先週の土曜日に、内田樹先生と青木真兵・海青子夫妻のトークショーで初めて出会った建築家の光嶋裕介さんに、日曜日に拙著を三冊お送りしたら、火曜日にサイン入りのご著書三冊が届く。そのうちの一冊を読み出したら面白くて、圧倒されてしまった。
光嶋さんは自らの生き様を”Always Think, Always Feel”(p250)と表現している。建築家は美的感覚に優れた人が多いが、光嶋さんの場合、思弁的で美的であるだけではない。地べたの感覚をしっかりつかんだ上でのThinkであり、Feelなのだ。だからこそ、ほんまもんの迫力がある。
彼はお子さんが生まれて気づいたことを、こんな風に書いている。
「赤ちゃんの行為についていくのは、なかなか大変です。大人の体力も消耗します。しかし、赤ちゃんは、生きることに必死なので、こちらも必死に応えてあげないと、すぐにうまくいかなくなります。自分の思うようにならない子育てという時間において、何かを計画通り執行することは難しく、その場その場で柔軟に対応するしかありません。
これこそ、レヴィ=ストロースのいうブリコラージュではないでしょうか。予定調和に事が進まない中で、いかにして、身体知のようなもの、あるいは野生の思考を発動させながら娘と豊かな非言語的コミュニケーションを成り立たせるかを考えています。この自分が最も愛情を注いでいる対象が、まったく思い通りにならないことが、自分という個人の枠を大きく広げてくれるように日々感じています。
合気道のお稽古のように、僕はこの娘をこの胸の中に抱えて、可能な限り彼女と同期しようとしています。まさに自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験しているのかもしれません。」(光嶋裕介『建築という対話』ちくまプリマ−新書、p198)
光嶋さんに出会ったその日、梅田から帰りの新快速で芦屋でお別れする前、少しだけしゃべった後、「今日は初対面とは思えない、懐かしさがありました!」とリプライを頂いた。それは、この本を読んで本当にそうだと感じた。自分が感じてきたこと、言語化してきたことを、別のアプローチから言葉にしておられる。子育てがままならないこと、娘が圧倒的に他者性を持っていること、その中で娘の声に耳を傾けながら父が変わる柔軟性が求められていること。それらは、僕も6歳になる娘から教わり、その一部は『家族は他人、じゃあどうする? 子育ては親の育ち直し』という拙著に書かせてもらった。
だが、光嶋さんの手にかかると、この生活実感の「わかる、わかる」に、ブリコラージュと合気道、そして美しさが乗っかってくる。僕は娘と可能な限り同期しようなんて考えてこなかった。合気道の稽古を続けてきたけれど、娘と結びを作ってつながる、とは意識してこれなかった。また、ブリコラージュはもちろん知っていたし、僕の仕事のあり方も、福祉現場の人から問いを投げかけられて、その現場やメンバーの持っているものからなんとか解を導き出そうという「ありもの仕事」なのだが、娘との関わりが「ブリコラージュ」だとは想像してもいなかった。計画制御で頭でっかちの父ちゃんが、娘に予定調和を投げ倒されてとほほ、という記録は、上記のエッセイには書き込めた。確かにそのプロセスのなかで、父の枠は広がったと思う。でもその先に、「自分の想像を一気に凌駕するような行動をする娘とのかけがえのない時間を介して、生命力の神秘を少しの間だけ体験している」と言われてみて初めてそうだと気づいたけど、そんな風に言語化する力が、僕にはなかった。この深い思考と、それを表現する美しい言葉に、そしてそこにこもっている思いの力強さに、圧倒されていた。
こんなに僕が光嶋さんの考えに圧倒されるのは、先に光嶋さんの建築物を「体感」しているからかも、しれない。彼の建築物の一つである無形庵に通い、開放的なスペースで施術を受けている。もともと駐車場だったスペースに建てられた、文字通り小さな庵なのだが、中に入ってみると、天井が高くて、窓も大きくて、木のぬくもりがあり、開放感がある。ベッドで仰向けになると、細長い窓から空をずっと見上げられる。そこで、山本さんが好きなジャズやボサノバなどのLPをかけてもらいながら施術を受け、彼と合気道話で盛り上がっていると、何というか第二の我が家というか、ほっこりとした安心感に包まれるのだ。有名な建築家の設計した建物、といえば、使い勝手よりオリジナリティや美的感性が先立つもので、暮らしづらそう、と思い込んでいたのだが、無形庵はその逆で、もうちょっといたいなぁ、と思わせる、気持ちの良い庵なのである。
