1ヶ月ほどブログがご無沙汰していた。この間、圧倒的な忙しさで、日々をこなすのに必死だった。その中でも、報告すべき事は、あれこれある。
一番に報告すべき事、それは、5冊目の単著で初めての新書である『ケアしケアされ、生きていく』(ちくまプリマ—新書)が10月上旬に発売されたことである。後書きにも書いたが、この本の企画が通ったのが3月末で、4月から一月一章書き続けて、夏休みにはゲラが出来上がって10月に刊行、なので、自分でも驚くほどのハイスピードである。でも、これまで考えてきたことを、新書というメディアの中で、プリマ—新書なので中高生にも読んでもらえるように、と詰め込んでみた。すると、これまでの本とは違う感想が寄せられている。するする読めた、という感想が沢山寄せられているのだ。
僕はこれまで「実際のお話はわかりやすいのに、本は難解ですね」と言われることがしばしばあった。ジャーナリストの大熊一夫に師事し、「文章は省略と誇張だ」と学んだだが、客観性や論理構築力がものをいうアカデミズムで生き残っていくためには、ジャーナリズムとは違う文体を自分で探す必要があった。2003年春に博論を書き終わり、それまで禁欲的だった他ジャンルの本の乱読を再開した時、むさぼるように読みはじめたのが、当時売れ始めた内田樹先生の著作であり、彼が沢山書いているブログ「内田樹の研究室」であった。そして2005年に大学教員になった後、自分の文体を生み出そうともがいた際に、このブログを立ち上げて模倣していたのが、内田先生の文体である。彼の本を読んで学んだ論理骨法を、自分のブログの中でトレースするように敷衍していく。それで、知的筋トレをずっと続けてきた。
ただ、多くの方がご承知のように、内田先生の文体は「難しい内容をするすると読める」力量が本当に卓越している。難しい語彙や論理がてんこ盛りに入っているのだが、内田先生の文章にかかると、そういう難解な何かが入っていても、なんだか読めてしまうのである。僕はそうやって彼の本を読み続け、沢山の語彙や論理を学んできた。でも、自分自身が書き手として内田先生の骨法をまねて実践しようとすると、どうしても表現が硬くなり、ゴリゴリの文体になる。僕にとっての最初の著作である2012年の『枠組み外しの旅』は、そういう難さ・堅さ・硬さが文体に含まれていた。それをどうやって開いたり柔らかくしてよいのか、その方法論を当時の僕はわかっていなかった。
その文体が開かれてきたのは、子どもが生まれた後だ。
毎日の家事育児で必死になっていると、なかなか難解な本はじっくり読めなくなる。という消極的な理由だけではない。娘や妻とのケア関係って、大概が「とほほ」話であり、それは難しい漢語や論理ではなく、感情の言葉で伝えないと、実感が伝わらない。でも、ケアには論理がないわけではない。逆に、日々のケアを巡る葛藤の政治を言語化しようと思ったら、これまで培ってきた文体とは違う、望遠レンズではなく接写レンズのような、解像度を上げたレンズで描く必要があるのだ。
それをしてみたいと思って始めたのが、現代書館のnoteでの連載「ケアと男性」だった。
この連載においては、編集者の向山さんに徹底的に鍛えてもらった。僕は彼女にコーチ役として、徹底的に気になることはコメントしてもらうように、お願いした。というのも、僕はそれまでの癖で、どうしても小難しい用語や論理についつい逃げ込んでしまうので、「この部分はわかりにくい」「もっとわかりやすい表現にしてはどうですか?」など容赦なくコメントしてもらわないと、子育て中でくたくたになっているママには読んでもらえないだろう、と思ったからだ。この本の想定読者としては、子育て中のママに共感してもらい、ママからパパへとお勧めしてもらう、という展開をイメージしていたので、睡眠時間が短くて・子育てでテンパっているママでも読めたで!という文体が、必要不可欠だったのだ。
そして、おかげさまで、その戦略は当たった。この連載を、高松の子育てサークル「ぬくぬくママSun’s」のメンバーである現役の子育て中のママ達に読んで頂いたら、めっちゃわかる、と沢山の共感メッセージを頂いた。その言葉がどれも素敵なので、出来上がった4冊目の単著エッセイ『家族は他人、じゃあどうする?』の帯に、その言葉をいくつか使わせて頂いたほどだ。連載の書籍化をする中で学んだのは、ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描けば、ミクロとメゾ・マクロ世界がつながるのではないか、という予感だった。
だからこそ、このエッセイを上梓してから一年も経たないうちに依頼された新書執筆において、目指した文体や内容も自ずと固まっていた。「ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描く」という、新しく発見した骨法を、子どもと私の二者関係だけでなく、そこに第三の項も入れて開いていこうという戦略である。
そのときに真っ先に思い浮かんだのが、20年近く定点観測してきた大学生の世界だった。彼女ら彼らと付き合うなかで、僕は20歳前後の若者達の生きづらさを沢山聴いてきた。そして、6年前から子育てをするなかで、20歳の若者が自己を抑圧し、他者に迷惑をかけてはいけないと必死になり、就活も含め他者の査定に怯えている姿が、我が家で毎日接している、自己主張満載の娘の姿と全く違うことを改めて「発見」し、驚き始めた。どんな子どもでも、こども園の時分くらいまでは、溌剌として、自分の思っていることをストレートに相手に伝えてくれる。それが言葉であれ、涙やだだをこねるという非言語であれ、思いを素直にぶつけてくれることには変わりない。そんな娘と比較して、大学生の皆さんは社会化されているというけど、もしかしたら思いが抑圧され、去勢され、自発的に奴隷のように従う自発的隷従ではないか、と思うようになってきたのだ。
そうすると、溌剌とした6歳の世界が、自己抑圧的な20歳になぜ変化するのか、を考える必要がある。その背景として浮かんできたのが、48歳のぼく自身の世界である。振り返ってみると、僕も溌剌とした6歳の世界から、自己抑圧的な20歳の世界へと変化してきたし、そこには社会の能力主義や生産性至上主義を内面化して、弱肉強食の競争原理を生きてしまった自分自身の姿が見えてきた。そして、一歩引いてその姿を捉えると、失われた30年は、昭和が終わった後の30年とつながっており、今年が「昭和98年」だとすると、昭和時代のOSで社会を動かす矛盾が、ぼく自身や大学生、そして娘にも深く押し寄せているのではないか、という仮説が浮かんできた。
そんな妄想を一章ずつ言語化して定着していくと、具体的なケアの言語で、ケアレスな社会の様相を描くことができはじめた。そうやって積み上げていくうちに、8万字の新書の世界が浮かび上がってきたのである。さて、この新書の中で「ミクロなケアの世界をふだんの言葉で描写しながら、その背後にある社会的な抑圧を、そのふだんの言葉につなげて描く」こいとができているか。それは読者の皆さんから、ぜひともフィードバック頂きたい部分である。
一人でも多くの人に、この新書が開かれていることを、著者としては心から願っております!