不安の正体

 

フランクフルトで乗り継いで、イエテボリに向かう飛行機の中から、何だかモヤモヤした気分が続いていた。飛行機が海を越えてスウェーデンにさしかかる中で、そのモヤモヤは、漠とした不安に変わっていった。その霞のような不安の理由の正体を、先ほどイエテボリ港をぶらぶら散歩している途中、沈みゆく夕日をぼんやり眺めていて、はっと気がついた。そう、これは3年前に抱えていた不安と全く同じだ、と。

イエテボリは、実に3年ぶりである。
2003年の夏に、海外調査のアプライが採択された通知が来て、その一月半後の10月20日には、イエテボリの地に妻と二人で降り立った。二人とも、大変くたびれ果てていた。僕は博論を書き終わったが常勤の仕事にありつけず、非常勤講師やNPOの仕事などをしてはいたが、非常に不安定な状態。急に半年海外への移住が決まっても何とかなるほど、世間的な責任や役割からもはずれていた。今から考えると結構な身分だが、当時の僕は、仕事が全然決まらないことに焦燥感でいっぱいだった。また、妻は妻で、当時は世帯主として低所得の夫の3倍以上は働いてくれていて、身も心もボロボロだった。この状態で二人が別れて暮らすときっと離婚に至る、というのは一致していた確信だったので、とにかくエイヤッと日本を離れたのである。

エイヤッっと書くと威勢は良さそうだが、実は内心不安でいっぱいだった。スウェーデン語が堪能な研究者は日本に結構たくさんいる。スウェーデンの障害者政策に関する日本語文献も少なくない。そもそもこのイエテボリの地を紹介してくださった大先輩のKさんご自身が、現地での調査結果をたくさん著作の形で出しておられる。僕のような、スウェーデン語も出来ず、現地に留学した経験もない人間が、たった半年間の期間の中で、いったい何をつかむことが出来るのだろうか、何か意味あることや日本に役立てることを本当に見つけ出すことが出来るのだろうか・・・こういった不安が強迫的に僕の中で渦巻いていた。クリスマスを過ぎて、新年を迎える頃まで、この不安の中で鬱々とする日々が続いた。実は僕たちがスウェーデンに越してすぐの11月は、スウェーデンでは急に寒くなり、かつ日照時間が短くなって、スウェーデン人にとっても「魔の11月」と言われているのだそれに、先の不安だけでなく、定職に就けない焦燥感、それに一種のホームシックにも似たや孤独感も重なり、ますます落ち込んでいった。寒さも手伝って、11月に入って借りることが出来たアパートで、妻共々「半分引きこもり」の日々が続いていたのだ。

今日、ルンドにとある研究者を訪ねた後、夕方6時過ぎにイエテボリに帰ってきて、まだ日の明るいイエテボリの街を久々にぶらぶらしてみよう、と思い立った。何となく海が気になって、市内の繁華街から港の方にブラブラ歩いていって、愕然とした。港に近くには、すてきなオペラハウスもあり、その近くには気持ちよい散歩コースもある。そこは、いつも買い物に出かけたノルドスタンというショッピングセンターの目と鼻の先である。なのに、全然こんなすてきな風景を、半年住んでいる間には探そうとしていなかった。半年もいたのに、ルーティーンな場所しか訪れず、「半分引きこもり」状態なので、イエテボリの魅力に全然気がついていなかったのである。一体僕はここで半年間何をしてたんだろう・・・そう落ちこみかけて、逆にその瞬間、冒頭に書いた不安の正体に気がついたのだ。それと同時に、様々なことが氷解していった。「どうのこうの言ったところで、とにかく自分に出来ることを、出来る範囲で誠実にやるしかないんだ」と。

そう、3年前も、こうやって踏ん切りをつけた。その後、二つの対象を決めて、とにかく遮二無二その課題に取り組んだ。その結果、スウェーデンの障害者政策のことをちょこっとだけ違う角度で調べることが出来、以前に書いたように報告書にもまとめた。これは、今から思うと当時知り得たことをすべて詰め込んだので、初めて読む人には散漫な、というかバラバラなピースの寄せ集めに思うかもしれない。だが、自分の中では、つたないながらも独自の「地図」を書き上げたつもりだ。当時孤独の中で書き上げたこの地図も、今読んでも意外にスウェーデンの障害者政策のまとめとしては使い道のある地図であるだけでなく、僕の中では、スウェーデンのことをまとめた後になって、実は日本のことが以前より少しはっきり見えてきたような気がしている。比較の眼、というか、別の座標軸を持ったおかげで、日本に帰った半年後の2004年秋からの自立支援法を巡る狂想曲の中でも、変わり行く情勢を追いかけつつ、何とか自分を見失わずにいれたのだと思う。これは、たぶん日本にずっといたら絶対に無理だっただろう、と今の自分は確信している。そう、座標軸が複数あるから、一つの座業軸上での「揺れ」も、幅を持って眺めることが可能なのだ。

さて、話をスウェーデンに戻そう。
3年たったスウェーデンの現場に、たった一週間だが、明日から舞い戻る。この現場には英語が堪能なメンバーや支援者もいるので、少しはキャッチアップできるだろう。とはいえ、スウェーデン語は結局マスターできずにいることには変わりなく、たった一週間で感じられることはごく断片にしかすぎない。とはいえ、日本に帰国後まる二年の間に、前回訪れたときより日本に関する座標軸は多少なりともシャープになっているはずだ。この以前とは違う日本の座標軸を元に、新たにスウェーデンで一週間暮らす中で、きっと以前とは違う発見や出会いと遭遇できるはずである。そう考えたら、変に気負ったり、鬱々とするのは、あほらしい。せっかく今は日も明るく、過ごしやすい。気持ちを落ち着かせて、後一週間しかない日々を、じっくり充実して暮らそう。で、出たとこ勝負で、吸収できそうなことをいっぱい吸収しよう。幸い、この火曜から木曜にかけて、興味深いプログラムも目白押しだ。明日月曜は久しぶりにメンバーとの再会を味わいながら、徐々にイエテボリの空気になじませていこう。そう感じながら、現地の風景を懐かしみながら、イエテボリの暮れゆく夕方を歩いていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。