不幸な二項対立に陥らないために

今更ながら、児玉真美さんの『殺す親 殺させられる親』(生活書院)を読み終える。読ませる本なのだけれど、ウッと胸に迫るものがある。

「医療職に『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という思い込みがあるように、障害者運動は『自立生活の実例があると知らせてやれば、親はその正しい道を目指すはずだ』という思い込みがあるように思えてならない。その思い込みが裏切られると『頑なだ』『無知だ』と医療職が親を上から目線で決めつけてきたように、障害者運動もまた『正しさ』による判定のまなざしで『できない』親を断罪し、それによって親の側の事情を語ろうとする声を封じてきたのではなかったか。『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう。」(p305)

児玉さんは、重症心身障害という、知的障害と身体障害を重複して、自ら意志表示がしにくい状態である娘の海さんの母である。障害のある子どもの親となることで、子どものケアのために大学の英語教員の職を辞めざるをなくなり、以後は子どもの療育をサポートしながら、海外における尊厳死や意志決定支援を巡る恣意性や医学モデルの歪みに関する議論を追いかけ、それを『アシュリー事件』のような形で著作にしたり、障害学を学んだ生命倫理学者の著作を翻訳をされるなど、文筆家としても活躍しておられる。そのプロセスの中で、障害の社会モデルや障害者運動にも出会い、親という立ち位置の持つ支配の可能性にも、自覚的に感じておられた。

そんな児玉さんにとって、相模原での障害者殺傷事件の後、入所施設のあり方を糾弾する障害者団体の主張の仕方に、「もうものを言えなくなった」という。彼女の娘の海さんも療育園という入所施設に入っていて、そこでの医療職のアプローチに対して、社会モデル的な観点から色々伝え続け、時には施設職員からモンスター的に思われても、海さんに最適な支援を目指してこられた児玉さんにとって、上記の言い様は、障害者運動が否定してきた、障害の医学モデルの独善性と共通していた、という指摘である。

これは、すごく辛い構図である。

障害者団体は、治療という名の下で障害者を管理・支配し、当事者の声を聴こうとしなかった医学モデルに強烈な異議申し立てをした。そのプロセスの中で、医師の言うことに従順に従い、「本人のために」と子どもを入所施設に入れた親の行いを批判した。だが、そのプロセスにおいて、親は医者だけでなく、障害者団体からも批判され、糾弾されている、と、児玉さんは異議申し立てしている。「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかりだ。まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」と。

それを、別のページでは、端的に次のように語る。

「障害を社会モデルで捉えるように、親の様々な思いや行動もまた、社会モデルで捉えてもらうことはできないでしょうか。『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらうことはできないでしょうか。」(p264)

僕はこれを魂からの叫びであり、悲痛な懇請だと受け取った。

現象的には、子どもを入所施設や精神病院に入れるのは、親や家族である。すると、不本意にそこに入れられた側にとっては、『親(や家族)は一番の敵だ』となりかねない。でも、それは不幸な二項対立であり、内ゲバ的な展開であり、問題を個人間の、家庭内の問題に縮減して考える、という点では、障害の医学モデル・個人モデル的な視点ではないか、と児玉さんは言う。親や家族は喜んで子どもを入所施設や精神病院に入れている訳ではない。『親が一番の敵にならざるを得ない社会』があるからこそ、そうせざるを得ないのである。

その「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なもの」だと理解した上で、「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢」がなければ、その背景は語られず、真の問題は解決しないのではないか、と児玉さんは訴えかける。

この問いかけは、入所施設や精神病院批判を一貫してし続けてきた、僕の喉元にも突き刺さる。

以前から論文にも書いているが、日本の障害者政策は「家族丸抱え」が基調で、それが限界を超えた場合は、「入所施設や精神病院に丸投げ」であった。家族が丸抱えすることもなく、入所施設・病院に全てを押しつけるのではなく、地域の中で、親元から離れて、安心して暮らせるような居住支援や生活支援、医療的支援などを整えてこなかった。しかも、医療保護入院に代表されるように、その入所の可否の決定も、親に丸投げされていた。つまり、ケアが必要な障害者の支援に関して、行政責任が最小化される一方、家族責任が最大化されたまま、家族か施設か、の二者択一だった。そして、それは沢山の親や家族を介護やケアでギリギリの状態に追い込んでいった。

