パスとわかちあい、因果巡って・・・

 

今日は夕方から、楽しくお話しさせて頂く用件が3つ重なった。

一つ目は、偶然呼び止められた学生さん。1年生での新入生研修の学生さんだ。20名ほどの学生さんと週一回、文章の書き方やらプレゼンの仕方やらをお伝えしたり、クラス担任のような役割を果たしている。その学生さんと立ち話。明日のテストの質問から始まって、なんやかんや話し込んで、いつでも遊びにおいでとお伝えすると、「先生の部屋がどこかわかりません」。んなもん、すぐ上だよ、と言うまえに、おいで、とお招きして、英語のペーパーバックの読み方から、ブランド依存とアイデンティティの不安、ネットと対面コミュニケーションの違い・・・など話していたら、あっという間に1時間経っていた。

その昔、予備校の講師控え室で、こういう話はよくしていたなぁ、と懐かしく思い出す。その時も、そして今日も学生さんに伝えたのが同じ言葉。

「僕は皆さんの失敗談や、へこんだ話はよくわかる。なぜって、皆さんの頃、すごく悩み、おちこみ、へこみ、失敗してきたから。でも、七転び八起き以上に、試行錯誤を繰り返す中で、いろんな先達に助けてもらうなかで、ようやく自分にしっくり来る解決方法を見つけたような気がする。だから、悩んだり失敗する後輩をみると、何とか自分の経験や受け継いだ智恵をお伝えしたい、と思っている。そうやって、先達からの智恵を順繰りに伝えていくことが大切。そう、智恵は独り占めしてはいけない。そうやってパスをつないでいくからこそ、僕にもまた未知のパスを受け容れる余裕が出来て来るのだ。だから、皆さんがパスを受け継いでくださることは大歓迎。遠慮なく、これからも来てくれたらいい。」

この「パスの継承」も教員の大切なお仕事の一つだと思っている。

続いてその5分後、8月末に研修のお手伝いをさせていただくソーシャルワーカー団体の方々が大挙してお出ましになる。ソーシャルワーカーの原点とは、というお題を頂いたが、お話を伺ううちに、セルフヘルプグループとしてのワーカー協会について問い直すことも大切なのでは、と思いつき、お話しする。当事者団体、家族会、専門職団体・・・、こういう自分たちの仲間の会(セルフヘルプグループ)は、あちこちで停滞気味である、と聞く。価値の多様化や会員数の増大など、様々な外的要因が挙げられるが、それ以外にも、根源的に「わかちあうこと」が出来合えない関係性が増えていったことが大きい会も見受けられる。一部の「既に分かり合えている古株・中堅軍団」と、それ以外の「分かり合えない新規会員」との間の断絶と言ったらいいのか。こういう断絶に対して、前者の側から困惑の声を聞くが、実は困惑しているのは後者だって同じ。ただ、お互いのしんどさや、思いを「わかちあい」、辛さや悩みを「ときはなち」、現場に帰って「ひとりだち」していく、これは我が国のセルフヘルプ研究の第一人者、岡知史先生の名言だが、このステップを踏めていない「仲間の会」が多いのではないか、伺っていて、ふとそう思ったのだ。

当事者の支援をする専門職自身が、自分たちの「ひとりだち」に必死になるあまり、しんどさの「わかちあい」や「ときはなち」をする場がないとしたら、そりゃあ「燃え尽き」にもなる。だって、一人で抱え込んでいるんだもの。そして、その抱え込みに苦しさを感じ、何とか助けてほしい、と思っている人は、若手・中堅・古株関係なく、いるのだ。その時、「助ける-助けられる」という一方的・上下的関係ではなく、それこそ対等の(ピアの)立場から、「わかちあう」ことから助け合いへと繋げていく横の・双方向的関係。これが、様々な「仲間の会」で今、求められているのだな、と感じる。教化・上意下達・トレーニング型から、コーチング・連帯・エンパワメント型モデルへ、の会としての転換が、求められているのだ。これは、組織だって同じなのだけれど。この辺は、最近の職員エンパワメント論と通じてくる議論だ。

