逸脱という関わりの内在的論理

実に素敵なフィールドワークに基づく大著を読んだ。『社会の周縁を生きる子どもたち:家族規範が生み出す生きづらさに関する研究』(志田未来著、明石書店)である。この本は両親と子ども(たち)から構成される「標準家庭」とは違う「ひとり親家庭」や「虐待などの環境下で生きている家族」を「非標準的家庭」に焦点をあて、そのような家庭の子どもたちが中学校でどのように暮らしているのか、教師と生徒の関係性がどのように構築されていくのか、を、関西とカリフォルニアの二つの学校でのフィールドワークに基づき辿っていく一冊である。

で、何が圧巻か、というと、この著者のフィールドワークの肉薄度というか、対象となる子どもや学校への入り込み方が、本当に圧巻だったからだ。例えばこんなフレーズが出てくる。

「4時限目、体育の時間。授業開始直後に彩が話しかけに来てくれる。
彩:らいらい元気?
*:元気やで。彩元気?
彩:元気! 最近調子いいねん。
*:そうなん? 全体的に?
彩:うん。全体的に。お父さんもな、最近叩いたりしてこーへんしな。
*:ホンマに? よかった。」(p118)

さらっと書いているが、一度でもフィールドワークをした事がある人間なら、このやりとりに唸ると思う。彩さんが親しげにあだ名で志田さんに話しかけてくるだけでなく、するっと「お父さんもな、最近叩いたりしてこーへんしな」と会話している。それは、彩さんが父に叩かれていて、父との関係が上手くいかないことも含めて、志田さんにも話してよいと感じていて、安心してその内容を話せる間柄、になっているからである。

志田さんはなぜこのような関係性を築けたのだろうか?

「調査を開始する前、生徒たちには学習補助の『大学生』として紹介された。男子生徒たちからは『志田』『元ヤン』、女子生徒たちからは『らいらい』と呼ばれることが多かった。調査時は教師とは違ったかかわりを持つように心がけ、生徒を注意するなど教師と認識されそうな言動は極力避けた。塚森中の教師からも『僕らとは違った関わり方をしてもらえれば』と言ってもらうなかで調査をさせてもらった。」
「荷物を置く以外に控室を使うことはほぼなく、登校後は控室に荷物を置いてすぐに教室に入って生徒たちと雑談した。」
「生徒と少し違ったのは、エスケープをする生徒たちについていくことだった。教室から出て行く生徒がいた時には常に後を追いかけた。」(p45)

本当に「入り込んで調査する」の王道である。対象となる中学生と一緒にいることを心がけ、授業をエスケープして体育館の裏でタバコを吸っている生徒達の話を聞き、それを告げ口することなく、その輪の中に入り込んでいる。そういう教員とは違った関わり方をしているからこそ、「らいらい」と親しく呼んでもらい、関係性を深めていく。だからこそ、「授業崩壊」の瞬間にも立ち会うのだ。

「この日の社会の授業が始まる前、クラスの生徒たちは授業中どのように振る舞うべきかをお互い相談し合っていた。この時点ではクラスメイトたちの『状況の定義』が一致せず、それに伴い『適切な振る舞い』も定まらない不安定な状況にあった。しかし、友介が家庭訪問時に明確な反抗の意思を示したことを知ることで、浩二は教師への反抗的な態度を『適切な振る舞い』として採用する。教室のドアを蹴り飛ばし大声で不満を叫ぶことで浩二はクラスメイトたちにそのスタンスを強烈に示している。その浩二の『状況の定義』を(男子生徒一人を除く)クラスメイト全員で共有することによって、クラス全体が一つのインタラクション・セットとなり、授業崩壊が起こったシーンである。」(p144)

文章は書き写すことによって、その論理構成を辿ることが出来る。今回、授業崩壊が起こったシーンに関する志田さんの文章を書き写す中で、この短いフレーズに込められている内容の濃さ、分析の深さに圧倒されていた。まず、社会の先生が登場する前のクラス内での、教師を巡る査定や評価の模様を、志田さんは的確に把握している。その上で、友介の対応を浩二が受けて行動化している、という内在的論理を読み解いている。その上で、浩二の行動化がきっかけとなって、クラス内が騒然として行く様子が、この記述の直前のフィールドノーツに活き活きと描かれているのが、それがインタラクション・セットのひとまとまりと、「適切な振る舞い」の合意としての「授業崩壊」と論じる。観察眼の鋭さ、視ている解像度の深さ、だけでなく、それを理論的な枠組みで切り取る鮮やかさも備えている。これは、ほんまもんである。

