かえってきました

 

日本に帰ってみたら、満開の桜だった。

丸12時間前まで滞在していたミャンマーのヤンゴンの気温は30度近く。その一方日本はというと、飛行機の中で重ね着をしたにもかかわらず、成田空港では大変ひんやりと感じた。そう、乾期まっただ中の東南アジアから春爛漫、いや花冷えの日本に戻ってきたのだ。今回、パソコンは持って行ったものの、結局どこのホテルでもネットにアクセスすることが出来なかった。旅の途中の記録は追々アップするとして、忘れないうちに、旅の断片を振り返っておきたい。

今回は、バンコクで開かれたアジア・太平洋地域の障害者の権利に関するディスカッションに参加するために訪れたのだが、バンコクにいく「ついで」をいくつもくっつけた。既にこのブログでお伝えしたタイ東北部、ノンカイでのNGO視察だけでなく、その後、知り合いが住んでいるラオスのヴィエンチャン、ミャンマーのヤンゴンも訪問した。両国ともタイのお隣の国だが、これまでは一度も足を踏み入れたことのない国々。何かの「ついで」がないと、たぶん訪れることはなかったろう。そう、そんな「ついで」がきっかけとなって訪れた両国だが、大学院時代時代の仲間のNさん、Kさんの見事なコーディネーションのおかげで、どちらの国でも滞在期間中、めいっぱい現地で活躍する日本のNGOの実情を伺うことができ、予想を遙かに超える収穫があった。もともとの魂胆は、1年生を対象とした「ボランティア・NPO論」の一コマ分を使う素材を集められたらいいな、という程度だったのだが、バンコクとの会議も相まって、実にいろいろな「宿題」を持ち帰ることになってしまった。この「宿題」の中には、もちろん研究上の課題も含まれるのであるが、それ以外にも、自分の中での視点を深める上で欠かせない「宿題」も様々に受け取った。

僕はもともと日本国内の障害者支援のフィールドワークが長かったので、NGOといっても、国内をフィールドにする団体とのおつきあいが多かった。なので、海外をフィールドとする様々なNGO団体の関係者にまとまって話を聞く機会は、今回の旅がほぼ初めて、というデビュー戦のようなものであった。だが、両国で何人もの方々にお話を伺えば伺うほど、国内NGOと同じような組織や構造で、問題点や課題点にも相似点がいくつもある、ということがわかってきた。その上で、国を超えてのNGO故の特有の問題点として、「日本国政府」と直接・間接的に関わることが多い、という特殊性や、国益と市民のニーズで折り合いをつけることの難しさ、なども伺うことが出来た。日本の障害者分野のNGOだって、確かに障害者自立支援法にコミットすることもあるが、海外の場合は、大使館(外務省)やJICAと直接やり取りをする機会も多い。こういう国の組織との直接的やり取りが出来るのも、国際的NGOの特徴だろう。

また、自分がこれまで関わっていたタイのフィールドを相対化して見ることも出来た。確かにノンカイの周辺地域は明らかに経済発展から取り除かれているが、一方で、大手の国際的NGOはタイから撤退しつつある。世界各国の貧困地域での支援経験の長いある方の話では、タイのようにある程度経済発展が進んでいる国に残っている貧困問題は、社会の最底辺の、日本で言えば生活保護層の問題であり、それを海外のNGOが直接支援するのには限界がある。しかもタイのように国力や経済力がある国なら、自国で解決する潜在能力もあるはずで、それよりも国内でどうセーフティーネットを構築していくか、の方が大きく問われる。外国からの支援も、現場支援よりはむしろ、セーフティーネット構築のための法制度や社会システム設計の政策的支援の方が大切ではないか・・・そんなお話だった。

これは以前の自分なら、「そんなこと言っても、僕が見たノンカイの現実は違うんだ・・・」と、聞く耳を持たない話だったかもしれない。だが、ラオスやミャンマーという、タイより遙かに国力も経済力も弱い両国で、農村エリアの多くで食べていくのがギリギリの状態で、初等教育や出産、子育てなどに大きなリスクを伴う、そんな現状を、現場の方々から伺った。一方、タイのノンカイで見た現実は、すべての人が「ギリギリの生活」、という訳ではなく、ある程度豊かな中に取り残されている人々がいて、その格差が日本より何十倍、何百倍と進んでいる現実なのだ。確かに、この方がおっしゃったように、最貧層の問題はセイフティーネット構築の問題であり、外国人が関与するのではなく、国内で解決すべき問題、という説明はわからなくもない。それより、一般層が飢餓や貧困のスパイラルに陥っている国や地域に資金も人手も投入した方が、より多くの人を効果的に救えるかもしれない。

確かにマクロかつ相対的視点でみたら、タイの最貧層よりもっと困っている状態の人々がマジョリティの国の支援に特化した方が、その効果は大きいだろう。だが、一方で、実際に自分が現地を訪れ、活動へコミットし、その声を聞いた現場の当事者の状況を、「それはタイ国内のセイフティーネットの問題だから外国人である私はコミットしない」と単純に線を引けるか、といわれたら、それほど僕はドライにはなれない。むしろこれは、論理的ではないかもしれないが、あくまでも「ご縁」の問題のような気がする。私はタイの現場と「ご縁」があった。そして、今回はミャンマーとラオスの現場にも「ご縁」がつなげられた。その「ご縁」を、右から左に聞き流すか、ほっとかれへんと思うかは、それはその場に立たされた人間が、自分の経験や直感に従って判断すべき性質のような気がする。世界中でもっとひどい現実を様々に見てきた人にとっては、タイの問題は「国内問題」と映るだろう。だが、僕は現地のNGO活動が行っている最貧層への支援に大きな意義を感じ、その団体の資金が枯渇していることを聞いて、悲しい気分になった。ならば、前者の人々は、より支援が必要な場に特化したらいいし、僕のように「タイも大切だ」と思ったら、それに従ったらよい。そう、出会ってしまったから、なんか引っかかるから支援する、それで個人なら十分なような気がする。

あと、支援になぜ関わるのか、今回多くの方々に聞いていて、印象的だった答えの一つに、「人間は学び、成長できるから。人間の可能性を信じているから」という発言があった。「人間の可能性」、このシンプルな意見を、私たちは日本にいると、案外忘れてしまっているような気がする。どんな人だって、何らかの支援を受ければ、「学び、成長できる」。これは、海外の貧困層だけでなく、国内の障害者であれ、あるいは僕の関わる学生さんだって一緒だ。支援に携わる喜びが、その人がその支援を通じて「変わること」。この支援に携われるおもしろさって、やっぱりどこでも同じなんだ、そんなシンプルなことを改めてかみしめていた。

さて、そろそろ「あずさ」は、山梨学院のキャンパスを通り過ぎる頃。有意義な10日間の調査だった。明日からは4月。この旅の「学び」をどう学生さんたちに伝えていくか、これが明日以後の僕の課題だろう。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。