こんなことを気持ちよくベラベラしゃべっているうちに、時刻はすっかり8時前。実は7時半からの次の会合が始まっていたので、あたふたとサークル棟に向かう。

サークル棟、な、なつかしい。大学生の頃、2年間だけ所属していた写真部の部室が、ぼっろぼろのサークル棟にあったっけ。今調べて見たら、なんとあの明道館も立て替えていた。大学の写真部は、何だかウマが合わなくて途中でドロップアウトしてしまったが、今でも立派に活動されているようで・・・。

だが、山梨学院のサークル棟は、赴任後おじゃまするのは今日が初めて。というのも、今年から大学ローバースカウト隊が部に昇格し、一応「顧問」を仰せつかったのだ。で、今日はOBの方々も来られる会議がある、とやらで、早速ご挨拶に伺う。実は、大学写真部だけでなく、ローバースカウトにも、「いてて」の思い出があったのだ。

僕は我が校のローバースカウト隊諸君とは逆で、実は小学校から高校まで、カブスカウトボーイスカウトローバースカウト、とボーイスカウトに長年お世話になっていた。野球やサッカーも得意でなく、おしゃべりでませガキタケバタにとって、年の離れた先輩とぶつかり合えるボーイスカウトは、本当に良い居場所の一つ、であった。ただ、大学受験の頃から、とにかく京都的因習(もしくは地元なるもの)と手を切りたくて、あれだけ期待して先輩方に育ててもらったのに、恩を仇で返すかのように、所属していた原隊からはさっぱり縁を切ってしまった。その当時、10代終わりの若者に典型的であるように、僕自身も自分のアイデンティティの不安が一番キツイ時期で、とにかく新しい何かを求めていた。そんな折り、小学校からやってきたボーイスカウト、高校から続けた写真部、という「続けてきたもの」に対する「何か違う」という違和感をアイデンティティの不安に重ねて、いっそのこと、と両方を「放り出して」しまったのだ。敵前逃亡、だ。ひどい話である。実際、ボーイスカウトの一つ下の後輩から、「裏切り者」とも言われた。確かにそうだ。

その、京都の恩義を甲府で返す、ではないが、京都時代に返せなかった恩を、因果巡って甲府で大学ローバースカウト隊顧問、という形で返すチャンスが巡ってきたのだ。ボーイスカウトを去って一回り、ちょうど良い頃合いで、である。もちろん、喜んでお引き受けした。

今日、その皆さんの顔見せの前で申し上げたことは二つのこと(のわりに20分しゃべっていたけど)
「一つ、教員は学生のために奉仕する。だから、皆さんは遠慮なく僕を使ってほしい。顧問として出来ることは出来る限り協力したい。二つ、皆さんは、隊として色々アウトドアを存分に楽しんでほしい。その上で、社会『にも』奉仕してほしい。ボーイスカウトで僕が一番学んだことは、社会に奉仕すること。結局、自分が今の分野で研究を続けているのも、ボーイスカウトのご縁が関係しているような気もする。みなさんも、自分も楽しんだうえで、社会『にも』その目を振り向けてほしい」

そんなことを話して気がつけば8時半。5時から対象を2回かえ、ずっとしゃべり続けてきた。内容は違うけど、プリンシプルは同じ。自分が伝えられたこと、受け継いだパスを、求めている人に届けること。僕も、特に最後のローバースカウトには、パスを投げることが出来て本当によかった。自分の中であった、少しトラウマチックのような罪悪感が、パスを伝えることで、ふと消えた。帰りの車の中で、ボーイスカウト時代のキャンプファイアーの思い出や、帰って食事を準備しながら、13年以上口ずさんだことがなかったメロディーが、溢れんばかりに出てきた。ある種「抑圧」していた思い出が、吹き出してきた。そう、ため込んでいてはいけない。「わかちあい」「ときはなつ」ことが必要なんだ。3つの話が、一つにつながった瞬間だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。