さらに、ここから一歩引いて、このコミュニケーションから見えてくる相互行為を分析している。

「逸脱を一つのコミュニケーションの方法として用いて教師たちとやりとりをし、駆け引きをし、さらには学級崩壊を招いた時のように他の生徒たちをリードする存在へとなっていく。それまで学校の中にあった文化的価値パターンを、逸脱という行動を用いることによって転覆させることによって自らが下位に位置付く可能性を無効化し、自由を行使できる存在として自らを上位に位置づけ、承認を獲得しようとしていたのである。」(p160)

教師からみれば恐るべき逸脱に思えても、生徒には生徒なりの内在的論理がある。下位に位置付いていた自らを上位に位置づけ直す、コミュニケーション戦略としての逸脱が、学級崩壊の瞬間にも行使されていた、と志田さんは見抜く。さらに、その背後も分析する。

「春樹や浩二のように、逸脱する生徒達の交流の場をうまく活用しながら、学校での活動に戻っていくことができたことを鑑みると、問題となるのは逸脱それ自体というよりも、逸脱する生徒たちのネットワークの中にしか彼らの居場所がなくなってしまうことではないだろうか。そういった状況を避けるには、逸脱する生徒たちとクラスをつなぐブリッジングの機能を果たすような教師や友人の存在が極めて重要であると言える。」(p161)

志田さんは体育館裏など、生徒がエスケープする溜まり場にも通い、そこで逸脱する生徒たちの内在的論理を学んでいた。だからこそ、逸脱そのものを問題として捉えていなかった。そうではなくて、「逸脱する生徒たちのネットワークの中にしか彼らの居場所がなくなってしまうこと」、つまり体育館裏しか居場所がないことの方が大きな問題であると見抜いた。だからこそ、体育館裏にいても、教室に戻れるような「ブリッジングの機能」が重要だと気づけたのだろうし、実際、友人だけでなく「らいらい」と呼ばれていた志田さんご自身も、そのようなブリッジング機能を結果的に果たしていたのではないか、とも想像が出来る。

そして、相手の内在的論理に肉薄しているのは、生徒だけではない。フィールドワークを行った塚森中の先生達へのインタビューも、読ませるものがある。

「*ここに勤めてはって、だんだん自分が変わってきたかなって思う部分って何かありますか?
吉岡先生:ある。(略)結構子ども中心に考えられるようになってきた。今までは『自分が、自分が』って。自分がしんどいし、とか、自分が嫌やし、とかやったけど。なんか子ども様子変やなって思ったら、まず聞こう、とか。子どもの方にすぐにいけるようになった、とかは大きいかなぁ。」(p157)
「*:かまって欲しいのかなーとか。やっぱり先生とかかわっているところですごい嬉しそうだったりとかするので。
雨宮先生:ケガねえ、つくんなくてもいいんやけど。理由が欲しいんでしょうね。人とかかわる理由というか、かかwってもらう、触れてもらうとか。ここでね、よくね、ゴロゴロして寝ている子とかいるんですけど。やっぱりちょっと触れてほしいっていうのがあるんですよね。で、私が起こすじゃないですか、寝ると。それが結構嬉しかったりするみたい。」(p172)

吉岡先生は前任校から、やんちゃな子の多い塚森中に転勤して、カルチャーショックだったという。最初は辞めたくて仕方なかったが、子どもたちの声を聞くことで、子ども中心に考えられるようになってきた。それは、結果として、これまでの自分が教師中心であったことに気づくプロセスであり、そこから距離を取ることで、この学校で逸脱している生徒達とも上手く関われるようになってきた。

保健室の養護教員の雨宮先生は、もっとダイレクトに、一見すると逸脱しているように見える生徒達が「かまって欲しい」という思いを持っていて、中学生であることもあり、素直にそれを先生に伝えられないので、無理矢理ケガをつくったりして、人とかかる、触れてもらう理由をつくって、保健室にやってくる。そんな生徒たちの繊細な心の襞の部分を、志田さんは聞き取り、描き出している。そして、その繊細さは、吉岡先生など、教師の側にもあった。だからこそ、こんなまとめが彼女には可能になる。

「教師達はこれまでの生活のなかで自身の依存状態を意識することがなく、学校のなかでも依存を扱うべきものだとは考えてこなかった。そうして社会のなかで人々が抱える依存状態が隠されてきたからこそ、生徒の依存状態にも、教師自身の依存にも目を向けることは非常に厳しい状態にあった。『もしこれが、ちゃんと授業座って聞いている子ばっかりだったら、こういう風にできることもないでしょうね』と田中先生が語っていたように『自立』を前提としたうえで学校教育が成り立っていたとしたら、その事実を自明として疑うことはなく依存状態は隠されてきただろう。この自立神話とも呼べる固定概念が非常に強固なものとして教師たちの中に根付いていたために、それを覆すためにはここで塚森中の教師たちが経験するカルチャーショックほどの大きな出来事が必要だったと言える。」(p195)

