福祉依存」がどのような抑圧を生み出したいるのか、を理念的に整理している。だがブレイディさんのすごさは、その本で描かれたことを証明するような実例を、彼女の保育士での経験の中から描き出し、かつそこで追い詰められていく庶民の側に立って、その絶望的な感覚を描写している鋭さである。でも、社会運動家のように「すべきだ」「ねばならない」という運動の言語に当事者を当てはめようともしない。あくまでも、「クソガキ」どもは「クソガキ」どもだし、ダメな親はダメな親なのである。けれども、アンダークラスに閉じ込められた子どもたちやその親たちの、行き場のなさを、彼女ら彼等と同じ地べたの目線から書いている。これが、ブレイディさんの本が評価されている理由なのだとわかって、彼女の他の著作をどんどん注文している僕がいた。