刺激を受けた週末

 

1週間も御無沙汰でした。すんません。

火曜日以後、出張2回、飲み会1回、お客様のおもてなしが2回に原稿の手直しと雑用たんまり、の地獄絵図をこなしているうちに、あっという間に過ぎ去った日々だった。日曜日は完全休業だったのだが、もうパソコンを見る気力さえなく、その日は一日うとうとの日。起きている間は、無性に読み返したくなった村上春樹の初期作品(「風の歌・・・」「・・・ピンボール」)を一気に読む。昔一度、「もう村上春樹は卒業した」と古本屋に売り払った数年後、無性に読み返したくなって、古本屋で全巻買い直した記憶もある。なんだか、自分がモヤモヤしたり、ギアチェンジの時期に、心を鎮めるために読みたくなるのだ。今回も少し色々さざめいてるようだ。ブログを書き終わったら、続けてエッセイ(「やがて哀しき・・・」)をルンルンと読み進めるつもり。このままでは、また全巻制覇、と行きそうだ。

さて、週末のシンポジウムの時くらいから、何となく悩んでいるのか、気づき始めたのか、その中間のことがある。それは、自身の研究の方向性についてだ。毎度毎度同じ事で悩んでいていてすんません。でも、悩んでいるんだから、しゃあないのです。

土曜のシンポは「アミューズメント」がお題の会だった。そんな会に、僕は「アミューズメント以前の問題」として「精神病院での権利剥奪の現状」というタイトルでしゃべりまくった。そういう会でしゃべっていて、何だか他のシンポジストや、他の参加者との距離感、というか、浮いた感じを持っていたのだ。浮けば浮くほど饒舌に語り、その落差をひしひし感じていたのだが・・・。まあ、そういう会でおくびもなくそういう話にこだわる僕が悪いと言えばそれまでだが、他の皆さんとの接点を持ちきれない具体的事象に終始して理論化や抽象化が足りなかったのだろうか、とも考えている。

だが一方で、理論化や抽象化の際、大切な現場の当事者のリアリティがそぎ落とされるくらいなら、それは自分の研究にとって本当に大切なことなのだろうか?という疑問もある。個別具体例から抽出された普遍的なものが理論であったり、そのプロセスを抽象と呼ぶのだろうが、他方で、切り落とされたものの中にあるリアリティをどうするんだい、というのがいつも頭の中によぎっている。特に、福祉のように、制度政策論やシステム論と1:1のケア論・支援論が極端に断絶している分野にあっては、どっちかに傾くと、どっちかを切り捨てる、という歯がゆさを、いつも感じている。出来ればその両者の接点である「中範囲」を射程にした理論化や抽象化、つまり現場の当事者のリアリティに基づくシステム論をしたいのだが、まだ僕の現状は「中範囲」ならぬ「中途半端」。結局真ん中をきちんと書ききる為には、システム論とケア・支援論の両方を自分の中で成熟させる必要がある。しんどい課題だ。でも、僕自身の論文は、最初ケア・支援論で、今はシステム論、と右に行ったり左に行ったりしているので、ボチボチそれを統合させる方向に持って行かねば、というのが目下の課題だったりする。

あと、土曜日にはすてきな出会いが二つもあった。

一つは阪大人科の後輩のIさん。分科会は違ったが、同じシンポの会場でお会いできたのだ。声をかけられて、初めて気づいた。「そういえば、お顔をどこかでお見かけしたことがありますね」。狭い世界だ。彼は、今は研究者と実践家の二足のわらじを見事にこなしておられる。しかも、今日、彼の書いたある本の一節を読んでみて、大変刺激的な論考で、人類学の視点から、障害者福祉の問題点に切り込んでいく、力作だった。いやはや、すごい人物がどんどん出てきている。彼の論考を読みながら、ふと自分を振り返って、彼の書いているような、他の分野の人が見ても面白い(=一定の普遍性のある)、でも現場のリアリティに基づいた、そんな論考を書けていないことを、心から恥じた。そして、僕もそんな論考が書きたい、そう思った。そう、次なる論文への意欲に火をつけてもらった週末にもなった。もう一つの刺激的な出会いは・・・。それは、また次回にでも書いてみよう。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。