彼がそのような建築を生み出す理由を、「クライアントと同化していく」ことにあげている。
「自分が溶け込んでいくと、何か設計しているというより、自然と立ち上がる感覚、つまり、設計させられているように感じることがあります。過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える作業のように思えるときがあります。自らデザインしているという気持ちが強すぎると、つい作為的な線になってしまうもの。クライアントと同化するということは、なるべくそうした自我を抑制しながら設計するということだと思っています。
そういうときは、途中でクライアントに何か言われたとしても全然嫌な気になりません。なに注文つけてるんだ、と怒るのではなくて、なるほど、そういう可能性もあったかと一緒になって考えるようにしています。相手と対立しないで、同化することは、対話を通して習合的に合意形成を図ることであり、そのようにして強度ある建築を作りたいと思っています。」(p157)
「過剰な作為が消えて、そこにあるであろう自然に形を与える」というのは、まさに無形庵を思い浮かべてぴったりな表現である。その場と対立しない、その場に溶け込んでいく、クライアントの生き様に同期しながらも、「対話を通して習合的に合意形成を図る」からこそ、光嶋さんの建築家としての英知が、山本さんの主催する場の中で花開く。そんな風に感じている。
そして、「初対面とは思えない懐かしさ」と言えば、実はぼく自身も、自分の仕事の仕方そのものが、「クライアントと同化していく」ことにあるのだ。
20年前、博論を書き終えて仕事を始めた頃は、誰も自分のことを見てくれない、評価もしてもらえない、と、「我が、我が」「僕見て、僕見て、ワンワンワン!」と吠えまくって自己主張していた。単にうるさいやつだった。でも、それで頭を打って失敗する中で、あるいは当時住んでいた山梨で様々なクライアントから非定型な相談が持ち込まれる中で、気がつけば、「自らデザインしているという気持ち」が消え始めた。なんともならない現場をなんとかしてほしい、というオーダーに応えるためには、ただひたすら現場の人々の声に傾ける必要がある。その中で、「相手と対立しないで、同化すること」によって、真の課題がおぼろげながら見えてくる。すると、「対話を通して習合的に合意形成を図ること」によって、依頼された仕事は、時には想像も及ばない方法で、深化していく。そうすると、研修でも講演でも、こちらの自意識をできる限り抑えて、「そこにあるであろう自然に形を与える作業」に没頭していくうちに、オーダーメイドの、唯一無二の、そしてクライアントがしたかった研修なり講演が実現できる。これは、僕が20年かけて生み出した極意なのだけれど、こんな風にやっている人が他の業界にいたんだ、しっかり言語化されていたんだ、と思うと嬉しくなった。
そんな光嶋さんの半生が綴られたこの本は、元々中高生向けの新書であり、将来娘さんに読んでもらいと彼女を想定読者(宛先)にして書いているので、彼の青春時代の葛藤も、隠すことなく綴られている。その率直さも、すごく共感できる。
「自分はあの人たちと違う、あの人たちは輝いているように見える、それに比べて自分は・・・と、劣等感を感じていた中学時代と違って、いま、俺は俺のフィールドをちゃんと開拓していけばいいのだ、と感じるようになっていました。要するに、そもそも他人と自分を比較することをしないということかもしれません。
何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないかと思うようになって、ずいぶんと気が楽になりました。」(p113)