これは、教員の主流文化と、逸脱している子どもたちの文化という、二つの異なる文化をつなぐ、重要な指摘だとぼくは受け取った。

教員は、生徒時代におそらく大半が「ちゃんと授業座って聞いている子」だったし、教師になってもそれが当たり前だという「自立観」に基づいて学校教育に関わっている。そしてしっかり出来ていない、クラスを統制できていない自分は悪いと責めたり、ちゃんとしなくちゃいけない、と自立に向けて頑張り続ける。それが教員の燃えつきに結びつきやすい。

でも、逸脱している子どもたちは、「ちゃんと授業座って聞いている」ことができない。それを、逸脱だ、しっかりしなさい、といっても、それが出来ないのには、彼ら彼女らなりの「しんどい」家庭環境の事情がある。それを理解すると、生徒達が体育館裏にたむろしたり、かまってほしいと教員にコミュニケーションを取ることでしか、そういう依存状況も含めて承認されることでしか、学校空間にいれない、という事情も見えてくる。すると、これまで自明だった「学校(教育・教師・生徒)とは○○だ」という当たり前の価値前提がぐらつく。これが「カルチャーショック」なのである。

ただ、そのカルチャーショックを経た後だからこそ、先生達ははじめて子どもの声に耳を傾け、子ども中心の視点へと転換していくことが出来る。それは、逸脱する子どもたちから学ぶことによって、関わり方を変えざるを得なくなることによって、時には学級崩壊を経験することによって、自らの当たり前の前提を突き崩し、新たな可能性を探るのである。それは、教師も生徒も、ともにか弱い存在であり、両者が依存し合い、協力し合い、ともに考え合う中で、学級という空間を協働構築していくしかない、ということに気づき合うプロセスでもあるのだ。

そして、志田さんがこのようなまとめができたのは、カリフォルニアでエスニックマイノリティの子どもたちを教える公立中学校の先生達から教わったことも、大きいと思う。

「*ケアすることとか、生徒や教師同士のつながりが、生徒達を巻き込んで何かするという時にすごく重要じゃないかぁと感じているんです。特に、社会的に不利な状況に置かれている生徒にとって。
William先生:そうだね。自分で動機付けできるひともいるよ。いるけど、周縁化されてきたマイノリティグループとか、疎まれてきた人たちとかは、なぜ自分がそんな状況におかれているのかわからない。そんな時に教師を信じることなんて出来ない。十分やる気がある生徒がいて、『難しいだろうけどできるよ!』って教師に言われる子はいいよ。専門職にでも技術者にでもなんでも就いたらいい。でもこの学校で必要なのは、生徒への期待を高く持って、かつ、感情を持って接して、ケアすることなんだよ。難しい要求を突きつけても、モチベーションが既にあるからできるっていう生徒はいい。でもここではそれじゃうまくいかない。感情を持って接して、気にかけるよっていうことも示す。でも同時に生徒達がそれに甘えてサボらせてしまうのではなく、難しい課題にも立ち向かえるようにする。そのバランスを取ることが重要だと思う。」(p221)

これは、福祉領域で言われているエンパワメント概念と全く同じ事である。あなたのことを気にかけているよ、と、心からの(感情を持って)応援をしつづけ、まず「この大人は信じても良い」と、子どもたちの諦めを、希望に変えることが大前提で必要である。でも甘えてサボらないよう、「もうちょっとやってみよう」と難しい課題にも立ち向かえるように応援する。そのバランスを取ることが、国を超えて、周縁化されてきた子どもたちの教育や支援には必要不可欠なのである。

「Miller先生:ここで働くことの一番の難しさは、それは同時に一番いいところでもあるんだけど、自分自身が一体誰なのかということを学んでいかなきゃいけないってことだと思う。自分自身からは絶対逃げることができないってこと。」(p245)

Miller先生は白人で、エスニックマイノリティの子どもたちに白人至上主義を批判的に伝える難しさを語るときに、このフレーズが出来た。ただ、これは日本の塚森中の先生でも共通しているのではないか、とぼくは感じた。教師至上主義、とか、学校中心主義、を内面化して、そういうものだと思い込んでいるからこそ、塚森中に赴任した時に、カルチャーショックを受ける。だが、それは教師である自らの特権と向かい、自分は一体誰なのか、教師として何をしたいのか、と向き合うことである。教師は教師、生徒は生徒、と無意識・無自覚に線を引いていたら、こんなことは考えなくてもよい。でも、逸脱する・かまってほしい生徒達が、その線引きに揺さぶりをかけてくるからこそ、教師はそのことを問い直す必要がある。しかしながら、実は「ちゃんと授業座って聞いている」子どもたちだって、本当は教師にかまってほいしと思っているのではないか。線引きをして距離を取らず、先生が先生役割を問い直して、子ども中心の視点を持って近づいてほしいと感じているのではないか。そういう妄想も浮かぶ。

