おぼろげながら見えてきたこと

 

「いかにしてあるのか」の整理をしてみたら、これまで自分の中でもよくわからないうちに選択していた、あることに対する説明がつくようになった。その疑問とは、

「なぜタケバタは院生になった時に、臨床心理系の本を読むことをきっぱりやめたのか」

である。

実はこのHPのプロフィール欄にも少し書いたが、むかーしむかし、高校生から大学生に書けて、臨床心理学というものに相当興味を持っていた。入学した阪大人科も、臨床心理学講座があるから入った、という部分もあった。ただ、当時から臨床心理はブームになっており、講座に入るのはかなり高倍率であった。大学生になってからすっかり「嫌なことはしたくない」モードが身に付いてしまったタケバタは、臨床心理系の講座に入るには必修となっていた「心理学概論」や統計的なものを勉強するのが面倒くさくて、専攻にすることは諦めた。でも、集中講義では臨床心理系の授業はかじったし、ユングや河合隼雄だけでなく、風景構成法や神田橋條治氏の臨床関連の本を読んでみたり、とにかく興味を持ち続けていた。

だが、院生になって、師匠大熊一夫氏に師事することになり、精神病院と向き合うことが決まった時、自分でもびっくりするほど決然と、「これからは臨床心理の本はしばらく読まない」と決めたのである。以来本当にこの分野の本は「封印」してしまった。それが博論を書き終わって大学院を修了した後に、ようやく少しずつ封印を解いて、中井久夫をはじめとした精神科医の手による著作を読み始め、今は活字の大きい「中公クラシックス」で出ているフロイトの「精神分析学入門」を読み始めている。読んでみて、もちろん面白い。

では、どうして「面白い」はずのこれらの臨床心理系の本を、しかも精神障害者支援を専門にしているタケバタは、特に院生の間、構造的に排除してきたのか? 院生の時、自分にはこういう言い聞かせをしていた。
「臨床心理の本を読んだら、そっちに流されてしまう」
もともと嫌いじゃない分野の本だから勿論なのだが、「そっちに流されてしまう」ことによって、何が問題となり、自分が掴もうとするどういうことが掴めなくなるから排除していたのか? その時はこういう答えを用意していた。
「精神病院や精神保健福祉の構造的が掴めなくなるから」「当事者の声をその通りに聞けなくなるから」

当時直感的にそう思っていたことが、今になって「いかにしてあるのか」という言葉で振り返ってみると、確かに選択肢はそれ一つではないけれど、でも求めるものにたどり着くための一手段として有効であった、ということがわかってきた。以下、少しだけ、そのことをひもといてみたい。

僕自身、心の病や精神疾患に関して、臨床心理という視点を通じて、以前から興味を持っていた。だが、実際に精神病院でのフィールドワークを始めた時、なんとなくその視点には囚われてはいけないな、と感じたのだ。これは師匠の捉え方が、精神障害者個々人の病理の把握、ということを、取材の根拠にされておられなかった、というのが大きい。そうではなくて、精神障害者が、社会の中で、精神病院という密室で、あるいは日本の精神保健福祉制度の中で、どのような状態に置かれているのか(=いかにしてあるのか)を、徹底的にルポとしてあぶり出す手法を取られていたのだ。1971年に出された「ルポ・精神病棟」が、未だに読む人の心をわしづかみにするのは、それが暴露本であるからではなく、むしろ精神障害者の「いかにしてあるのか」を赤裸々に、かつ構造的に明らかにした記念碑的著作だからである。

この著作を通じて、あるいは師匠の語りや教えを学ぶ中で、まず院生の自分が掴まなければならないと感じたのは、個々人の精神病理や臨床心理学的専門用語ではなく、この日本で人は精神障害を持つと、「いかにしてあるのか」、その全体像だった。それを掴むために、修士の1年生の段階で臨床心理学的視点を持つと、専門家的視点に固着し、全体像が掴めない可能性があった。つまり、一つの視点で物事を深く捉えようと決意した段階で、それ以外の視点を「とりあえず置いておく」という選択肢をとったのだ。これは、その時点の選択としては、一番良かったと思う。

