原点回帰した連休

この連休中は、ずっとブログの更新が出来なかった。毎朝午前中はブラウザを開くことも無く、ずっと原稿を書き続けていた。

『学びの回路を開く』
こんな仮題で、僕自身がこれまでに考えて来たことを、一冊の本にまとめようとしている。生まれて初めての単著へのチャレンジだ。
東大の安富先生や阪大の深尾先生が主催される「魂の脱植民地化研究グループ」の皆さんが出される叢書の一つとして出してみませんか、というお誘いをうけた。実は、僕は共著や編著者の経験はあっても、単著は出した事がない。憧れに感じてはいたものの、まだまだ自分は勉強不足だし、先になる、と思っていた。ふつう、博士論文を単著にされる方もいるのだが、僕の博論は、その時点では満身創痍で提出し、何とか学位は頂いたけど、そのままで出せるものではなかった。自費出版してまで出す気にもなれず、またフィールド調査の新鮮みも失われてしまったので、結局、大学の紀要にまとめてそれでオシマイ、になっていた。
あれから10年弱。そろそろ、自分の言いたいことも溜まってきた。ブログでこうしてずっと書き続けているが、やはり一冊の本として、これまで考えて来たことを、きちんと形にしたい時期になっていた。勉強不足、知らないことが多い、と言い出したら、多分一生書けないままで終わってしまうだろう。確かに、碩学だが一冊の本も出さない先生、というのも、アームチェア学者の中にはおられる。何を聞かれても答えられるほどの博学だが、学べば学ぶほど、自らが知らないことが多くなり、その事に対して恐れるあまり(=知らないことに誠実であるあまり?)、知るという行為を優先し続けた結果、その知った内容をまとめる、書き表す、という事に結びつかない先達のことだ。
だが、僕自身は、明らかにそういう人とは人種が異なる。
まず、そこまで碩学ではないし、溜め込み続けることが熟成になるとは、僕の場合には思わない。ある程度、出力を続けながら考え続けないと、その知識がどのような意味を持つのか、僕自身にとって何の役に立つのか、わからない。僕はレヴィ=ストロースの言うところのブリコラージュ、つまりは「その場で使えるものを使い倒して何とかする」という思考法でしか、前に進むことは出来ない。であれば、自らが学んだ知識も、実際に自分の人生の中で使いながら、その知識を元に考えて、書き進めながら、その知識の使い勝手を学んでいくしかない、という癖を持っている。だからこそ、ブログにも書き続けてきた。そして、そろそろそれは、ブログ上だけでなく、ちゃんと一冊の本にまとめた方がいい、と思っていた。
そんな時期のお誘いだったからこそ、喜んで引き受けた。
とはいえ、400字詰め原稿用紙換算で300枚、というのは、これまで書いた事のない量である。査読論文などは、だいたい50枚以内が多いが、それだってひーふー言いながら書いている。その6倍である。いくら、博論や幾つかの原稿が元ネタとしてあるから、といっても、そう簡単に書ける量ではない。
それから、今回は書くスタイルも、大きな問題だった。なるべく自らの内側に深く切り込んで、前言撤回的に書き進める、ということが、今回の目標だった。それは、次の警句を、本を書きながら、戒めにしていたからだ。
『長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。』(内田樹 『140字の修辞学』
僕自身が、ここ最近、「手を変え品を変え」同じ事を書き続ける「出来の悪い新書の書き手」のような状態に、実は陥っていた。それは、以前から愛読している「研究者の悪魔の辞典」という恐ろしくも本当のことが書かれているウェブサイトの「30代の危機説」そのものだ。そんなに30代で成功したかどうかは別として、実はこの1,2年、有り難いことに、執筆依頼が増えている。それはいいことなのだが、その依頼をされる方は、障がい者制度改革に関わっていたという「経験」とか、あるいは脱施設・脱精神病院を研究してきたという「業績」を見られて、依頼して来られる。これらの「経験」や「業績」を評価頂くのは確かに有り難いことではある。だがその一方、それは既に「過去」の事である。この「過去」に基づいて、その過去の延長線上の文章を書いていると、「失敗が起こるのは、たいした種がなくても従来型の依頼に応え続けるケース」という指摘に当てはまっていく。従来型の依頼に応えていれば、それに基づいた文章が生産され、それを読んだ人は「この人はこういうことが書けるのね(こういうことしか書けないのね)」と判断され、それに基づいた同種の依頼が再生産され・・・(繰り返し)。という過去の縮小再生産サイクルになりうる。そして、僕自身が実はその縮小再生産サイクルに陥っていたのだ。