憧れと自己嫌悪の牢獄である他者比較に囚われると、その自己呪縛から抜け出すのは、簡単ではない、ぼく自身も若い頃はずいぶんそこでがんじがらめになってきたし、今でもたまに亡霊のようにとりつかれる時がある。でも、光嶋さんが書いてくれているように、自分のフィールドをどう開拓するか、の方が大切なのも、中学生から30年以上経って、本当にそう思う。さらに言えば、僕は正直、「○○の専門家です」という一芸に秀でた存在ではない自分への引け目をずっと感じてきた。結局はブリコロール(ありもの仕事)をする人なのだけれど、その雑種性への引け目、とでも言おうか。でも、光嶋さんはその有り様を、「何かを排除することでつくった表層の統一感よりも、ときにノイズのような雑多なもの、異物をも同居させることの方がよほど豊かなのではないか」と書いてくれている。そうなんだよね。ぼくはノイズや異物がたくさん自分のポケットに入っていって、興味関心もあちこち移り変わるし、「表層の統一感」がぜんぜんない。でも、そのほうが、「よほど豊かだ」と言われたら、そりゃそうだ!と思うし、嬉しくなる。引き出しが多いほど、対応力が豊かになる。一見すると関係ないAとBを掛け合わせ、Cという異なるものを作り出したり、AやBの世界を豊穣にすることだってできるのだ。
この本は、共感する部分が多すぎて、ドッグイヤーだらけなのだが、もう一カ所だけご紹介しておきたい。
「目の前の現実に満足しないで、より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす、そうした積み重ねは、果てしなく続きます。何かができるようになるための準備を怠らないということです。
その準備のための実りある対話を目指すには、やはりタイミング(時間)とシチュエーション(場所)が鍵となってくるのではないでしょうか。自分の行動力に対して、自分のセンサーが反応したとき(いわゆる「ピピピ」ですね)に、ふと我に返って考えて、少し間をとることだと思うのです。ゆとりを持つこと、それは、心の声を聴くための時間と言えるのかもしれません。物事には偶然と必然があると先にも書きましたが、誠意を持って他人と接していると、ご縁は『向こうからやってくる』と思うに至りました。
奇妙に聞こえるかも知れませんが、僕にとってのご縁とは、本当にそういうものなのです。理屈を超えています。運もとても大切な要素でしょう。ただ、自分なりの人事を尽くすことの先にある運だと思います。」(p50-51)
これも「初めてなのに、懐かしい」フレーズである。僕の人生そのもの、でもある。
大学院生では、ジャーナリストの弟子入りをしていた。福祉社会学も社会福祉学もどちらもなじめず、その境界領域にいた。50の面接に落ちて、初めて採用されたのは、法学部政治行政学科だった。誰も知り合いのいない山梨で、13年間対話を続けてきた。それは、「より豊かな天命とのご縁のために、日々自分の中の人事を尽くす」こと、そのものだったのだと思う。そして、どんなに忙しくても、「誠意を持って他人と接」することだけは、ぶれない軸として持ち続けていたと思う。だからこそ、確かに「ご縁は『向こうからやってくる』」と感じている。
「ただ、運が良さそうな人と一緒にいるのが一番いいように思います。そうした嗅覚が備わってくると、これぞというタイミングを逃さず、必ずしかるべき機械がくると信じて、備えつつ、じっと待つことができるようになります。そして、たいていの場合、そのタイミングとは「いま」なのです。」(p51)
光嶋さんと出会って本を贈り合う関係になったのは、ほかでもない2023年1月という「いま」だった。でも、だからこそ、彼の書いていることが、「初めてなのに懐かしい」ほどよくわかる。僕は建築家ではない。でも、彼が愛読してきた内田樹先生や村上春樹の作品を僕も読んできて、深い井戸を掘る感覚は、僕も共感している。このブログを書くのも、井戸を掘る、井戸の中で自分一人でたたずむ感覚である。そこからどこに向かうのか、書く前にプランがあるわけではない。書きつつあるプロセスのなかで、そのときの文章や思考に導かれて、文章を紡ぎ出していく。合気道で、光嶋さんほど、自分の感覚を研ぎ澄ますことはできていないけど、どこかで身体感覚を回復させたいと右往左往している。そういうプロセスの共通性があり、お子さんの年齢も近いこともあって、明らかに運の良さそうな光嶋さんと「いま・ここ」で出会えたのが、めっちゃ嬉しい。
書いてみたら、結局彼へのラブレターのような読書感想文になってしまった。
あと、この本を読んでいると、生命力のある家に住んでみたくなる。実家を出て四半世紀、ずっと借家暮らしだったのもあって、快適で生き心地のよい家に住んでみたい、志ある建築家と対話を重ねみたい。そんな夢想を抱かせる一冊でもある。