シュトルムウントドランクな日々

 

シュトルムウントドランクな日々、なんていうと、ドイツ語を少しは知っているのか、と思われる。

自慢じゃないが、ドイツ語はからきしダメ。一応大学の時、第二外国語で取ってみたモノの、例の人称代名詞に合わせた定冠詞の変化、って奴について行けずに、最初からアウト。カントやウェーバーやフロイトを原書で読めたら、なんて淡い期待も、強い動機にならなかったので、全く興味を示すことが出来なかった。

大学一年の文法の授業は、最後テストも嫌になって、ちょうど震災後のボランティアにのめり込んでいた次期でもあり、放棄。ご丁寧にもドイツ語の先生がわざわざ自宅まで電話をかけてくださって、「どうされますか?」なんて聞いてくださったのに、高楊枝で「来年また受けます」とあっさり辞退。教員になってみて今ようやく気づくのは、あのときわざわざ電話をくださった先生のマメさに脱帽、である。当時はあんまりすきじゃなかったけど、別に教員の義務でも何でもないのに、わざわざ手をさしのべてくださった、N先生の懐の深さを、一回り立ってようやく気づいているようだから、何だか僕も当時は余裕がなかったんだよなぁ・・・。N先生、すいません。

で、ドイツ人のM先生とは、すごく仲良くなったのだけれど、なぜかいつも英語で話していた。先生は当時日本に来て間もないころで、日本語での会話が得意でなく、授業も英語とドイツ語の併用であった。で、当時英会話を上達させたかったタケバタは、ドイツ人のM先生と授業以外でお逢いした折、よく英語でお話をしていた。先生は少し哀しそうな顔をしながら、「僕に話しかけてくれるのは嬉しいけれど、ドイツ語もちゃんと勉強してね」と柔らかで聞き取りやすい英語でよく話されていたものだ。M先生、ごめんなさい、結局英会話は先生のおかげもあって多少ましになりましたが、ドイツ語は結局さっぱりでした。

ついでにドイツ語で謝るならば、二年生でうけたF先生の読解。先生が授業の最初に、「僕の授業は出席を取りません。テスト一発勝負です。まあ、そうは言ってもテストだけで受かる人はほとんどいませんが・・・」なんて仰られたのが悪かった。当時からの腐れ縁Nからの「よし、出るの辞めよう!」という悪魔のささやきに感化され、レポート提出(それもドイツ人の哲学者・文学者について日本語文献で良いから読んでまとめろ、というきわめて甘いレポート)という最低のノルマは友人に聞いてゴマカシ、テストはその友人が作成した教科書の訳文を丸暗記して臨んだ。すると・・・ノートを貸してくださった友人はテストに受からず、私と悪友Nはなんとパスしてしまう・・・。F先生にも、そして友人にも、ごめんなさい。

そうやって手抜きをしまくっているうちに、ドイツ語は全くご縁がないまま、過ぎ去ってしまった。

そう、僕はどうも自分が「ほんとうに必要だ」というリアリティが持てないと、なかなか勉強に本腰が入らないたちなのだ。

その点、僕らより一世代前の先生方は、院試で第二外国語必修だったので、ドイツ語やフランス語を当たり前のようにお出来になられる方々が多い。この大学に赴任した折りも、M先生から当然のごとく、「フランス語かドイツ語の文献購読の授業を持ってほしい」と言われ、「すいません、僕の入試の年から第二外国語ははずされました」と平謝り。そう、先生方のような博識は、僕のようなズボラな人間は継承していないのです。すいません。そういう意味で、40代以後の先生方の博識と、私のような小僧っ子とでは、なんだか知識のレベルや深みが全く違う、と就職した後になって愕然とすることが多い。

と、ドイツ語恨み辛みを書いていると、とんでもなく、回り道した。そう、シュトルムウントドランク、疾風怒濤な一週間だったのだ。(前置きが長すぎて、何の話しか危うく忘れそうだった)

月曜日、東京で口頭試問より恐ろしい会議での発表。精神病院のこの15年、というテーマで、当事者団体のお歴々の前で発表していたのだ。ゴマカシの効かない真剣勝負だったので、実はこの1ヶ月、内容やら資料の作り方まで、すごく頭を悩ませてきた。それが、なんとか無事に終わったのだ。やれやれ。とはいえ、その2日前は大阪出張していたり、6月末は〆切に追われ、とキリキリ舞だった。

今日もその続きで、小論文の添削。公務員志望者のバックアップ講座で先週の木曜日、1時間しゃべり倒して、その後その内容で論文を書いて貰い、それを採点する、というお仕事。僕の前の担当が、すごく誠実なT先生で、「採点に6時間かけた」と仰られると、こちらも適当にスルーすることは出来ない。真面目に小論文をチェックし始めると、その昔、赤ペン先生のごとく、小論指導をしていた塾講師時代の血がついつい騒いでしまい、じっくり読んで、コメントをバリバリ書いている。午後2時頃から初めて、途中お客様の来訪などでとぎれながらも、結局終わったのは午後7時すぎ。内容よりも「型」になれていない学生さん達に、「型」というか、論文のスタイルを伝授するためのコメントを書いていたら、すっかり日が暮れてしまった。そう、この「型」の理解って、わかってしまえば簡単なんだけれど、それを我がモノに出来るまでの日々が辛いんだよねぇ・・・。

そう、それってドイツ語の文法と同じなんだけどなぁあ・・・。

結局、ドイツ語であれ、小論文であれ、興味を持って集中して「型」に取り組めば、あっという間に理解できる。逆に言えば、興味なくダラダラやっても、全然身に付かない。そんなことを感じた採点後の夕べであった。今、勉強が面白いのも、「興味ある」し「必要だ」という動機付けがあるから、「型」の学習も楽しいのである。そう、疾風怒濤の日々でも、多少はモノを考えながら、ルーティーンのお仕事と格闘する毎日であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。