四半世紀前、ジャーナリストの大熊一夫氏に弟子入りした。彼は『ルポ・精神病棟』をはじめとした、福祉や医療現場の構造的な「闇」をえぐり出す、優れたジャーナリストである。彼が僕に教えてくれたジャーナリストの極意には、以下のようなものがあったた。
・わかったふりをしない
・自分の足で稼ぐ
・対象にギリギリ迫る
・なぜそうなるのかを自分の頭で徹底的に考え続ける
取材相手が「説明」したことを鵜呑みにして、わかったふりをしない。何だか変だな、おかしいな、と思ったら、自分で動いて関係者を徹底的に取材する中で、事実を積み上げていく。そうやって、しつこく対象への「問い」を深めていくなかで、ことの本質にギリギリ迫っていく。そのプロセスを通じて、その問題構造がどのように構成されているのか、を仮説を立てながら自分の頭で考え続け、足で稼いで検証し続ける。それが、構造的問題の本質に迫るアプローチだと教わった。
今回ご紹介するのは、上記のプロセスを忠実に踏んだルポルタージュ『ルポゲーム条例 なぜゲームが狙われるのか』(山下洋平著、河出書房新社)である。それは、あるツイートから始まった。
「弊社のニュース、淡々と報じてますが、賛成2268人、反対は333人は肌感覚として解せない… そもそもパブコメは賛成反対のアンケートではなく(そんな選択肢の項目はない)、内容見て振り分けたのだと思う。 担当記者ではないですが、情報公開請求してみます。」
KSB瀬戸内海放送の記者、山下洋平さんは、香川県のゲーム条例が制定されるプロセスを元々取材していた訳ではない。ただ、2020年3月12日に、条例のパブリックコメントの結果が発表された自社のストレートニュースを自宅で見ていて、「肌感覚として解せない」と感じた。
「まず驚いたのは、寄せられた意見の多さだ。パブリックコメント(通称パブコメ)は、国や自治体が法令や計画の策定にあたって事前に広く意見を募るというもの。香川県が過去に行ったパブコメで寄せられた意見は毎回数件に止まっていて、『時間制限』で全国的な注目を集めたとはいえ、桁違い、いや桁が3つ違う。そして何よりこの素案に『8割以上が賛成』というのは、SNSなどで目にしていた意見とは賛否の割合が真逆と言ってもいい。」(p11-12)
何かがおかしい、と感じたことに、わかったふりをせずに、事実を確かめる。これは科学や調査報道の基本である。山下さんの場合は、そこでパブコメの「原本」を情報公開請求をしてみた。そして、膨大な賛成意見を分類しているうちに、以下のことに気づき始めた。
「 「現在、寄せられた意見の仕分けをしているんですが、メールで寄せられた賛成意見にはいくつかのパターンがあることが分かりました。同じものを重ねています。例えばこちら。『条例通過により明るい未来を期待して賛成します。賛同します』といったほぼ同じ文言の、1行だけの文章が多く寄せられています」
KSBの集計によると「皆の意識が高まればいい」という内容が173通、「明るい未来を期待して…」が140通、「ネット、ゲームが子供達に与える影響様々ですので、賛成」が136通と、特に多くなっています。」(ゲーム条例のパブコメ「原本」が開示 多数を占めた賛成意見「全く同じ文章」が何パターンも 香川)
たまたま重なるにしては実に変な、誤字や独特の言い回し(「依存層」「ご感て想」)がそのままになっている意見が、コピペのように何度も何度も意見として出てくる。また賛成意見のうちの1900通が、同じPCから出された可能性があることも見えてきた。しかもその意見は、パブコメの受付窓口とは違う場所から投稿されていたのだ。つまり、賛成票が組織票として生み出された。そして、パブコメは賛否を問うものではなかったにも関わらず、「賛成が8割」という「事実」が「論より証拠」として示され、それが条例可決の大きな「決め手」になっていく。このパブコメがおかしいと思った議会の一部会派から条例の可決前にパブコメを議員に見せるよう要望するも、「個人情報の黒塗りが間に合わない」ことを理由に開示が拒否され、条例が可決された後になって、開示される。
このような「何だか変だ」を前に、山下さんは一つずつ、地道に取材を進めていく。この条例制定を主導した大山県議会議長が報道から逃げるように去って行く姿勢であったことや、「ゲーム条例は憲法違反で人権侵害」と提訴した現役高校生のこと、県弁護士会が「公権力がむやみに介入すべきでない」と会長声明を出したことや、そういう事実を報じ続ける中で、「検証ゲーム条例」(2020年6月放送)「検証ゲーム条例2」(2022年7月放送)などの調査報道も積み上げていく。そして、これらの報道は、全て同社のホームページでアーカイブ化され、ヤフーニュースやYoutubeにもアップされていった。
