息吹を感じて

 

どうも文章を書きたい時期と、書けない時期があるようだ。

ここしばらくは、何だかブログに手が回らない。確かに程々に忙しいが、かといって今より忙しい時期でも、毎日のように更新していた日もある。それから考えると、なぜか更新が滞りがちなのには、自分の内面が反映している。アウトプットをジャンジャカやりたい時期と、それよりもインプットにエネルギーを注ぎたい時期と、どうもその両面があるようだ。ここしばらくは、インプットに興味が向いている。なので、メールの返信もあんまり書けないし、ブログだって然り。でも、その代わり、色々新しいことを吸収するのがめっちゃたのしい。そうやって、吸収したことが一定の層として溜まっていかないと、はき出せない、ただそれだけなのかもしれないが・・・。

今度の土曜日の夕方は講演を頼まれている。そのパワポデータも明日当たりには出さないとマズイのだが、一応作ってあるものの、どうも抽象的すぎて、面白くなかった。それは、このパワポに限らず僕の原稿を結構チェックしてくださっている大阪のKさんからも指摘されていた。どうするべかなぁ、と思いながらも訂正できなかったのだが、今日、夕方の会議で、当事者の方々から色んな刺激を貰って、それを自分の中にインプットしていく中で、土曜のパワポに何が足りないのか、もビビッときた。こういうインプットは、アウトプットに活力をもたらす意味でも、いや単純に自分の考えを整理したり、頭を活性化する上でも、非常に勉強にある。特に日頃「象牙の塔」に立てこもっているタケバタにとって、現場のリアリティとどういうズレがあるのか、現場のリアリティが求めていることは何か、のヒアリングであり、ある種自分にとってのマーケティングにもなる、こうした現場とのやり取りは、本当にかけがえのないものだ。しかも、同じ方向を向いて、一緒の思いで努力されている当事者、支援者の方々と出逢える、繋がる、輪を拡げられることは、この上ない喜びである。この喜びを、うまくシンポジウムでも皆さんと分かち合えたら、そう感じている。やはり、現場の息吹を感じることはすごく大切だ。

現場の息吹、と言えば、先ほどはスウェーデンでお世話になっていたAさんに電話する。この9月に調査で二年ぶりにイエテボリを訪れようと思っているので、そのうちあわせの電話だ。実は彼とは昨年11月に日本で会っていたのだが、スウェーデンの現場にいる彼は、もっと活き活きしいていた。電話越しに、その息吹が伝わってくる。9月半ばの訪問や調査についても快諾頂き、ついでにオランダ調査のアドバイスまでしてもらった。スウェーデンで半年住んでいた時、スウェーデン語が出来ない僕の支援をずっとしてくださっていたのも、英語が堪能なスウェーデン人のAさんだった。彼に僕だけでなく妻も、本当に助けられた。今日彼の携帯に電話しようと思って、手帳にその番号が書いてあるはず、と思いながらなかなか見あたらなかった時、妻の携帯に彼の携帯電話の番号(もちろんスウェーデンの)が控えてあることを発見。そう、困ったら、夫婦そろって彼によく泣きついていた。そんな大恩人なので、またお会いできるのがすごく楽しみである。そう思うと元気になってきた。やはり、僕はいろんな現場で、いろんな息吹を感じていなければあかんなぁ、そう思った夕べであった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。