もう6000字も超えてしまったので、ちょっとだけ自分の興味関心にひきつけて、書評を終えたい。

僕はこの本を読みながら、福祉領域で言われている「問題行動」「困難事例」との共通性を強く感じていた。教師や支援者にとって「逸脱行動」と思える行動であっても、本人にとってはそうせざるをえない、内在的論理がある。不適切な振る舞いをカテゴリー化して逸脱行動とする、という従来の研究に対して、志田さんの調査の魅力的なところは、逸脱行動をする子どもたちの視点から「状況の定義」を捉え直し、教師にとっては逸脱行動に見えても、子どもたちにとっては「適切な振る舞い」がなされた結果、学級崩壊などの「行為」が発生する、と、問題行動を「インタラクション・セット」として捉え直している点である(p135)。これは、ぼくたちが『「困難事例」を解きほぐす』で捉えた視点と似ていると感じた。

次に、ぼくは志田さんの描く世界に、「謎解き」のような感覚を持って読み進めた。以前からブログに書いているが、僕もやんちゃな子どもが多い公立中学校で育ったからであり、「ちゃんと座って授業聞いている」ことが出来ない子達が、身近にいたからである。そして、言われてみたら、彼ら彼女らの多くが「非標準家庭」だったし、コミュニケーション的な逸脱をしていた。でも、その時の僕には、そのことがよくわかっていなかった。そんな30年近く前の現象を、こういう構造的背景があったのでは、と解き明かしてくれて、すごく分析にも納得して読めた。

だからこそ、志田さん自身が後書きに書いておられた事に、強い意味性を感じた。

「思春期の私は、父子家庭・母子家庭で過ごす中で親に反発し自らの手で家庭での居場所をなくしていました。そのため時間時期にかかっわらず友に時間を過ごしてくれるAを含むヤンキーの男友達が唯一の居場所でした。教師を含む全ての大人たちに反感を抱き、勉強嫌いだった私は、16歳になったらすぐに結婚して家を出て、自分こそが『幸せな家庭』を築くのだと心に決めていました。その将来展望が大きく変わるきっかけになったのは亡くなった父でした。勉強をナメきっていた高3。父が生前ICUに行かせたがってことを突然思いだし、父が生きている間『親孝行』からほど遠かった私はこれが最後と思い、ICUへの進学を目指しました。」(p279-280)

彼女自身も、やんちゃな子どもたちに囲まれていた、だけでない。彼女自身が「非標準家庭」で育ち、大人を信用できず、逸脱するヤンキー仲間だけが頼りだった。中学校を卒業したら結婚する、とも思っていた。そんな彼女が、父の死や、父の遺言的なフレーズを思い出し、それを契機に猛勉強してICUに進学し、その後、教育社会学の授業に出会って、自らの経験を振りかえると共に、教師ではなく、逸脱する子どもたちから捉えた世界観を描こうとした。それが、この素晴らしい大著につながったのだと後書きで知ることができた。

彼女は大学院の時、僕と同じ大阪大学大学院人間科学研究科の教育社会学講座で学び、この博士論文を書き上げた。阪大の教育社会学は本当にレベルが高い、と気づいたのは、大学院の時ではなくて、今頃になってから。大学院の同期の柏木さんの『子どもの貧困と「ケアする学校」づくり』を読んで、その面白さに気づかされる。また、学部時代からの後輩の濱元さんが翻訳した『学力工場の社会学』もめちゃくちゃ面白かった。僕は院生の頃、本当に視野が狭くて、教育社会学系の授業をちゃんと取っていなかった愚かさを、今更ながらに悔やむ。そして、阪大だけでなく、こないだ書評で取り上げた都島さんの『非行からの「立ち直り」とは何か?』も含めて、教育社会学研究者の層の厚さ、教育を批判的に捉え直すフィールドワークの質的水準の高さ、に圧倒されている。福祉社会学で、こんな魅力的な論文にあんまり出会わないよなぁ、とも。もちろん、自戒を込めて。

この本が高いのが惜しいけど、5000円払う価値は絶対にある、と太鼓判を押せる一冊だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。