この構造的な悪循環を踏まえることなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、こういう言い方をするならば、敵を間違えている。本来は、親に丸抱えさせる、施設に丸投げする、行政の不作為こそ、問わなければならないのだ。それがない中だからこそ、前回のブログで書いたように、医者が社会の秩序維持を抱え込まざるを得なくなり、そういう歪んだ状態が固着してしまうのである。

その固着した構造の歪みの中で、相模原事件の入所施設では構造的な虐待が起き続け、その素地の延長線上で、相模原事件という恐ろしい大虐殺があったのだ。ことは一人の死刑囚の問題だけではなく、入所施設の組織構造的な歪みであり、そういう歪んだ施設をそのまま温存させてきた行政の不作為が重なるのである。その本丸について糾弾することなく、『親(や家族)は一番の敵だ』というのは、本質を外すだけでなく、行政からしたら、当事者団体と家族会が内ゲバ的に対立してくれたら、自らの責任が免責される、オイシイ展開なのである。これは、あかん!

さらに、児玉海さんは医療的ケアが必要な重症心身障害者であり、医療と福祉、リハビリという多方面からのケアを充実させる、という点において、日本のグループホームでは福祉的支援に偏り、不十分であると児玉さんは指摘する。だからこそ、入所施設の拠点的役割を家族としてヒシヒシ感じて、その入所施設の医学モデル的価値前提と常に闘いつつも、そのケアの重層さの重要性も感じておられるという。そんな児玉さんと初対面の相手が、名刺交換をしながら、「すぐに施設に入れてしまうからいけないのです」(p281)と教条的に児玉さんに伝えた場面を読みながら、残念ながら脱施設・脱精神病院と唱える人々の中にも、医学モデル的価値前提を持つ専門職と同じような、『正しい医学的知識を与えてやれば親は正しい選択をするはずだ』という不遜な思い込みと同種のものがあったのではないか、と思う。そして、自分自身はどうなのだろう、と自問する。

なぜ児玉さんのお子さんは、入所施設に住んでいるのか。そこに預けるまでのプロセスで、海さんと母の真美さんにはどんな葛藤や苦しみがあったのか。そういった様々な、「『できない』背景にある親の知見や思いは、誰にとっても簡単には語ることができない複雑なものばかり」なのである。それは本書全体を通じても、痛切に伝わってくる。そのような複雑に絡まり合った内容を「まずは否定も批判もせずに聞いてみようとする姿勢と出会うことがなければ、それらの『なぜ』はこれからも語られないままだろう」という児玉さんの指摘は、重い。

ケアラーである家族や親に、あまりに丸抱えをさせてきた歴史がある。そのケアラーの声は、入所施設や精神病院に入れさせられた当事者の声と共に、なかったことにされている。どちらの声も聴かれていない。両者は、時として二項対立的な、というか、利益相反的な立ち位置に捉えられる。でも、児玉さんが言うように、「『親は一番の敵だ』で親をなじって終わるのではなく、『親が一番の敵にならざるを得ない社会』に共に目を向けてもらう」ことがないかぎり、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性は解消されないのである。

障害の社会モデルが大切だと思うなら、この二項対立的・利益相反的な不幸な関係性が、なぜ維持されているのか、それは誰にとってどのような利益になり、誰が消極的にであれ加担しているのか、を分析する必要がある。そして、児玉さんも本書の中で指摘しているが、それは社会保障費を削減したい国の思惑であり、家族なんだから最後まで責任を取れと突き放す世間の視線である。これらのものにNOと言い返すとき、『親は一番の敵だ』と言わされている社会構造そのものを、捉え直す必要があると、改めて感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。