確かに、今頃「精神分析学入門」を読むなんて、精神障害者支援を「専門」にしている人間としては「論外」と言われるかもしれない。でも、1:1の個別支援だけでなく、精神障害者の支援とは「いかにあるべきか」を問うためには、まず精神障害者を巡る実情が「いかにしてあるのか」をきちんと自分の中で把握していないといけない。その時、臨床心理のめがね、つまりは専門家的視点を持って眺めると、精神障害者が専門家にコントロールされている、いわゆる「医療・福祉の専門家支配」の問題を見る視点がどうしても弱くなる。つまり、精神障害を持つ人の発言を、人間として聞く、ということが出来ず、その人の語りの中にある「病理性」を探し出そう、という目を持ってしまう可能性が、当時の僕には高かったのだ。それでは、当事者の視点に立った「いかにしてあるのか」を見つけ出すことは出来ない。

例えば、病棟で若い頃、医師からセクハラを受けた、と語ってくださった女性がいる。その人の語り口がものすごく激しくて前後関係も一見、滅茶苦茶にみえる場合、病気故の妄想なのか、と専門家なら判断するかもしれない。本当にセクハラがあったのかどうか、の真偽認定は今となっては出来ないが、でもその人にとって、そのことは大きなリアリティを持ち、それだけでなく、大きなトラウマとなり、傷ついているのだ。また、それを、「嘘でもいいから相手の言うことを信じましょう」という専門家的認識にはなじめない。だって、その人にとって、それは嘘ではなく、偽りない事実なのだから。その人にとって、その語りは、その人自身が「いかにしてあるのか」を表現する上で、欠かすことのできないものであるのだから。それを、病状、とか、病理、とかで他者が勝手に「嘘」と解釈することなしに、その人の心的事実として受け止めることから始めたい、そう思ったから、専門家的視点を数年間、封印していたのだと思う。

もちろん、上に書いたエピソードに関しても、その後読みかじった精神分析や精神科治療の世界の専門用語やその枠組み・思考方法を借用して書いている。だが、これは、自分の中である程度、精神障害をもたれた方が現在の日本において「いかにしてあるのか」について、体感、というか、実感としてわき上がってきた後、それらの枠組みなり用語を学んだから、書けるのだと思う。前後が逆であれば、きっとこういう視点にも立てないし、こういう風にも書けない。自分がこう育ってしまったから、今のような書き方、ものの見方が出来ているのである。

そう思うと、あのとき無意識に選択した、臨床心理の専門家的視点を「いったん括弧に入れる」という選択は、精神障害者の「いかにしてあるのか」を少しでも自身の実感として掴むためには、その当時の僕にとっては必要な手段だったのだろう。もちろん、これからそれを言語化していくためには、括弧に入れていた専門用語も用いないと、多くの人に伝わらない。だが、その際大切なのは、「ミイラ取りがミイラになる」ことへの戒めである。精神障害を持つ人は、長い間、自分が言うことは全て「オカシイ」と専門家や一般の市民に決めつけられ、自分の話をなかなか真剣に聞いて貰えなかった、という。そういうリアリティを描き出し、その背景要因も含めて「いかにしてあるのか」として提示するためには、僕自身が精神障害を持つ彼や彼女の話を「病理」として聞いていては、全く意味をなさない。その人と、その人の語りを解釈する「専門家」という閉ざされた1:1の関係に自閉せずに、社会構造の中でその人の「いかにしてあるのか」を浮かび上がらせるためにも、僕自身にこれまでも、これからも求められているのは、第三者として、ご本人にも専門家にも通じうる言葉で、わかりやすく、書いて・語り続けていくことである。

そう、自分の前の大海原が何物なのか、どこに向かっているのか、がようやくなんとなく、おぼろげながらもわかりかけてきた、ような気がする。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。