ドタバタ劇からの解放

ツアーから帰ってきた。

金曜の朝一番の列車で静岡京都高槻と乗り継ぎ、11時15分頃、いつものワイン屋に飛び込む。店長のMさんには「とにかく10分くらいしかいられない」と告げて注文をお願いしておいた。しかも今回も、ここのワインを気に入った知人の分も購入するので、12本×2=24本分。彼にはお世話になったので、プレゼントワインも1本忍ばせるから計25本! これを10分で確認して買うのだから、何とも・・・の話だ。だが、ここのワインは本当に苦労して買いに寄る甲斐があるほど、おいしくてお値頃のワインが多い。1本1000円そこそこでホンとええのがそろっているのです。今回はその後、花粉症のお医者様@甲子園口、に12時半に滑り込まねばならないので、10分で「また今度!」と去って行く。そう、この日はめちゃくちゃな予定の立て方だったのだ。

その後、昔住んでいた甲子園口の医者薬局美容室、と移動。髪にそこまでこだわりがあるわけではないのだが、今まで切ってくださった職人の中で、この甲子園口のYさんの感覚が一番僕に合っているようだ、というのは奥さまと一致する意見。何だかムースまでつけられると、いつも別人かのように(その日だけ)凛々しく仕上がる。しかも、「今日は短めで」という単純な一言で後は全部お任せ出来る安心感もあって、やはりはずせない。で、はずせない、というと、最近行けていなくて気になっていた、芦屋の「うつわや えん」に今回は寄る時間があったのだ。るんるんとJRで芦屋へ。

JR芦屋駅からちょっと神戸よりの、線路南沿いにあるこのお店、以前京都から神戸の予備校に教えに行っていた時に、芦屋駅を出て加速をし始める車内から眺めていて、すごく気になっていた。で、結婚して西宮に引っ越したとき、思い切って二人で入ってみた。すると、待っていたのだ。足にけがをした「ふくろうくん」が。それは陶器で出来たふくろうの置物。中に裸電球を入れることが出来、光のオブジェともなる。みた瞬間、すっごくいい、と思ってたのだが、よく見ると、足に包帯! どうしたのですか?とご主人に伺うと、「実は移動中に足が折れちゃったので、接着剤でくっつけて、包帯しているのです」とのこと。何だかそんな「ふくろうくん」に妙な親近感を抱いてしまい、「少しおやすくしておきます」というご主人の言葉にも後押しされ、生まれて初めて、こういう置物を購入。以来、我が家の守護神としておられる。

そんなご縁があって、我が家の料理を飾る大皿(なんせ夜は野菜炒めをごっそり作って取り分け、が多いので)や、お茶碗、お皿など、いろいろなアイテムを、少しずつ、この「えん」で買ってきた。僕らは別に特にこだわりがあるわけではないので、「この種類で統一する」なんてことはしない。その日に、それこそお店の名前じゃないけれど、「ご縁」があった器と少しずつ出逢い、ちょっとずつ買い足してきたのだ。しかも、気取った高価な食器ではなく、僕たちが普段使い出来る実用性が高い、かつコストパフォーマンスもよい器をご主人はそろえてくださっているのだ。

今回は、スウェーデンでもらったペアのグラスが割れてしまったので、ビアマグを探しに伺う。すると、「焼酎は飲まれますか?」とご主人。「ええ、わりと」と応えると、出してくださったのが、小鉢のような、湯飲みより一回り大きい、でも抹茶のお椀より一回り小さい、味のあるコップ。こういう器なら、ビールでも焼酎でもおいしいですよ、と言われて見た瞬間、「参りました」であった。そう、こういう「参りました」というか、「待ってました」という器と出会えるのが、このお店の不思議、というか、奇跡というか。しかも、ペアで3000円ちょっと、という良心的価格。出会うときは出会えるよなぁ、と思いながら、早速購入したのでありました。昨晩は米のとぎ汁で30分ほど煮て器をなじませたので、今晩が「デビュー」。今からわくわくものである。

と色々書いたが、実はこの「うつわや えん」にも都合15分くらいしか滞在しなかった。というのも時計の針は午後3時過ぎ、4時半から、今回の大阪出張のメインである、とある会議が西宮であるので、逆戻り。ほんとは阪急西宮北口の本屋にも寄っていこうか、と思ったのだが、朝の静岡行きの特急電車がめっちゃ寒くて、少し風邪を引きそうな「予感」だったので、無理せず現場に直行し、ココアを飲んで一休み。結局11時前に京都に着いて、16時頃までに高槻甲子園口芦屋西宮、と移動したことになる。なんだか5時間のドタバタ劇だ。

甲府に住む今、こんなに予定をみっちり入れて密に動き回る事は、まずない。しかし大阪に住んでいた頃は、上述のような「ドタバタ劇」は、実は結構日常茶飯事だった。これくらい色々こなすのが当たり前だったので、昔取った杵柄、的に動けてしまうのだ。以前はそれが「効率的」であり、「なんだか格好良い」とさえ「錯覚」していたのだが、スウェーデンや甲府に住むようになり、そういう「効率」が少し変であり、全然「格好良」くない、ということに、少しずつ気づき始めた。ま、それまでは足下定まらず、不安定なグラグラ状態だったので、仕事や予定をとにかく詰め込んで、というのもあったかもしれない。だが、ようやっと本拠地を構え、仕事も腰を落ち着けてやろう、と思うと、一定の時間的余裕が必要になる。そのためには、いつまでも、毎日ドタバタ劇場、は続けていられないのだ。たまに出張の折りでの「ドタバタ劇場」は「あり」でも、それを日常茶飯事にはしたくないなぁ・・・。

そうある方にしみじみ語っていたのは、昨夕の国分寺に向かう車内での出来事。
実は金曜夜は会議たこやき&お好み焼きパーティーの後、京都に深夜帰宅。土曜朝の「のぞみ」で横浜に向かい、土日と研究会。で、研究会終了後、主催者の車に乗せて頂き、日曜夕暮れを国分寺まで向かう中で、ここ最近のことをその方に色々報告していたのである。その方は、僕のこの不安定な3年間を、いつも暖かく見守ってくださり、また様々なチャンスをくださった「恩人」である。そんな「恩人」と横浜から国分寺までの車内で約2時間、最近の実状について、ゆっくり報告する機会があったのだ。

「移動続きの、ドタバタ続きのこの3年間でしたが、ようやっと、研究の方も、生活スタイルの方も、腰を落ち着けつつあります。ドタバタ劇でやっつけ仕事ばかりしているのでなく、あまり他人のことを気にせず、マイペースで、かつ本質に迫るねっとりさを持って、仕事に励もうと思います。」こう報告しながら、ここ最近の膠着状態からようやく一歩踏み出しつつある、と実感していた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。