僕は山下さんとひょんなきっかけで知り合いになり、このゲーム条例の報道を見続けてきた。だからこそ、今回、その集大成として出された山下さんの単著は感慨深いものがあったし、一気読みした。その中で感じたことを、以下、メモ的に書いておきたい。
・ゲーム条例は、科学と社会と政治の接点や境界が非常に揺れ動くものであったこと
依存症の問題は、社会との相互作用の中で生まれてくると思っている。ゲーム依存症なるものは、団塊ジュニアの僕にとっては「ファミコン」「マイコン」が生まれて以来に構築されたものであることを肌感覚で知っている。つまり、それ以前にはなかったものが、ゲーム機やパソコン、スマホが当たり前のように家庭に入っていく、この40年の中で生まれてきたものだ。
ただ、ゲーム依存なるものを「病気」とは断定できない。「ゲーム障害」という概念を提起したWHOも「Gaming Disordermが『病気』であるという言い回しは不適当である」(p175)という見解を持っている。つまり、依存状態という現象があっても、それが病気ではない、ということである。にも関わらず、そこに特定の精神科医が関与して、「依存状態なのだから制限する必要がある」という「科学的根拠」が生み出されていく。だが、同じ精神科医の中にも、吉川徹さんのように「他のものを避けていたら、ゲームとネットしか残っていなかった」という「社会的孤立」としてのゲーム依存を指摘している論者もいる。つまり、「ゲームへの依存状態という現象さえ減らせばよいから時間を制限せよ」という論理と、「ゲームに依存せざるを得ない状態がどのように社会的に作られているのか、子どもの内在的論理を辿ることの方が重要だ」という論理が、医師の中でも別れているのだ。そして、前者は「ダメ、ゼッタイ!」に代表される厳罰主義だが、依存症治療の世界的スタンダードは「ダメ、ゼッタイ、がだめ!」である、ということである。依存症治療のリーダー的存在である医師の松本俊彦さんは、アディクションの反対はコネクションだ、とまで言い切っている。
ここから、「ゲーム依存は病気なのだから時間制限するしかない」という、一見最もらしい「科学的根拠」自体がもともとアヤシい、ということが見えてくる。
さらに、ここに科学を政治に持ち込む力も見えてくる。山下さんの本の1章は、先述の大山議員と、地元の四国新聞社が果たした役割について触れられている。ゲームの「麻薬的な依存症」(p25)を度々議会で指摘し条例制定の動きを作った大山議員と、彼のことを連載で取り上げ、「キャンペーン 健康は子ども時代から~血液異常・ゲーム依存症対策への取り組み~」を報じる中で、条例制定の機運を作り上げていった地元新聞社。ちなみにこの新聞社に関しては、自民党選出の国会議員が社主の兄弟で、色々なことが報じられれている。
つまり、様々なアクターからなる政治的思惑が、不確かな(論争中の)「科学的根拠」を選びとり、条例制定に向けた特定の社会的な動きが生まれ、パブコメの組織票的なものと連動して、一つの条例に結実し、多角的に検討することもなく、「賛成多数」で可決される。一度制定してしまった条例が、疑義を突きつけられても無視され、「事実」として機能し始めていくのであった。このような「動き」の構造が、調査報道に基づくこのルポルタージュから見えてくるのである。
現時点で事実として機能している条例という制度は、社会的に構築されてきた。そのプロセスを再検証することで、その社会的な構築の中に、どのような恣意性があるのか、そこに何らかの歪みや強引さがなかったか。それが規定された条例にどのような悪影響を与えうるのか。これらを検証する上で、山下さんが果たした地道な調査報道や、本書という形で仕上がったルポルタージュは、非常に役立つ。そして、それは他の自治体現場で動きつつあるなにか考える際にも、役立ちうる。
それは、賛成票を議員の親族に頼まれて書いた人の、次の言葉に象徴されている。
「私たち県民の知らないところでいろんなことが決められていく。それも結論ありきみたいな形で。で、決まった後に知らされるっていうことをすごく疑問に思ってますし、ちょっと憤りも感じる部分です」(p218)
そんな「結論ありき」で決められていくことはイヤだ! 山下さんの憤りに、心から共感する自分がいる。