託された「宿題」

 

ベンクト・ニイリエ氏の訃報に接した。
ノーマライゼーションの「育ての父」と呼ばれたスウェーデン人だ。3年前のスウェーデン在住時、ウプサラまでお会いしに出かけたことをしみじみ思い出していた。

彼はイェール大学やソルボンヌ大学で哲学や文化人類学を学び、文化相対論の視点を持っていた。第二次世界大戦後、難民キャンプや障害者支援の現場で事務方として働き、そこでの大規模集団一括処遇の「文化」が、人間の価値や尊厳を踏みにじるものである、ということに気づいてた。そして、オンブズマンとして知的障害児の入所施設を訪れた際、障害児の親(=や社会の一般人)の「普通の一日」と比べて、いかに入所者の一日が違うか、を知る中で、普通の人の一日、一週間、一年・・・がどう構成されているか、を文化的パターンの視点で捉え直したという。その視点から、またノーマライゼーションの「産みの親」といわれるデンマーク社会省の官僚、ニルス・エリック・バンクミケルセンとの議論の中から、有名な「ノーマライゼーションの8つの原理」を産み出した。

1.一日のノーマルなリズム
2.
一週間のノーマルなリズム
3.
一年間のノーマルなリズム
4.
ライフサイクルにおけるノーマルな発達的経験
5.
ノーマルな個人の尊厳と自己決定権
6.
その文化におけるノーマルな性的関係
7.
その社会におけるノーマルな経済水準とそれを得る権利
8.
その地域におけるノーマルな環境形態と水準
(ベンクト・ニイリエ著「ノーマライゼーションの原理」現代書館より)

この際、「ノーマル」という言葉は、大変誤解を招きやすい表現で、実際、多くの障害関係者でもこのノーマライゼーションの考え方を誤解して理解し、否定する向きもある。だが、ベンクト・ニイリエ氏自体の認識は、すごくシンプルで分かりやすい。この点は是非とも知っておいて頂きたいので、1960年代に入所施設を調査した後に彼が気づいたことを僕のインタビューでお話くださった、その発言の一部をご紹介しておきたい。

「(調査した当時)入所施設が全くダメだ、役に立たない、全然ダメだ、という事に気づきました。なぜかというと、入所施設はお金がかかるだけで、何も役に立たない。入所施設の中では何も成長できない。入所施設で出来るのは、そこにいる知的障害者を、そこの規則に合わせることだけで、これは当人の成長に何も役立ちません。また職員は、施設の入所者、と見なしてしまって、一人一人の個人としての個性、を全然学びませんでした。しかも、施設の中にいると、みんなグループで接しています。すると、この支援者がある人から学んだことがどういういい結果をもたらすか、ということを、他の支援者が学ぶ機会がありませんでした。」

ここで大切なのは、ニイリエ氏は障害者をノーマルにしよう、とは考えていなかった、ということだ。むしろ非人間的処遇というアブノーマルな「環境」をノーマルにしよう、と考えていた。また、個人が規則に合わせられる、という現実がオカシイ、と感じていた。

実はこの点は、あまり日本では知られていない。というか不幸なことに、このニイリエ氏の視点とは逆の観点でのノーマライゼーション理解がその後進んでいく。それというのも、ニイリエ氏の考え方を「アメリカの文化に適合的な形」で移植したヴォルフェンスベルガーは、移植の際、障害者の逸脱した外見こそをノーマルにしよう、という「同化的戦略」を取った。しかもこの逸脱論に基づく「障害者の外見をノーマルにする」という発想こそ、我が国はじめ多くの国で広まったのだ。それ故に、この戦略は80年代以後、地域でのノーマルな生活を求める自立生活運動をしていた障害者の激しい反発を喰らうこととなり、障害者側から葬り去られていく、という悲しい歴史を辿っていく。(そのあたりは以前ブログに少し書いた)

だが、改めて強調しておきたいのは、ベンクト・ニイリエ氏自体は、障害者のアブノーマルな「環境」こそオカシイ、という視点で、このノーマライゼーションの考え方を展開させたのだ。また、ノーマルという言葉の語源が「ノーム(規範)」にある、ということから、障害者の規範化、と誤解する向きもあるが、彼の先の発言を読めば明らかなように、障害者が規則に合わされていた実情に、彼は怒りを覚えていたのだ。この点が、現代の日本でも未だに誤解されていることが、僕は個人的にすごく悲しかったりする。

そんなパッションの人であるニイリエ氏と、3年前に逢った際、日本にも何度も講演に来て、日本の脱施設・脱精神病院が阻害されている現状もよくご存じの彼に、僕は次のような質問をした。「どうすれば、日本で今後、本当にノーマライゼーションが広まるのでしょうか?」 彼が答えた次の発言は、以来僕の心の奥底に突き刺さっている。

「なかなかみんなが団結しにくいならば、例えば東京や横浜は大きすぎるから、どこか一つの地域をやりなさい。どこでもいい。島でもいい。ここ、というところをすごく変えると、『あそこは大きく変わっている」とみんなから注目されるようになります。」

あれから3年、ご縁あって人口89万の山梨に赴任した。その地で、このニイリエ氏の言葉を胸に秘め、僕もささやかながら、地域での障害当事者の連携の動きのお手伝いをさせてもらっている。今日は、聴覚障害者と車いす利用者がパネラーのシンポジウムのコーディネートをさせてもらった。同じ障害者どうしでも、これまでは各障害の垣根を越えた協働や連携、があまりなかったのだが、自立支援法を契機に、バラバラだった障害者団体の足並みが、少しずつ同じ方向に向かって揃いつつある。そんな折りに、障害種別を超え、圏域や地域を越えた、県全体のネットワーク作りのお手伝いをさせて頂いているのだ。

これも、些細なことかもしれないが、ニイリエ氏に教えてもらった、「どこか一つの地域をやりなさい」という助言に、自分なりに実践で応えようとしているが故、と思っている。

修論でノーマライゼーションの考え方を知って以来、この思想に虜となり、またニイリエ氏本人にもお会いして、すっかりその人間的魅力に感化された僕にとって、ニイリエ氏の訃報は、すごく悲しい。でも、こうして大切な「バトン」を実際にお会いして託された、と感じている。託されたバトンを、どう山梨で、日本で実現させていくか? 片思い的に勝手に名乗っている不肖の弟子として、ニイリエ氏から託された「大きな宿題」を前に、心新たにしている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。