そして、それは本人が一番よく気づいていることだが、ありがたいことに、研究仲間のある人から、その縮小再生産サイクルに入っていた論文について、次のような真摯な一言をいただいた。
『これまでの竹端論文を全て読んできたので、コアなファンの眼では「竹端論文ダイジェスト+新事例」という印象で、新鮮な発見が少なかったからかもしれません。もちろん、一般の読者にとっては、要旨明瞭で、竹端論文の美味しいとこ取りの論文だと思いました。』
これは、実は非常に危険な状態である、という警句と受け止めた。
まず、僕の論文を全部読んで下さる、というだけで奇特な方なのだが、その上で、「新鮮な発見が少ない」とお感じになられた、ということは、もう僕が縮小再生産に傾きつつある、という指摘なのだ。つまり、「手を変え品を変え」、依頼に応えるために、角度を変え、新たな事例を入れながらも、同じ事を書き続けているのである。そう気づいた時、ある社会学の大家の先生に言われたキツイ一言がよみがえった。
「それって、埋め草原稿じゃないの?」
新聞や雑誌で、急に原稿内容の差し替えがあり、空白や余白が出る。今から広告だけで調整できない。そんな中で、隙間を埋めるために書かれた記事や原稿のことを指す。別に僕が依頼されて原稿を書く場合、数時間単位で書き上げる、厳密な意味での「埋め草原稿」ではない。だが、どこかで書いた内容の焼き直しに近い内容であれば、それは読者からしたら、「新鮮な発見が少ない」(あるいはない)という意味で、埋め草原稿そのものではないか。それが依頼主にとっては「埋め草」ではなくても、その依頼を断らずに応じて、それで意図的ではないにせよ業績になってしまう、という心性そのものも、「埋め草業績」を認める何かに通底しないか。そのような警句として受け取った。
実は、僕はあるジャンルでは、それをコンパイルしたら一冊の内容を超える位の原稿量は書き上げている。そして、数年前、事実それを書籍化しようとしていた(=だからこそ、それを欲しい、という人には全部コピーして配れる準備も整っていた)。だが、その束を抱えて、件の社会学の大家の恩師に相談に行った時、ハッキリそう言われた。
「一冊目が、何よりも肝心だ。人は処女作を読んで、こんな事を書いている人だ、とあたりをつける。その一冊目がつまらなかったら、この人は所詮こういう人だと、以後、見向きもされなくなる。だいたいおまえだって、◎◎さんや□□さんがぼんぼん出している本を、ちゃんと読み続けているか? また同じ事を書いている、と思って読まないんじゃないのか? それと同じになっていいのか?」
そう、たしかにその先生が挙げた某二人は、書籍を沢山出しているが、だいたい同じような事が書いてあって、かつ難しいので、いつも放っぽりっぱなしにして、読むことはなかった。有名出版社から出ているのに読めないのは、僕が頭が悪いし勉強意欲に欠けているからだ、と思っていた。でも、もしかしたら、知識は沢山詰まっていても、それが「埋め草原稿」的な、「新鮮な発見が少ない」何かである事を本能的に察知して、読まなかったとすれば・・・。
そう思うと、僕は単著の計画を封印して、少なくとも、そのジャンルでは、しばらくは本を出さない、ということに決めた。何よりも、自分にとって、わくわくとした面白さ、新しい発見がないようなプロジェクトは、新たな論文であれ、単著であれ、したくない、と思い始めていた。
であるがゆえに、この連休中の単著執筆は、本気で必死だった。
