バンコクの空港より

 

ようやくタイにたどり着く。日本と時差があるので、今は午後5時。外は30度以上の猛暑、ということで、むっとしている。さすがに乾季まっさかりの、夏のタイである。

タイには何度も着ているのだが、今回は丸々3年ぶりのタイである。3年前は、博士論文を書き終わった放心状態で、仕事もなく、なんだか宙ぶらりんな状態でタイに来ていたことを思い出す。その当時も、ネットカフェで日本語のメールは読んだり書いたり出来たが、でも空港内のネットカフェからこうしてスルメブログを更新できるようになったのは、隔世の感がある。この間、このスルメの管理人、magunam氏にはいろいろご迷惑をおかけしました。おかげさまで、なんとかタイからも更新できております。ネット上で心より御礼申し上げるしだいであります。

なぜバンコクについたのにまだ空港にいるのか? それは、これからタイ東北部のラオスとの国境の町、ノンカイまで移動する必要があるからだ。明日からあさっての午前中ははノンカイのNGOの取材、あさっての午後はラオスに移動して、ラオスにいる後輩のところにより、ラオスの国際協力の実情もちらっと取材。で、あさっての夜はバンコクに舞い戻り、夜はなぜかホテルで自立支援法のお勉強会のインチキ講師をして、その翌日からは国際会議に突入。という、なんだかよくわからないスケジュールなので、今日中にノンカイまでたどり着いておかなければならないのだ。本当はバンコクから12時間かけて列車でノンカイまで行ったほうが車窓も楽しく、いろんな売り子から鳥のモモの丸焼きとかいろいろ買い食いできて、しかもノンカイまで1000円かからずに行けるので大変よいのだが、時間のなさは仕方ない。今回はその5倍近く払って、飛行機で最寄の町、ウドンターニまで1時間。その後、バスに1時間揺られたらノンカイにつく予定だ。

で、待ち時間にこのウェブをチェックするより早く、まず一番に立ち寄ったのが、国際線ターミナルから国内線ターミナルに行く途中にあったフードマーケット。そう、あの美味しいタイの細麺(センミー)との再会だ。レバーやセンマイなどモツとパクチーとゆで卵をトッピングした、庶民の味の代表格。この味にはまって、以来タイ好きになった、といっても過言ではない一品。やっぱ、うまい。砂糖と唐辛子をかけていただくのだが、この濃くと、甘辛さがたまんない。この段階で、ダイエットは帰国後までお預け、がほぼ確実視されてしまった・・・。でも、うまかった。

で、おそらく食の話は、写真入でまた報告できるので、忘れないうちに機内で読んだ本のことを振り返っておきたい。

「エンパワメントと平等を中心とする現在の私たちの意識をもって、慈善と温情主義という流行おくれの考えから生じるように思われる過去の事業を否定することは容易である。しかし、私たちは歴史的な展望に心に留める必要がある。暗い画一的な施設やビクトリア時代の博愛施設によって、スープを貧しい人によそる断固とした大勢の独善的な慈善家がいた英国において、現代のボランティア活動の基礎が築かれた。それはいうまでもなく福祉国家の確立である。私たちの現在の態度で今ビクトリア朝の人々を批評することは、米国が1920年代に人を突きに行かせるべきであったと言うことに似ている。」(ピーター・コリッジ著「アジア・アフリカの障害者とエンパワメント」明石書店 p209) 

以前、歴史家の小熊英二氏の発言に引かれてコメントを書いたことがある。小熊氏が「その人たちが置かれていた同時代的な文脈や制約は重視しているつもりです」と語るのと、このコリッジ氏の言うことはほぼ重なってくる。入所施設批判をする際にも、そのときの文脈に合わせて入所施設や精神病院がなぜ増えていったのか、の分析をしない限り、物事は見えてこない。アジア・アフリカのさまざまな障害当事者へのインタビューから成り立つ同書を書いたのは、オックスファームという大手NGOのワーカーだが、彼の歴史の捉え方、ものの見方が実にシャープで、かつ的確であることを物語るエピソードである。

その彼が書く入所施設に関する記述も、実にシャープだ。

「施設は非常に人目にもつきやすく、慈善的行動が地域社会の中での尊敬を集める文化において宗教的によい行いであることは言うまでもなく、個人の寛大さや慈善を表現する明白な方法である。それらは、個人的帝国を設立するのに効果的な方法でもあり得る。」(同上、p134

日本でも、「ほっとかれへん」というやむにやまれぬ義侠心や慈善の心で、私財を投じて入所施設を作られた方も少なくない。その、作った当時の設立者やその意義について、当時の文脈を無視して物語るのはアンフェアだと思う。ただ、コリッジがここに書くように、結果としてその施設が、設立者の「個人的帝国」の拠点になっているとしたら、いったい誰のための入所施設・病院なのか・・・。彼の記述は、日本の入所施設問題を考えるときも、まさにずばりと射抜く表現が多い。こういう「あたり」の記述に出会えると、いくら機内でタイのシンハービアを飲んでいても、目がさえてくる。と、同時に、自分がこういうズバッとした分析が出来る目を持っているか、を己にも問うてしまう・・・。

まあ、ここはバンコク。タイで日本と同じモードになっていても仕方ない。さて、ぼちぼちモニターを見つめているのも疲れてきたので、今日はこれまで。次はノンカイから、もう少し旅日記風にお届けします。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。