書いている自分自身にとって、「新鮮み」や「発見」のない原稿を書きたくない。でも、僕が持ち合わせている知識や元ネタには限界がある。それをないから、と新しい本を読むことに必死になったら、クイズ王的なトリビアとしての「新鮮な発見」はあるかもしれないが、内容的には面白くない。むしろ、「新たな発見」とは、これまで見えている景色を、どう新しく解釈できるか、ではないか。それは、新たな情報を探し続けるネットサーフィン的なものではなく、村上春樹流に言えば、「井戸を掘る」ように、所与の前提とされた世界観の奥底に潜む、誰もが知らない集合的無意識のような闇に潜り込み、その中から、自分でしかすくい取れない視点や考え方を掘り当てて、この世の光に照らし直すような営みでは無いか。そして、その営みこそ、内田樹さんは「前言撤回的」と言ったのではないか。
なので、僕は今回、本を書き始めた時、これまでの論文スタイルから、方針を大転換した。
・誰かを説得するのではなく、誰かに評価される事を期待せず、まずは自分が納得する文章を書く。
・私や筆者という、自分の気持ちが完全に乗り切らない主語は使わず、ブログの時のように「僕」という主語で書く。
・「俺はこんなに知っているぜ」的なトリビアな知識の披露を目的とはしない。ならば、そういう知識の塊を引用で散らすことはやめ、本当に伝えたいことのみをシンプルに書く事にする。
・だから、客観性のルールからも、この際、距離を置く。自らの実存やこれまでの経験、あるいは直観として捉え、あるいは考え続けてきたことを、そのものとして書き進める。
・上記の方針を貫徹するため、「自分の内面の振り絞り」を、著作のテーマにして、前言撤回的に、自分の内側にどんどん切り込んでいく。その中から、見慣れた景色を未だ見ぬ何かに変える地点まで、自らを追い込んでいく。
さて、こう追い込んで、結果はどうだったか?
まだ、250枚の初稿を昨日書き終えたばかりなので、結論はつけられない。でも、現時点での感触として、書いていて、非常に何というか、ある意味、自己治癒的であり、ある意味で、「俺ってこんなことを考えていたんだ」とか「確かにこういう風にも考えられるよね」と書き上がったものに頷かされる展開になっていった。単純に言えば、書いていて、すごく面白かった。これは、「埋め草原稿」的な何か、では考えられない楽しさである。
確かに、依頼された原稿にも、もちろん魂を込めて、最善を尽くして書いてきた。もしかしたら、依頼された編集者の方がこれを読んでおられるかもしれないので、敢えて言い訳では無く、誠実に書きますが、誤魔化して適当に書いたつもりはありません。あしからず!!!
でも、単著、という一つの物語の中で、僕が10年かけて考え続けて来たことを、今の視点で並べ直し、再びその文章に火を入れ、息吹を組成させ、ある部分はばっさり落としたり、あるいは大胆に書き加えたりしながら、一つの物語の文脈の中で再度の賦活化をはかる作業は、実にチャレンジングでエキサイティングだった。ほんとうに、めちゃ面白かった。これを書いている間は毎日、ネットやSNSを見ている暇はないほど、原稿書きに没頭していた。書く楽しみ、という原点にやっと回帰できた連休であった。(逆にいえば、それまで没頭するほどの何かに出会えていなかったのかもしれない・・・)
昨日初稿を書き上げた文章は、しばらく寝かせて、再度頭から書き直そうと思う。なので、ようやく、ブログを書く時間が出来た。実はこのブログも、自分の考えをまとめたり、これまでの未分化だった何かに言葉を与える、という意味で、僕が考え続ける上で、非常に大きな役割を果たしてきた、ということも、今回の単著を書くためにブログを読み返していて、非常によくわかった。自分のサイトで幾つかの言葉に検索を書けてみて、「こんな原稿も書いていたんだ」と改めて気づかされたことも、沢山合った。それが単著の原稿にも取り入れられていくのだから、何だか思いも寄らなかった貯金に助けられてしまった格好だ。(ま、書いた内容をすっかり忘れる、というのも、僕の特性なのかもしれないが・・・)
ほんとうは、今日の講義で取り上げた「認知症ケアと魂」の話を書くつもりで、表題もそう書いていたのだが、どうやらその前に、書くべき事があったらしい。結局その話は次に置いておく、として、今日は楽屋話とでも、メタ文章論とでも、あるいは単なる自己治癒的な文章とでもいうべき、書く楽しみという原点についてのお話しでありました。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。